ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

2012年 夏のこと

2012-09-14 | 介護<親たちのこと>
義母が85歳を迎えました。
義父が84歳、実家の父が83歳で亡くなったので、85歳というのは
私にとっては未知の領域。
男性と比べると、どの年代でも女性というものは元気ですね~(苦笑)

ただ振り返って思うのは、義父も父も認知症の症状はあったけれど、
頭はしっかりしてたなあ、ということ。
義父は血管性の、父は頭に水が溜まって、ということで
アルツハイマー型ではなかったせいかもしれません。
父はよく「頭がはっきりしない、もやがかかったようだ」と訴えていました。
あの几帳面でしっかりした父が、症状を自覚するのはつらかっただろうな、
と思います。

義母と実家の母はアルツハイマー型のようなので、
二人とも今しがたの記憶が抜け落ちる、という点では同じ。
自分自身に不安を感じることもあるけれど(だから攻撃的になったり、
精神的に不安定になる)、それすら次の瞬間には忘れてる・・・


これまでひとりが淋しいと訴えてた母は、6月から姉夫婦と同居を始めました。
ところが、環境がかわったせいか攻撃的になり、だんだん
私たちの手に負えなくなってきました。
デイを週2回に増やしたり、アリセプトをやめたり、漢方の抑肝散を
試してみたりしたのですが。
そんなこんなで、この数ヶ月私もブログを書く気にもなれず・・・

このままでは一緒に暮らす姉夫婦がまいってしまうので、
お盆明けに病院を変えることにしました。
実家の近くの心療内科から、うちの近所にある総合病院の精神科へ。
去年まで義母がお世話になっていたところです。

認知症を抑えるというより、なんとか精神的に落ち着いて欲しい
ということでお薬を処方してもらってるわけですが、
そのため認知症のほうはだんだん悪化するばかり。
混乱すると、一時的とはいえ娘がわからなかったり、
誰と一緒に住んでるかも理解できなかったり。
母のことではイライラし、腹立たしいこともたくさんあったけれど、
そんな母を見るのはやはりつらい。
アルツハイマーだといずれ私たちのこともわからなくなってしまう、
というこの病気の残酷さが、現実味を帯びて迫ってきます。
本当に、なんでこんな病気になってしまうのでしょうね。

長年アリセプトを飲んでいる義母も、しっかりしているようで
最近は記憶の欠如が一段とひどくなっています。
もうすぐ姪の結婚式。
義母にしたら、初めて孫の結婚式に出席するわけですが、
何度説明しても「誰の結婚式?」「誰が行く?」
「そんなこと今初めて聞いた」という調子。
先日も「私は行かない」と言い出して慌てたし、しばらく気が抜けません


今年の夏は、いまだに続くこの暑さと、年老いた親たちに振り回されて
過ぎていこうとしています。
記録のつもりで書き留めておこうと思ってたのに、なかなか冷静なれず
結局今になってしまいましたが。

ほとんど回復の見込めないこの病気。
私自身、体力も気力も落ちていくことを思うと
来年はどんな夏になっているのだろうと、今から不安だわ~

でもこの夏、暑さで引きこもっていたおかげで、何年かぶりに
『指輪物語』を読み返しています。
以前映画を観て以来、もう一度原作を読み直したいと思いながら
なかなかできなかったのに、BSで「ロード・オブ・ザ・リング」が
放映されたのをきっかけに、久しぶりに本を手にとってみたら
これがさくさく読めるんですよ。

原作も映画も、ほんとうに素晴らしい作品だとあらためて思います
こんな現実逃避も、いいかも



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雨模様

2012-06-21 | 介護<親たちのこと>
毎年、梅雨は苦手です。
だるい。
眠い。
・・・滅入る。


それに合わせたかのように、実家の母の様子がちょっとおかしい。

姉夫婦が母と一緒に暮らしてくれることになり、先月から
大工さんに入ってもらったり、いらないものを処分するため
私たちも何度も手伝いに行ったりしています。
おかげで物にあふれていた実家はすっきり。
古い物を何度も処分場に運んでくれた義兄や、毎日片付けに
行ってくれた姉には頭の下がる思い。
なのに・・・

