ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

六条御息所 源氏がたり

2010-07-28 | 源氏物語覚書
最近、(根気がなくて)なかなか本のレビューが書けません。
気づいたら↓が書きかけで、ほったらかしたまま・・・
久しぶりに『源氏物語』関連でもあるので、覚書のつもりでアップしました。


 
     ・・・     ・・・     ・・・




『六条御息所 源氏がたり 
           光の章』
    林 真理子


毎日新聞の書評欄でこの本のことを知りました。
あの六条御息所が光源氏のことを語る。
それだけでも興味津々なのに、作者が林真理子さんということで、
新たな切り口で源氏物語が読めるのでは、とかなり期待して手に取りました。

まず、とても読みやすい。
『源氏物語』は口語訳でも、その時代背景や人間関係がわかっていないと
正直言って読みづらいです。
でも、この作品では「六条御息所自ら語る」という形で、
口語訳では省略されているようなことも説明されています。

光源氏の母桐壺が、他の後宮の女たちからいびり殺されたように
言われているけれども、それにはこういう背景があって、
帝ともあろう方が他の女性をないがしろにしてはいけない。
あるいは、東宮妃であった私がどうしてこんな身になってしまったのか。
また、夕顔が突然亡くなってしまったのはなぜか・・・などなど。

文化も生活習慣も考え方も違うこの時代。
確かに現代の私たちが読んでいて、腑に落ちなかったり、
突拍子がないように感じたりすることがありました。
でもこの作品を読んで、あっ、なるほど、そういうことだったのか
今の私たちにもわかる形で「なるほど~」と納得させてくれます。
そこまで細やかに女性たちの心理描写を描いてくれているわけです。

へ~、と意外に思ったのは、紫の上が光源氏に対して、
”破瓜の屈辱と恨みを、生涯お忘れにならなかったのではありますまいか”
と、解釈されたところ。
確かに、紫の上はまだ幼いうちに、保護者として信頼していた光源氏から
裏切られたわけですが、この時代ではしかたがないよね、
相手が光源氏だからまだいいよね、みたいなことを思ってました。

でも、実際そんなことが起これば、やはりどんな相手であれ、
傷は傷として一生残るはず。
光源氏しか頼る後ろ盾がなかった紫の上にしてみれば、
愛情だけではなく、生涯複雑な思いを抱いていたのかもしれません。
それを表に出すこともせず、けっこうしんどい一生を送ってたわけですね。

また、意地悪の象徴のような弘徽殿女御(こきでんのにょうご)に
対しても、女性の目から同情的な解釈をしています。
弘徽殿女御は、右大臣の娘であり桐壺帝の正妻という女性のトップの
立場にいながら、実は淋しい思いをしているわけです。
帝は光源氏の母である桐壺や、桐壺亡き後は彼女によく似た藤壺に夢中。
皇太子の母という身分ではあるけれども、帝の愛情は得られていません。

そのあたり、皇太子の正妻という立場であった六条御息所は
そういう身分ゆえの不自由さや淋しさはよくわかっていて、
弘徽殿女御が桐壺や光源氏に対して恨みを抱いても仕方がないなあ、
と思えてきます。


・・・と、まあ現代の女性にも共感しやすいよう解釈されていますが、
そこには作者の想像もあるわけです。
これは「源氏物語」をモチーフにしたひとつの作品にすぎません。
林真理子が描く「源氏物語」なのです。
だから、自分の持っていたイメージと違うなあと感じるかもしれません。

私自身、自分が抱いていた六条御息所のイメージとはちょっと
違うような・・・
生霊となるほど情念を秘めた女性ではあるけれど、
その思いを赤裸々に語ってほしくはなかったんですねー
まっ、それではお話になりませんが(笑)

この作品では、藤壺の出家までが描かれています。
この後どんなふうに語られるのか、やっぱり気になるので
続編が待ち遠しいです。

それにしても光源氏という人は、本当に女性の気持ちに対して無頓着で、
能天気というか・・・なんでこんな男性がモテたのでしょうね。
そのわがままが許せてしまうくらい美形だったということかなあ。
それとも、当時の男性は、皆こういうもんだったのでしょうか。

