ある米国でレストランを営む日本人シェフが、おもてなしの心は万国共通だと。ハーバード大学のサンデル教授は、自分の授業に日本人が控えめということはないはず。確かに集まった学生は東大やその他の学力ある学生ばかりで発言したがりだから、無言ということでもなかった。ただし、彼の上手い所は、テーマを万民共通の心理へ持ち込むことだ。こちらが議題を選んでいいのであれば、「何故アメ車は日本で売れないか?どうしたら売れるか?」という議題で話しこんでもらいたいものだ。そうすれば、国によるニーズの違いがくっきりと浮かびあがるはずだ。さらには、メーカーの取り組み姿勢の違いも浮き彫りになるはずだ。小生の意見は、確かに共通項目もあるだろうが、小生のマーケティングの経験則から言えば、国による違いに翻弄されることが実際は多く、原理原則の共通項をいくら強調したところで、マーケティングを成功へは導けない。そのような個別対応のマーケティングを展開しないから、アメ車は日本では売れないし、すでに米国メーカーはいずれも日本市場をターゲットと設定していないので、さらに売れないはずだ。
家電製品の米国でのマーケティング会議。中身の製品は決定しているので、パッケージの話題になる。パッケージのデザインをどうしよう、こうしようと白熱。でも日本では、店頭でのディスプレイ自体に、中身の製品そのものを陳列しているため、正直、パッケージのデザインなんてどうでも構わない。意見を求められても、そのように実態、事実を告げるだけだ。子供用の玩具、TOYなどは別で、パーッケージもカラフルに作らないと競合しているものから見劣りする。ただし、一般の製品については、いくらパッケージデザインが目を引いても、肝心の中身の製品に魅力がなければ、やはり売れない。そこを強調してもかみ合わない。確かに、米国の電気ストアに入ると、パッケージに入った形で並べられているので、もし無地の段ボールならば識別ができない。このような根本的な違いというものは存在するのだ。
日本には、理髪店、美容室が、35万件以上ある。人口が3倍ある米国はその3分の1の数で対応している。日本は、コンビニの6倍の数もの髪を整える場所が提供されている。自ずと、競争も激しく、客の争奪戦になるし、付加価値のついた上級のサービスとなれば価格も逆に跳ね上がり、それでも人気店は繁盛していく。米国人もびっくりするぐらいの価格設定となる。そうかと思えば、全体のパイは決まっているので、1日にこなす客数は、はやらない所では、少なく、しかも低価格設定となると経営維持が大変だ。その点、米国では3倍もの顧客があり、しかも競争者の数が少ないので、それなりに余裕のある経営が可能だ。そうなるとデザインカットなど期待しても無理だ。切磋琢磨が少ないから。日本人やイタリア、フランスのデザインに対する品質が向上する。
事、マーケティングに関しては、西洋、欧米で成功したからといって、そのままの形だけで東洋で上手くいくということはないというのが、小生の心情である。(食品などでも、外見のパッケージは似ていても、中のレシピ、味付けが海外で売られているものでは全く違うということにもよく出くわすことがあるというのも、その現われだ。)