どうやら、母にはそれが気にくわなかったようで、
ずっと文句ばかり聞かされます。
おまけに、一段と物忘れがひどくなり、性格も攻撃的に。

認知症の高齢者は環境を変えるとよくない、ということはよく言われる。
母の場合、姉夫婦が実家に移ることになって、環境を変えたわけではないけれど
今まであったものがなくなるというだけで、どうやら精神的に
不安定になってしまったよう。

一緒に暮らし始めてまだ一週間とたっていないのに、
姉はもう疲れきっているみたいで心配です。
まだ自分たちの片付けもすまないのに、母は○○がないと怒り出すし、
姉に頼って買い物すら行かなくなったとか。

私自身、数時間母と一緒にいるだけでその身勝手さにイライラしてくるもの。
それは認知症というだけでなく、母の性格のせいもあるんだろうなあ。

姉が母と一緒に住んでくれて、これでひと安心とほっとしたけれど、
なかなかそう簡単にいきそうもありません


今回片付けをして驚いたのは、母がいかに物を捨てることがなかったか、
ということ。
何十年も前の古い食器の山、布団、あふれんばかりの衣類。
それだけでなく、真新しいフライパンやケトルなど、
買ってしまいこんだものが出てくる、出てくる。
一体どこまでを処分してよいものやら・・・


とりあえず私は、母を反面教師として断捨離することに。
そう決心して、手付かずだったダンボールの箱を開けると、
中からな、なんと、子どもたちの布おむつが(笑)
子供服は定期的に人にもらってもらったり、処分したりしたのに、
ベビー用品やマタニティ用品はそのまま置いていたわけです。

何十年か先に娘たちがこれを見つけて
「お母さん、おばあちゃんにはえらそうに言ってたのにねー」
なーんて言われるところでした


今のうちに、たまりにたまった写真の整理と、
自分の古い日記帳の処分だけはしておこうと、現在密かに進行中。
ただ、こんな雨の日には、少しだけ思い出に浸りたくもなりますけどね。

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春の嵐

2012-04-03 | 介護<親たちのこと>
昨夜は、風が強くてなかなか眠れなかった。
今日は春の嵐。
強風が吹き荒れ、午後には雷が鳴ってどしゃ降りになる。


父の一周忌の後、わりと平穏に過ごしていた母。
(保険証がない、家の鍵がない、ということはあったけれど)
しかし、そろそろ雲行きが怪しくなってきた。
こちらも春の嵐?

今日、ケアマネさんから電話があった。
母が羽毛布団の打ち直しを頼んだらしく、今朝ヘルパーさんが
いるときに業者からお礼(?)の電話がかかってきたというのだ。
しかも、なんと26万!?

すぐに電話するもののつながらない。
こんな天気に買い物でも出かけたのかと気にしながら、
姉たちにメールを打つ。
神戸の姉からは、あまり責めないよう、返信があったけれど・・・

午後、電話に出た母は待ち構えていたように、
自分は騙されていない、向こうはこの羽毛布団は上等だと
わかっているから、打ち直しにそれくらいかかるのだ、と言う。
母の通帳を預かっている私は、そんなことにお金を出せないと言うと
「私のお金や」と怒り出す。
心配して言っているのに、こっちもだんだん腹が立って電話を切った。

もう
本当に何でこんなことになるのだろう。


以前、義父母にも同じようなことがあった。
自然食品などを扱うある大手の店の人がよく出入りしていて、
主人と私は気をつけるよう言っていたのに、知らない間に
高額の布団や浄水器を買っていたのだ。
しかも、本人たちは身体にいいものだと信じて、疑う様子もなかった。
義父が亡くなった後も、義母が11万のコルセットを買ったことがあったが、
そのときは私が気づいてすぐに主人から店側に返却。
11万は戻ってきた。