『源氏物語』は好きですが、登場する男性はどうも好きになれません。
平安時代に生まれてなくてよかったわ~



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイルドストロベリージャム

2010-07-20 | 食べること。



以前、瀕死の状態だったワイルドストロベリー。
主人がダメもとで畑に植え替えたところ、さすがに
ワイルドだけあって元気になり、今年はたくさん実をつけました。

主人は毎日4~5粒ずつ収穫してきます。
でも、そのたびにぱくっと食べておしまい。

うろ覚えですが、映画「西の魔女が死んだ」で、
おばあさんの家の裏手に一面咲いていたのが
ワイルドストロベリーだったように思います。
おばあさんとまいが実を摘んでジャムにしていたのを
羨ましいなあ、と思いながら観ていました。

畑にあるのは3株ほど。
ジャムがつくれるほどたくさんは採れません。
で、収穫した実をそのつど冷凍することにしました。
それが、ようやく150gほどになったので、先日ジャムをつくってみました。





見た目はイチゴとあまり変わりません。
味は、イチゴより酸っぱくてつぶつぶが多いかな?

梅雨明けから連日35度前後の暑さのせいで、
あまり食欲はありませんが、朝の熱い紅茶とトーストだけは別。
しばらくは、このワイルドストロベリージャムが楽しみです

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨のお祭り 2010

2010-07-15 | 日々のこと。
きのうは、近所の神社のお祭りでした。

以前にも書きましたが(*)、私の住む町内では、このお祭りの日に
子どもたちがお御輿をかつぎます。

町内会でのメイン行事のひとつなので、毎年役員さんは大変。
今年は私が庶務になったので、参加者名簿をつくったり、
子どもたちに渡す図書カードを用意したり。
前日には、役員みんなでお御輿の組み立てです。

この子どもみこし、実はわが町内の貴重な収入源。
町内を隈なく練り歩き、ご祝儀を頂くわけです。
だから、多少の雨では中止しません(できません)。
でも、梅雨の終わりのこの時期、天候は微妙です。
特に今年は、日本各地で大雨の被害が出ているし、
京都府内にも警報が出たほど。
お祭り当日も、午前中は時おりザーザーと雨が・・・

ところが、午後になると雨があがったんですねー
降っても小雨程度。
かんかん照りになるより、よっぽどラクでした。やれやれ。



↑お御輿にはビニールを巻いています。


町内の子どもの数はだんだん少なくなっているようですが、
ほとんどの子どもたちがお御輿には参加してくれます。
というか、毎年のことなので、子どもたちにとっても
参加するのが当たり前になっているのでしょう。
我が家の子どもたちも、赤ちゃんのときから小学校6年生まで
毎年参加していました。

すべての町内が子どもみこしを出すわけではありませんが、
近辺の幼稚園や小学校は午前中授業になります。
公園にお御輿を出していたら、下校する子どもたちが
「わー、お御輿や~」と言って寄ってきます。
みんな、お祭り気分になるのでしょうね。

私は子どものころにお祭りに行った思い出があまりないので、
はっぴを着てお御輿をかつぐという経験ができる子どもたちを
羨ましく思います。
聞いたところによると、数十年前にこの町内でも子どもみこしをやろう、
というお父さんがいて、手づくりのお御輿をつくったのが始まりだそうです。
1年で止めるつもりが、すっかり町内の行事に定着したとのこと。

子どもだけでなく、若いお母さん方も参加してくださるし、
町内では子どもみこしが通るのをみんな今か今かと待っていて、
お年寄りの方も家から出てこられてお祝儀をくださいます。
町内の年中行事で、みんなの楽しみになっているのでしょうね。

そして、夕方になると浴衣を着た子どもたちが、家族や友達と神社へ。
私も主人と久しぶりに出かけましたが、すごい人混みで、
狭い参道に屋台が立ち並び熱気ムンムン。
「綿菓子買って~」という子どもも、もういないので(笑)
お参りしたら早々に退散しました。

地元の小さなお祭りだけど、子どもたちのためにも
こういう行事がこれからもずっと続けばいいなあ、と思います。
次の行事は8月の地蔵盆。
これが済めば町内の三大行事も終わりです。
あと、ひとがんばり!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かいじゅうたちのいるところ

2010-07-12 | 観ること。



モーリス・センダックの絵本を映画化した『かいじゅうたちのいるところ』、
ようやくDVDで観ることができました。

この絵本は、内面を表現する手段としての絵本、あるいは
子どものためだけではない絵本というものの奥深さ、
などを教えてくれた、私にとって心に残る特別な一冊です。

だから映画化と聞いたとき(しかも実写!?)、どちらかというと
「映画化して原作のイメージを壊すのはやめてよね」という
気持ちのほうが強かったと思います。

でも、予告編でかいじゅうたちを見たとき、ん、なかなかいいかも、と
期待が膨らみました。
内容より、まず映像に魅かれたのです。
(期待通り、映像も音楽もとてもよかったです!)

