いつのまにか敬老の日が過ぎていました。
毎年とりたてて何かをするわけではないのですが、今回は義父が肺炎で入院して淋しがっていたので、子どもたちが湯飲みを買ってプレゼントしました。
ハッピーマンデーとやらで敬老の日が9月の第三月曜になってしまい、なんとなく落ち着かないのは私だけでしょうか。
連休になったのはうれしいけれど、そっちに気をとられ、祭日本来の意味が希薄になってしまったような気もします。
今日は休みだけど、ええーっと、何の日だっけ?って、みんな思わないのかなあ。
私が所属する絵本のサークルでは、年2回ほど絵本を紹介する小冊子を出しています。
今月その小冊子を発行しました。
テーマは敬老の日にちなんで「見つけたよ!こんなおじいちゃん あんなおばあちゃん」。
その中で私が紹介したのはジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』と佐野洋子さんの『だってだってのおばあさん』。
私が紹介するまでもなく、どちらも名作で私の大好きな絵本です。
『だってだってのおばあさん』に出てくるおばあさんはかわいくて、私も98才になったら「だってわたしは二十歳だもの」とか言ってお洒落して遊びまわりたいものです(チョイワルばあさん?)
『だってだってのおばあさん』
一方バーニンガムの『おじいちゃん』。
私にはおじいちゃんというものがいなかったので(戦争で亡くなったそうです)、よけいに印象に残っているのかもしれません。
おじいちゃんと孫娘が過ごした時間が、まるで上質の短編映画のように描かれているのです。
バーニンガムの絵本は、子どもならではの想像力に満ちた世界を描き、ときには大人を皮肉ったりして、私の大好きな絵本作家のひとりですが、この絵本はそれらとも少し違う、しみじみとした情感のこもった作品となっています。
『おじいちゃん』
絵本の中には、おもしろくて、パワフルで、素敵なおじいちゃんやおばあちゃんがいっぱい、ですが。
これから日本も高齢化社会になっていくのに、現実は必ずしも絵本のように楽しい余生とは限りません。
私の祖母も痴呆症だったので、その悲しい現実を目の当たりにしてきました。
あの気の強かった祖母が・・・と、はじめのうちはそのギャップにとまどうばかり。
当時は今のように介護保険もなく、情報もなく、母とふたり頭を抱え込んでいました。
家族を巻き込んで、戦いのような毎日。
本人もつらかったでしょうが、私たちも疲れきっていました。
それでも少しずついろんなサービスがあるのを知り、それを利用しながら母は自宅で祖母を介護しました。
私が結婚して3ヵ月後、祖母は家のベッドの上で息を引き取りました。
そして今、私たちの親がそういう年齢になってきています。
我が家ではどちらの両親も健在で、おかげで私たちもあまり悩まずにきたわけですが、そろそろ考えなければならない時期にさしかかってきたようです。
日々衰えていく親たち。
一年後、二年後どうなっているかなあ、と思うと・・・。
頼むから、みんないっぺんに倒れないでよね、と願うばかりです。
もし、親を介護する日が来たら・・・。
そのときはもう居直って、ブログでくっちゃ寝の介護日記でも始めようかなあ。
毎年とりたてて何かをするわけではないのですが、今回は義父が肺炎で入院して淋しがっていたので、子どもたちが湯飲みを買ってプレゼントしました。
ハッピーマンデーとやらで敬老の日が9月の第三月曜になってしまい、なんとなく落ち着かないのは私だけでしょうか。
連休になったのはうれしいけれど、そっちに気をとられ、祭日本来の意味が希薄になってしまったような気もします。
今日は休みだけど、ええーっと、何の日だっけ?って、みんな思わないのかなあ。
私が所属する絵本のサークルでは、年2回ほど絵本を紹介する小冊子を出しています。
今月その小冊子を発行しました。
テーマは敬老の日にちなんで「見つけたよ!こんなおじいちゃん あんなおばあちゃん」。
その中で私が紹介したのはジョン・バーニンガムの『おじいちゃん』と佐野洋子さんの『だってだってのおばあさん』。
私が紹介するまでもなく、どちらも名作で私の大好きな絵本です。
『だってだってのおばあさん』に出てくるおばあさんはかわいくて、私も98才になったら「だってわたしは二十歳だもの」とか言ってお洒落して遊びまわりたいものです(チョイワルばあさん?)