それだけではない。
置き薬を置くついでに高い健康食品を買わす者もいる。
義母の家は我が家と2軒しか離れていないので、
そういう車が止まっているのに気づいたら、すぐ
主人か私が行って断るようにしている。


しかし、実家の母はそういうわけにはいかない。
今回は、たまたまヘルパーさんがいるときに業者から電話が
かかってきたから発覚したけれど、そうでなければ
母が言うまで全く気がつかなかっただろう。

今ならクーリングオフが間に合うと思うが、問題は
母が騙されたと思っていず、解約する気がないこと

同じようなことが数年前にもあった。
その時は、何十万もする指輪。
もちろん、母はまだ認知症ではなかったが、宝石好きの母は
ローンでそれを購入。
それを持ってきたのは、以前私の着物を何枚か誂えたお店の人だった。
その人は電話できちんと対応してくれたけれど、その指輪が本当に
それだけの価値があるのか、結局私にはわからなかった。

そういえば、先日もわけのわからないサプリメントと1000円の
振込用紙が置いてあったっけ。
勧誘の電話があっても、「けっこうです」ではなく、はっきり
「いりません」と言うように注意したのに。
こんなことが続くようなら、成年後見人制度とか
考えなければいけなくなるのだろうか。
というよりも、もうひとり暮らし自体が無理なんじゃないだろうか・・・



どうやらこちらの嵐は過ぎ去ったようで、明るい日ざしが差してきた。
でも、実家の嵐は当分おさまりそうにないかも・・・


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母のこと <薬>

2011-12-16 | 介護<親たちのこと>
この1~2ヶ月、比較的穏やかな日々が続いた。

実家の母の精神状態が不安定だと、それに振り回される私がイライラし、
そのせいで義母のことが後回しになってしまう。
すると、今度は義母が不安定になって体調を崩す。
そうなると、もう悪循環。
私までまいって寝込むはめになる。

そんなことが続いたこの秋、母と一緒に心療内科へ行った。
認知症を遅らせる薬アリセプトは以前からもらっていたが、
今回は泥棒妄想がひどくなった母の相談をするため。
先生を相手に、母は延々「泥棒さん」が家にいるという話をする。
幻視とは違って、実際見えているわけではない。
記憶力の低下で、自分がしまいこんだことを忘れてしまい、
あったはずのものがない→「泥棒さん」がとった、と思い込んでいる。
それが、冷蔵庫のお菓子がない、押入れの布団が乱れている、
トイレットペーパーが折りたたんでない、ということまで
「泥棒さん」のせいになっている。
ひとりでいる不安から出てくる妄想。

グラマリールを処方され、それが劇的に効いたのか、
母の様子が落ち着いた。
日に何度もあった電話がなくなり、死にたいという言葉もなくなり、
毎日来てもらっているヘルパーさんも穏やかになったと言う。
以前は行くたびにけんかになっていた姉も、仕事帰りに
寄ってくれるようになった。

しかし、泥棒妄想がなくなったわけではなく、話はだんだん
エスカレートしていき、それをあちこちで話すようになった。
その次に受診したとき、先生もその様子を気にされたのか、
お薬を替えて心理検査を行われた。
しかし、その薬が合わなかったようで、母の様子がまた
以前にもどってしまった。

先週、姉が病院へ連れて行ってくれ、前の薬にもどしてもらい
数も1錠ふえたとのこと。
しかし、あまり様子が変わっていないのでお薬のことを尋ねると、
どうやら3錠飲むところを1錠しか飲んでないらしい。
翌朝、慌てて毎日きてもらっているヘルパーさんに薬の確認を頼んだ。
やれやれ。
これで、少しは穏やかになってくれるといいのだけれど・・・