そして、DVDを見終わって・・・やられました~
マックスに、あるいはかいじゅうキャロルにすっかり感情移入してしまって、
マックスが島を出るシーンでは涙がぽろぽろ。
(おばさんが泣く映画とは思えなかったのに)


誰も自分を相手しくれない、その淋しさ・孤独感から
何かをめちゃくちゃにしてしまいたくなる、そんな感情を
誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。

私は子どものころ、両親は仕事で忙しく、姉たちは年が離れていて、
遊び相手もなくいつも淋しい思いをしていました。
ひとりで本を読んだり、絵を描いたり。
おとなしい子どもだと言われつつ、いったんキレたら
喧嘩相手の姉に噛みついたり引っ掻いたり、姉の学校のノートに落書きしたりと
けっこう凶暴なところもありました。
(体力では負けるので、いかにダメージを与えるか子どもなりに考えるわけです)

おまけに強情で謝らず、よくお灸をすえられたり、
反省するまで押入れに閉じ込められたりしました(笑)
ほんとは淋しくて、誰かにかまってほしかったのでしょうね。

そのときの性格はいまだに残っていて、時おり衝動的に何かを壊したくなります(笑)
欲しいのにいらないと言ったり、好きなのに嫌いと言ったり。
これまで築き上げてきたものを、いっぺんにひっくり返しかねない行動を
とってしまいそうになるのです。
それもこれも「ちゃんとこっちを見て!」という、心の表れなのでしょうけれど。
我ながら、困ったものです。

だから、ほんとはみんなと楽しくうまくやっていきたいのに、
それを伝えられなくて、自分のワイルドな感情をもてあましてしまう
マックスやキャロルの気持ちが痛くって・・・。
彼らの孤独感が、かいじゅうたちの表情や、あるいは
かいじゅうたちの島の風景などの映像からもよく伝わってきます。





マックスはかいじゅうたちの島で王様になって、最初はみんなで
楽しく暮らしますが、結局うまくはいかず母親のところへ戻ります。
この物語は、みんな最後はうまくいきましたとさ、めでたしめでたし、
みたいなハッピーエンドではないのですね。

マックスとキャロルは心を通わせることができたけれど、
それはずっと持続するものではなくて、一瞬にしてこわれてしまう。
トラブルメーカーのキャロルがこのあとみんなとうまくいくとは思えないし、
KWとどうなるのかもわからない。
そんな彼らを残して、マックスは来たときと同じように小さなボートに乗って
母親のもとへ帰るわけです。

中途半端な終わり方かもしれませんが、私はこの作品が、
みんなうまくいってめでたしめでたしで終わったり、
マックスがいい子になって帰ってきました、みたいな教訓的な終わり方でなくて
よかったと思います。
だって、だぶん、それは嘘だから。
そんなことあり得ないから。

日常生活においても、友達や恋人同士や家族や夫婦で、
うまくいくときもあれば喧嘩をしたりすれ違ったりもするわけです。
それをひとつひとつ解決しているかといえばそうではなくて、
なんとなくうやむやに過ぎてしまってることも多くありません?
そして、気まずいながらもお腹がすいたらみんなでご飯を食べたりする。
そんなもんだと思うのですよね。

お母さんと喧嘩して家を飛び出し、かいじゅうの島へ行ったけど、
やっぱりお母さんのところへ帰りたくなった、
というのは子どもの心理描写ではリアルなことだと思います。
大切なことは、マックスが抱えていたどうしようもなかった感情を
なんとか宥めて戻ってきた、ということなのでしょう。
それには、やはり自分の心を投影したようなキャロルの存在が
あったからこそ、なのですね。

この作品は、子供向けというより、子どもの心理描写を描いて、
子どもも、そしてかつて子どもだった大人も楽しめる映画だなあと思いました。



↓原作  我が家にはなぜかこちらの英語版があります

 
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする