映画の和名タイトルをつけるのに、原題そのもののものあれば、まるで無関係にタイトルをつけている場合も多い。例えば、あなたが寝てる間に(While you are sleeping,) や、ダイハードなどは、そのままだろうが、たとえばスチーブンセガールなどのシリーズは、何故か、沈黙の。。。というタイトルばかりだ。このように、双方にとって原題そのもののではわからないだろうとの配慮からか、受けがいいようにとの企画からか、いいのか悪いのかわからない。一種のごまかしのようにも思えるが。
先日、集団的自衛権の閣議決定後に、沖縄県の駐留米軍兵士に、集団的自衛権という言葉をそのまま直訳して尋ねていたが、きょとんとして、米軍とチームで作戦遂行するといったら、それは、とてもいいことだとの回答ばかりのインタビューシーンがあった。小生の対アメリカ人との日本に対する理解度や、日本語のもつ特殊性などからみても、集団的自衛権などという言葉が通じるのかな?という疑問を抱いている。対USAに対しては、もっと率直な表現で双方で言葉が飛び交っているのではないかと勘ぐってしまう。それとは正反対に、日本国内では、集団的、集団的自衛権という言葉を連呼して、日本人でも何が、集団的で、何が個別的かも理解し難く、はたまたチーム交戦権などという言葉を使ってしまった挙句は、猛烈なしっぺ返しがくることを恐れて、得意中の得意技の、玉虫色というか、グレーというか、何度聞いてもわからない単語の中に、核心がぼやけてしまっている決着へもっていかれた感がある。そうだとすると、いわゆる、キツネにつままれた、してやられたといった具合とも言ってられない事態である。湾岸戦争時、米軍ですら、国会議員の子孫は全くといいほど派遣されておらず、いわゆる貧困層の志願してでも生活費を稼がざるを得ない層が圧倒的多数を占める。繰り返し言うが、小生の経験から言わせてもらうと、米国人には、個別も集団も、何を言っているのか意味がわかりましぇーーん、と、片言の日本語で言い返されておしまい、となると思うけど。
消費税の低減税率理論が出てきた。検討することが自公の間の約束事だから止むを得ないが、何事にも些細なことにこだわる日本人の国民性においては、全くなじまない議論を繰り返すだけという状況が見えている気がする。なんか最終的には、すごく大くくり、もしくは、かなりの限定的なところでの幕引きとなるであろう。ああだ、こうだと専門家や、各人のコメント、町の人々の勝手な、今でいう、ツイートの洪水などを、これから散々聞かされた挙句に、とりあえず一律8%ではなく、生活に直結するような点などを十分考慮しましたが、その結果、とりあえあずの配慮のみの決着に落ち着いていくような予想をしている。