    ・・・   ・・・   ・・・


今日、母の様子を見に行くつもりでいたら、
朝から義母の様子がおかしい。
昨日久しぶりに失くし物をし、どうやらそれをずっと
気に病んでいるようだ。
朝はずっと寝込み、昼食を食べて起き上がれるようになると、
雪が降る寒空をうちまでやってくる。
寒いから暖かくしてうちにいるように言うと、今度は
何度も同じことを電話してくる。
春に白内障の手術をしたときと同じだ。
入院の前日に、何十回と同じ電話をしてきた。
不安になると出てくる症状だけど、こっちもたまったものではない。
何度も言って安心させるのだけど、次の瞬間もう忘れて
同じことを聞いてくるのだから。


義母と母と。
それでなくても慌しい年末なのにな。
とりあえず、深呼吸。

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父のこと <年賀状>

2011-11-16 | 介護<親たちのこと>
今年、実家の父が亡くなり、ひとり暮らしの母は認知症の症状が出ています。
近くに住む主人の母親もそうです。

記録のつもりで、少しずつ親たちのことを書き残しておこうと思います。



   ・・・     ・・・    ・・・



先日、喪中ハガキの枚数を確認するため、母から今年届いた年賀状を預かった。
どこからきたのか、1枚1枚チェックする。
これは親戚、これは父の知人・友人、これは母の友人・・・
ふと、我が家からの年賀状がないことに気がついた。

あっ、そうか。
去年はそれどころじゃなかったんだ。


父が検診にひっかかり、私の家の近くにある総合病院の紹介状をもらったから
一緒に来てほしい、と母から電話があったのは去年の今ごろ。
煙草が大好きで、長年ハイライトを吸い続けた父。
病名は素人の私でも予想できた。

肺がん。

しかし、実際はそう簡単に診断できるものではないらしい。
レントゲン、CT、血液検査、痰の検査、PET・・・
11月は父との病院通いが続いた。
私が結婚して二十数年、いや子どもの頃でさえ
こんなに父と一緒に出かけたことはなかったんじゃないか、
と思えるくらい父と出かけた。

一緒にいる時間がふえると、たまに実家で会う父とは違って
ひどく年老いたことに気づき、戸惑いを感じずにはいられなかった。
昔、鶴田浩二に似ているとも言われたことのある父は、
80歳を過ぎても若く見られ、頭もしっかりしていたのに。


11月後半から12月にかけては、病院へ、あるいは実家へと
走り回る日々が続いた。
父の検査で半日つぶし、昼食もとらずに家へ戻ると
今度は義母が点滴を受けに病院へ行っていた、
ということもあった。

父の症状が急激に悪化し、どうしたらいいのかわからなくて
頭を抱えたことは何度もあったけれど、私にはめずらしくパニックに
なることはなかったような気がする。
たぶん、目の前の壁しか見えず、それを乗り越えることに精一杯で、
その向こうの大きな壁のことを考える余裕がなかったからかな。

それに、大掃除も年賀状もすっぱりあきらめた。
その分主人ががんばってくれた、と思う。
風呂場をピカピカにし、年賀状は結婚して初めて
担当してくれたのだから(笑)

私は、お正月になってから届いた年賀状の返事だけを書いた。
なので、実家への年賀状を出せなかったのかもしれない。



去年の今ごろを思い出すと不思議に頭に思い浮かぶのは、
青空を背景に歩く父の後ろ姿。
時雨の多いこの時期にしてはめずらしく、
父と病院へ行く日は晴れていることが多かったからだろう。
ただ、父がどんな表情をしていたのかは思い出せない。


今年は早々に喪中ハガキをプリントアウトした。
毎年自作の絵を年賀状にしていた父が、去年はせめて文章だけでもと
震える手で書いたのに、かわりに出してあげることができなかった。
それが今になって悔やまれてならない。


コメント (7)
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