ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

私の本棚から

2007-04-27 | 読むこと。
最近、すっかり図書館から足が遠のいています。
今、手もとにあるのはエッセイばかりで、何か物語を読みたいなあ、と思ったときには、本棚から以前読んだ本を引っぱり出してきています。

先日も、ちょっと調べたいことがあって『源氏物語』(円地文子訳)を出してきました。
うろ覚えだったところを確かめたくて途中から読み出したのですが、これがまたおもしろくって、ついつい引き込まれてしまうのです。
若いころには気づかなかったことが、この年になるとわかるようになるもんですねえ。
だてに年をとっているわけではなさそうです

『源氏物語』はまたいつか、はじめから読み直すことにして。


今回読み直したのは『西の魔女が死んだ』です。



       『西の魔女が死んだ』
          梨木 香歩


10年前、初めて読んだ梨木香歩さんの作品です。
このあと『裏庭』、『りかさん』、『からくりからくさ』、『家守綺譚』と、梨木ワールドにどっぷりはまってしまうわけですが。

10年前というと、まだ児童小説というものを読み始めたころで、その中でもこの作品は特に印象的でした。
当時の私は、児童小説というと大人が子供向けに書いたもの、くらいにしか捉えていませんでした(以前はそういうお話が多かったのでしょう)。
でもこの作品を読んだとき、思春期の少女のどんよりした不安や、わけのわからない嫌悪感、ぴんととんがった感受性などが描かれていることに驚き、とても新鮮に感じたのでした。

確かに、私もこんな感情をもてあましていたことがあった。
大人から受ける痛みとか、抑えきれなくなった怒りを、自分でもどうしていいのかわからなかったっけ・・・。
そんなことを思い出しました。


主人公のまいは、中学校でいじめにあい、学校を休んでおばちゃんのところに預けられます。
そのおばあちゃんというのは、イギリス人で日本人のおじいちゃんと結婚したのでした。
おばちゃんは田舎で自然や手仕事に根ざした生活を送っています。
そのおばあちゃんのもとで、まいは魔女の修行を教わりながら暮らします。
そしてまいが家に帰る決心をしたとき、ある出来事がもとで、おばあちゃんとの間にしこりを残したままになってしまうのです・・・。


とにかくイギリス人のおばあちゃんの暮らしぶりがとても素敵で、読みながら思わずこんなおばあちゃんと一緒に暮らしてみたい、と思うほど。
もちろんおばあちゃんもとても素敵な人です。
まいの問いに、いつも真剣に考え、的確な答えを出してくれる。
私自身、どれほどこんな大人に憧れたことでしょう。
(児童小説を読んでいてうれしいのは、こういう大人に出会えることです)

梨木さんの作品はどれも不思議な雰囲気が漂い、それが彼女の作品の魅力でもあります。
それでいて「魔女」とか「魂」などの言葉が、胡散臭いものとしてではなく、きちんと定義されていて「なるほど、そういうものなのか」と納得させられます。
「魔女の修行」なんて聞くと、私なんかわくわくしてしまいますけどね。

「いじめによる登校拒否」や「死」という重いテーマでありながら、暖かく心に沁み入る作品でした。

私の本棚にあるのは文庫本ですが、こちらにはまいのその後を書いた短編も収録されています。
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自分探し

2007-04-24 | 読むこと。

 『THE MISSING PIECE Meets the BIG O』
        Shel Silverstein


この絵本は、春休みに神戸へ行ったとき、子どもたちがとても気に入って買ってきた絵本です。
ご存知の方も多いと思いますが、これは『ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに 』のオリジナル。

↓こちらが最初に出た『ぼくを探しに』。




私が独身のころ、初めて買った絵本じゃないかと思います。
この絵本のことを知ったのは、内田善美氏の漫画の中だったと思うのですが、どんな絵本だろうとずっと気になってて、ある日京都の本屋さんで偶然見つけたときは、(心の中で)30センチほど飛び上がって喜びました。

まだ若くて、多感な年頃だった(?)私には、とても印象的な絵本でした。

そういうわけで、この『ぼくを探しに』は我が家の本棚にあたりまえのように並んでいて、他の絵本と同じように、長女は小さいときから読んでいて、よく知っていたのでした。
だから、長女の友達から「すごい絵本見つけたよ」と見せられたとき、「知ってる」と言って驚かれたそうです。

でも、その続編も出てるということを知らなかったため、わざわざ高い原書を買ってしまったのですねえ(苦笑)。
迷ったあげく、次女とお小遣いを半分ずつ出し合って買ったようですが、私も千円寄付しました(って、千円だけかいっ)。


今読み返してみても、シンプルなだけにどんなふうにも読み取れる、哲学的な絵本だなあ、と思います。

自分にぴったりの「かけら」を探す「ぼく」。
大きすぎたり、小さすぎたり、ぴったりだと思っても、壊してしまったり、おとしたり。
ようやくぴったりの「かけら」を見つけた「ぼく」は、完全な円になって、ころころ転がることができるようになったのだけれど・・・。

