ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

年をとる、ということ

2006-09-27 | 読むこと。
いつのまにか敬老の日が過ぎていました。
毎年とりたてて何かをするわけではないのですが、今回は義父が肺炎で入院して淋しがっていたので、子どもたちが湯飲みを買ってプレゼントしました。

ハッピーマンデーとやらで敬老の日が9月の第三月曜になってしまい、なんとなく落ち着かないのは私だけでしょうか。
連休になったのはうれしいけれど、そっちに気をとられ、祭日本来の意味が希薄になってしまったような気もします。
今日は休みだけど、ええーっと、何の日だっけ?って、みんな思わないのかなあ。



私が所属する絵本のサークルでは、年2回ほど絵本を紹介する小冊子を出しています。
今月その小冊子を発行しました。
テーマは敬老の日にちなんで「見つけたよ!こんなおじいちゃん あんなおばあちゃん」。
その中で私が紹介したのはジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』と佐野洋子さんの『だってだってのおばあさん』。
私が紹介するまでもなく、どちらも名作で私の大好きな絵本です。

『だってだってのおばあさん』に出てくるおばあさんはかわいくて、私も98才になったら「だってわたしは二十歳だもの」とか言ってお洒落して遊びまわりたいものです(チョイワルばあさん?)



『だってだってのおばあさん』


一方バーニンガムの『おじいちゃん』。
私にはおじいちゃんというものがいなかったので(戦争で亡くなったそうです)、よけいに印象に残っているのかもしれません。
おじいちゃんと孫娘が過ごした時間が、まるで上質の短編映画のように描かれているのです。

バーニンガムの絵本は、子どもならではの想像力に満ちた世界を描き、ときには大人を皮肉ったりして、私の大好きな絵本作家のひとりですが、この絵本はそれらとも少し違う、しみじみとした情感のこもった作品となっています。



  『おじいちゃん』


絵本の中には、おもしろくて、パワフルで、素敵なおじいちゃんやおばあちゃんがいっぱい、ですが。
これから日本も高齢化社会になっていくのに、現実は必ずしも絵本のように楽しい余生とは限りません。
私の祖母も痴呆症だったので、その悲しい現実を目の当たりにしてきました。
あの気の強かった祖母が・・・と、はじめのうちはそのギャップにとまどうばかり。
当時は今のように介護保険もなく、情報もなく、母とふたり頭を抱え込んでいました。
家族を巻き込んで、戦いのような毎日。
本人もつらかったでしょうが、私たちも疲れきっていました。
それでも少しずついろんなサービスがあるのを知り、それを利用しながら母は自宅で祖母を介護しました。
私が結婚して3ヵ月後、祖母は家のベッドの上で息を引き取りました。

そして今、私たちの親がそういう年齢になってきています。
我が家ではどちらの両親も健在で、おかげで私たちもあまり悩まずにきたわけですが、そろそろ考えなければならない時期にさしかかってきたようです。
日々衰えていく親たち。
一年後、二年後どうなっているかなあ、と思うと・・・。
頼むから、みんないっぺんに倒れないでよね、と願うばかりです。
もし、親を介護する日が来たら・・・。
そのときはもう居直って、ブログでくっちゃ寝の介護日記でも始めようかなあ。
コメント (2)
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