『だってだってのおばあさん』
一方バーニンガムの『おじいちゃん』。
私にはおじいちゃんというものがいなかったので(戦争で亡くなったそうです)、よけいに印象に残っているのかもしれません。
おじいちゃんと孫娘が過ごした時間が、まるで上質の短編映画のように描かれているのです。
バーニンガムの絵本は、子どもならではの想像力に満ちた世界を描き、ときには大人を皮肉ったりして、私の大好きな絵本作家のひとりですが、この絵本はそれらとも少し違う、しみじみとした情感のこもった作品となっています。
『おじいちゃん』
絵本の中には、おもしろくて、パワフルで、素敵なおじいちゃんやおばあちゃんがいっぱい、ですが。
これから日本も高齢化社会になっていくのに、現実は必ずしも絵本のように楽しい余生とは限りません。
私の祖母も痴呆症だったので、その悲しい現実を目の当たりにしてきました。
あの気の強かった祖母が・・・と、はじめのうちはそのギャップにとまどうばかり。
当時は今のように介護保険もなく、情報もなく、母とふたり頭を抱え込んでいました。
家族を巻き込んで、戦いのような毎日。
本人もつらかったでしょうが、私たちも疲れきっていました。
それでも少しずついろんなサービスがあるのを知り、それを利用しながら母は自宅で祖母を介護しました。
私が結婚して3ヵ月後、祖母は家のベッドの上で息を引き取りました。
そして今、私たちの親がそういう年齢になってきています。
我が家ではどちらの両親も健在で、おかげで私たちもあまり悩まずにきたわけですが、そろそろ考えなければならない時期にさしかかってきたようです。
日々衰えていく親たち。
一年後、二年後どうなっているかなあ、と思うと・・・。
頼むから、みんないっぺんに倒れないでよね、と願うばかりです。
もし、親を介護する日が来たら・・・。
そのときはもう居直って、ブログでくっちゃ寝の介護日記でも始めようかなあ。
『そのときはもう居直って、ブログでくっちゃ寝の介護日記でも始めようかなあ』
ほんとにそうなんですよ。もしも自宅介護をしなければならない状況になったら、「明るさ」「軽さ」がなければやっていかれません。
私の父は、3年間くらい自宅介護で、もっとも悪い時は、要介護4でした。でも、母と、私たち夫婦と、近くの市に住んでいる私の妹とで、協力して、なんとかやってましたね‥。もちろんヘルパーさん、看護師さん、お風呂サービスは頼んでいたけれど。
それと、孫の存在は大きかったかな?
実際には役に立つことはほとんどできないんだけど、新聞持っていったり、ちょっとした学校の話をしに行かせたり。そんなのが、「笑い」の元になっていた気がします。
rucaさんのお父さまが亡くならたことは知っていましたが、ずっとご自宅で介護されていたのですね・・・。
要介護4というと、ご本人も家族の方も本当に大変だったと思います。
実は義父は要介護1だったのですが、今回の入院で少し症状が悪化したようです。
毎日の生活は義母にまかせっきりですが、話し相手が欲しいのか、退院後おぼつかない足取りで毎日私たちのところ(事務所)にやってきます(すぐ近所なので)。
話はとりとめもなく、自分でもだんだん何を話しにきたのかわからなくなってしまうようで・・・。
ケアマネージャーさんと相談したりしていますが、大正生まれで気難しい義父のこと、ヘルパーさんを頼むのもなかなかです。
これからどうなるのかな、と思うとかなり不安。
そうですね、そういうときこそ「笑い」が大切なんですよね。
祖母のときは私も若かったし、母と二人だったので、とてもそんな余裕はありませんでした。
今は家族もいるし、介護保険もあるし、「そのとき」がきても肩の力を抜いてやっていきたいと思います。
近くに年老いた親が4人いるのでね、くっちゃ寝の介護日記も現実味をおびてきますよ~。