速く転がって、花の香りをかぐこともない。
口がふさがって、歌も歌えない。

「なるほど つまりそういうわけだったのか」

「ぼく」はかけらをそっとおろし、また一人で転がっていくのです。

これが『ぼくを探しに』のストーリー。

続編の『ビッグ・オーとの出会い』では、「かけら」のぼくが自分をどこかに連れてってくれる「かたわれ」を探しています。
でも、ぴったり合ったと思っても、角ばってて転がれなかったり、デリケートすぎて壊れてしまったり。
やっとぴったり合う相手を見つけたと思ったら、自分がどんどん大きくなってしまって、はみ出てしまったり。

気落ちした「かけら」は、ある日ビッグ・オーに出会います。
いっしょに転がりたいのに、完全な円のビッグ・オーには「かけら」が必要ありません。
がっかりする「かけら」に、彼(?)は言います。
自分で転がってみたらどうだい、と。
とがっているから転げないと言う「かけら」に、ビッグ・オーは角はとれる、形は変わると言って去っていきます。

少しずつ自分で動き出そうとする「かけら」。
すると、角がとれ、だんだん形が変わり、自分で転がれるようになるのです。
ころころ、ころころ、転がって、いつの間にかビッグ・オーに追いついて、並んで転がっていくのでした・・・。

う~ん、この年になると、いろいろ考えさせられますね。

いつの日か子どもたちも、自分の「かけら」や「かたわれ」を探すようになるのかな。
うまくいったり、いかなかったりして、そしてある日、ふと気づくのかな。
自分で転がりだしてみよう、って。
そのとき、きっとこの絵本のことを思い出してくれますよね。

そういう私は、どうだったのかなあ・・・。

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今日の収穫

2007-04-21 | 食べること。
ついこの間まで薄ら寒い日々が続いていたのに、今日のなんという暖かさ!
寒がりの私でも、1枚脱ぎ、また1枚脱いで(一体、何枚着てるんでしょうねえ)、Tシャツだけで過ごしたほど。
最高気温は25度あったそうです。
数日前は12度だったんですよ!シンジラレナイ~


そしてこの時期、旬なものといえば・・・ジャーン




竹の子です。

竹の子掘りに行きたくてうずうずしてた長女は、学校が休みになった今日、早速おとーさんについて親戚の山に行きました。
先日行ったときはほとんどなかった、というおとーさんを尻目に、なんと10本持って帰ってきました。

その内訳は、長女6本、次女2本、おとーさん2本。
長女は、ほんの先っちょしか出てないのを見つけるのがうまいんです。
さすが、縄文ジュニアですね~。

義母から糠をもらい、いま湯がいているところ。
当分、竹の子三昧になりそうです 
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『ラスト・イニング』

2007-04-16 | 読むこと。

       『ラスト・イニング』
         あさのあつこ


『バッテリー』大ファンの長女は、その番外編ともいえるこの『ラスト・イニング』が出てるらしいと私がメールした、その帰りに早速この本を買って帰ってきました(本屋に一冊だけ残ってたようです)。

長女が読み、次女が読み、「お母さん、読む?」と聞かれて、ちょっと考え込んでしまった私。
実は、それほど『バッテリー』が好きなわけではありません。
おもしろかったけど、どこかひっかかるところがあって、おまけにスポーツ小説なら森絵都の『DIVE!!』に勝るものはないと思っていたし。
で、長女の友達のところをまわっていったのでした。

先日そのことを思い出し、長女に聞いたらもう手もとに戻っているとのこと。
『バッテリー』では、屈折したキャラとして描かれていた瑞垣の視点で書かれたこの『ラスト・イニング』。
ちょっと、かまえて読み始めたのですが・・・。
読み出すと止まりませんでした

あさのあつこさんは、やはりうまい。
う~ん、なるほどこうきたか、と唸りながら読み終えてしまいました。
思春期のゆらめきやあやうさを、等身大で描けるから若いファンが多いのでしょうね。
もやもや、いらいらするばかりの、思春期特有の自分たちでさえ言葉にできないような思いを、代弁してくれているのでしょう。

『バッテリー』では天才的なピッチャー巧と、彼とバッテリーを組む豪を中心とした物語でしたが、これはその巧の一球に魅せられた、そしてそのため自分の進路さえ変えてしまった門脇と、その門脇のそばで常に屈折した思いを抱き続けた瑞垣の物語です。

『バッテリー』の瑞垣を私はあまり好きではありませんでしたが(長女は大ファン)、彼の視点から読むと、彼の屈折した思いが手にとるようにわかって(本人にはいやなことでしょうけど)、巧や豪よりずっと近しいものを感じます。
彼と似たような思いを私も持ったことがある、きっと誰もがそう感じてしまうのではないかしら。
その思いをこんなふうに小説にできるなんて、そして読者をぐいぐい読ませるなんて、やはりすごい。
たいした文章力です。
個人的には『バッテリー』よりずっと読み応えがあったなあ、と思います。

あさのあつこさんの作品では『No.6』もおもしろいですね。
友情とも愛情とも違う、ふたりの少年の強い絆。
そういう微妙な関係を書くのがうまい作家さんです。

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ヨゼフ・チャペックのイラスト

2007-04-15 | 日々のこと。
↓の記事の、ヨゼフ・チャペックのトートバッグと、携帯のストラップの写真がわかりにくかったので撮りなおしました。


たいしてかわりばえしませんが・・・



この絵柄が気に入ってたんです。

他にもあと1~2種類あって、どれもシンプルで斬新でした。
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