現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

陰、日向(ひなた)なく.....

2014-07-22 | Weblog

AMラジオ番組の中で、この言葉が出てきたのだが、そういえば、この表現もあまり巷では言わなくなって、使われなくなったという気がした。ただの直感であるが。「陰、日向なく」 とか、「裏表なく」 と、昔はその時その時に応じて、指摘されたような気がする。それに続くのが、神様は見ているから、いつかは報われる、などと言う言葉がつくこともあった。報われたのか報われてないのか、よくわからない。最近の、やばくない、とか、やばい とか、あまり好きにはなれないけれど、いつでも時の流れとともに、言葉も変化していっているので、この事柄にかみついても仕方ないかと最近になってようやく気づき始めた。江戸、明治、大正が、どんな環境だったかはわからないが、いずれにせよ、1945年8月15日から、戦後の立ち直りがスタートしたのだから、わずか69年の間に、周囲の環境が変わっていき、現在に至っているだけのことだ。自分の父親も母親も、それぞれの年を経るごとに、今までなかったものや、手に入らなかったものが、次から次へと登場してきて、それらを受け入れてきたのだろうから、親と言ってもオールマイティの存在でなかったのだ。

1945年以前の日本と米国が戦争状態の時に、米国での日本の調査結果が存在し、日本という国は、資本主義でも社会主義でも、共産主義でもなく、独自の工業生産体系を作り上げており、一糸乱れず、というか、一心不乱に、、国民が行進して歩き、女工さん達が工場でさぼることもせず、同じペースで作業を行い、他国ではマネのできない生産性を維持する国、国民と紹介されている。また、1950年に警察予備隊(いわゆる軍備をもった部隊)が結成される時も、アメリカ軍は、アジア地域で防波堤になり得る国は日本が最適と判断があったとのこと。それゆえ、いったんはGHQが日本の再軍備など放棄させていたのに、あえて結成させるに至ったのである。米国としては、この時点から、日本の防衛を100%米国ができるわけがなく、義理もない。はたまた、駐留や防衛にかかるコストなども、当然とばかり日本負担となっており、このようなことの基本対応はこの当時から、おそらく何も変わっていないのだろう。それが、1960年の日米安全保障条約につながっていく。連合軍総司令官マッカーサーの隊列に、沿道に立っている日本人の男子による警備班の全員が背を向けて立っている。抗議のポーズなのだろうが、誰が指示したのか知らないが、正直に言わせてもらうと、子供がすねている風としか感じなかった。戦争に負けたのだから、仕方ないと割り切るしかないように思うのだが。先に書いたように、一糸乱れず、というような精神構造を国民の中に持たせるような体制が、神風特攻作戦を生み出したのであろう。手段としては自爆テロと同様だ。違いは、相手が無差別でなく、間違いなく敵方の軍備破壊だけが目的となっている点だ。正直なところ、このあたりの責任論について国内で議論されている場面をみたことがない。このあたりが、真摯に反省をしていないと突かれる核心のひとつがあるように思える。

広島や長崎の原爆投下直後映像だけを見るかぎり、ドイツのユダヤ人虐殺映像と変わらない。現に形式だけだが、極東軍事裁判(東京裁判)の冒頭で、戦争という犯罪は、裁判する、裁くことが、そもそも可能な性質の事柄なのかという、やりとりは一応あった。結論的には、それは却下され、すぐに具体的な審判へ移行していくのだが。

戦前の精神構造と、戦後のそれとが、どのように変化してきているのかはわからない。ただ、何でも右へならえ、という精神はまだ今でも残っているように思う。自分だけの独断だが、豊臣秀吉やとくに、徳川家康から始まる江戸時代に、もともと素質はあったけれども、物申せない精神構造の育成がなされてしまったと考えている。織田信長がまだ天下統一していなかった当時のほうが、多少は自由、博愛精神が強く残っていたのではと思いを巡らせている。日本ではタブー視されている事柄があって、触らぬ神にたたりなし、ということが根底を、どろどろと流れている。そこに踏み込む勇気と、それに基づく謙虚な姿勢を示すことができた時に、この国は大きく変わるのだろうということを信じたい。

これも小生の独断だが、米国が生まれかわるには、①黒人の大統領が誕生すること②ヤード・ポンド、インチ法でなく、メートル・グラム法を正式に採用すること③レターサイズがA4に統一すること の、3つを以前から挙げてきた。このうち、①については、小生の予想以上に早く実現してしたが、継続性が難しいと思える。また元にもどっていくだろう。ただ実現したことは画期的である。②と③については、30年、50年スパンで変わるか、変わらないか、そんなところじゃないのかなあ? 要は米国も、簡単には変化しないということだ。