現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

こんな風に決めつけられないと思うけれど、、、、

2014-07-31 | Weblog

最初の北欧系の外資を退職となった時、それから数年も経ってから、ある人から 「退職後は競合相手の会社へ行った」 ということになっていたらしい。どうして、そんな話になったのかまでは全くわからなかったし、こちらも 「そんなことどうでもいいや」 と思っていたので、バックグランドはわからないまま。そのことを聞いた時に、逆に 「そういう選択肢もあったのだ」 と、思いつかされたものだ。かなり本気で。 自分としては、競合先への糸口などもわからず、また、そんなことをしても、短期間だけは重宝されるだろうけれどと思っていたので、その気は全くなかった。

その後、正直、結構、紆余曲折が続く。都度ベストを尽くしたつもりではいるけれど。一番の収穫は、人というもの、自分という者、つながりということ、先人が残してきたもの、エゴということ、力の前には卑屈ともいえるということ、人間性ということ、社会のなりたち、等々、頭でなくて、体で精神で勉強させていただいた。ある組織に属しているという前提条件の中でのことに限定されると思うが、自分が働いている環境や、私的に関わっているグループなどで、自分自身が去っていくこともあれば、去っていかれた方々もいるが、さっくりではあるが、動きがある方々のほうが、魅力があり、個性があり、周りとの調和も常に思考の片隅に置いており、それなりにバランス感覚があり、多少ではあるが、自己犠牲もいとわないという精神力も備えている、と思われるような人たちが多かったと、思う。一言で言いかえれるならば、”はみだし者” と言えるわけだが、正直、それら”はみだし者” 達のほうが、概して人間味を感じられたというのが、偽らざる気持ち、それが100%ではないが、そういう風にフィーリングとして響いてきていたように思う。

人間味って、なんなんだろう? ひとつはその人に対して自然体でいることができるということだ。さらには自分にとって共鳴できるエリアが大きいということだろうか? 情を感じさせてもらえるということも大切だろう。 逆に思う方もいるとは思うが、右か左か比較的はっきりさせようと考えようと努力しているということもあるのではないかと思っている。右、左、グレーゾーンの3つを均等に語っていてもなんの面白みもなく、そんなことは当たり前のことで、自分なりのわかりやすい具体的な信念を表に現してくれる人でないと魅力となっていかないだろう。(教科書やマニュアルを読み上げたり、説明するだけでは、教科書やマニュアルの現物だけ置いてあればいいのであって、人の存在意義は失われていることと違いはなかろう。)

1990年のドイツ・ベルリンの壁崩壊や、たまたまそれまでに至る少し数年前のソ連・モスクワへ数日、滞在していて、モノがこんなにもないのかということを実感させてもらったが、その時点ですでにソ連やモスクワ自体になんのパワーや魅力を感じなかった。冷戦時代というが、このころのソ連はどこの国と戦争をやっても勝てなかったであろう。脅威でもなんでもなかったように思う。唯一の恐怖は、もうどうにでもなれ という、ひらきなおりだけであったろう。チェコ、ポーランド、東ドイツの民衆のパワーは、すさまじいものがあったと想像するが、要は瀕死寸前までいったからこそ、政権、権力では空腹は満たすことができないところまでいってしまっていたのだ。このような極限までいくと、民衆、大衆は自ずと立ちあがるということを現代という時代に示した具体事例だが、そのような骨太は残っているだろうか? 小さな発言のあげ足取りばかり追っかけていたり、どうでもよいような事柄を事さらに強調しているようではどうしようもないし、国の中枢たるところが、噂、風評、風向き、など相手にしないで、ゆるぎのない強い気持ち、方向を示すことこそ必要に思う。保身ばかり気にする者たちに委ねていても、ワクワクする、今、生きていてよかったと実感できる環境などは永遠に訪れない。 

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