゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

映画の言霊「姑獲鳥の夏」

2007-10-15 14:30:00 | 映画
姑獲鳥の夏『魍魎の匣』公開記念版 姑獲鳥の夏『魍魎の匣』公開記念版
価格:¥ 1,980(税込)
発売日:2007-12-07

「姑獲鳥の夏」(実相寺昭雄監督、2005年、日) 昭和二十七年夏。                          高名な産婦人科医・久遠寺の娘が妊娠二十ヵ月となる怪異が起き                            ていた。古本屋・京極堂の店主であり神社の神主である中禅寺明彦                          は、旧友・関口らとその謎に迫ることに・・・。

幽霊なんていない。宇宙人なんてウソっぱち。妖怪なんて信じない。                           そう断言する人たちを見ていると、ちょっと気の毒だなぁと思う。「見て                          ないから信じない」ならまだしも、「あり得ない」と切ってすてる姿勢は、                         あまりにも人生を狭くしていると思うのだ。「この世には、不思議なこと                          など何もないのだよ、関口君」彼らは中禅寺のセリフに「その通り」と                           うなずくのだろう。しかし言葉の真意は違う。これは、この世のものに                           はすべて理由や原因がある、それを突き詰めれば、理解できないこと                          など何もないのだ、という意味だ。そう、幽霊だって突き詰めれば、い                          つかその存在が証明されるかもしれない。それを機に、幽体組成の                           研究から新たな人体の秘密が分かり、治療や延命に役立ったりする                           ことも・・・などと考えていくだけで私は楽しいが、切り捨ててしまえば                            イマジネ-ションは広がらず、残るは「無」ばかり。断言する前に、それ                         が存在する可能性に思いをはせてみる。あり得た場合のことを想像し                          てみる。そのゆとりと想像力が人生に与える豊かな幅を、あえて断ち                          切るなんてもったいない。しかも「あり得ない」には、心の筋肉を固くし                          てしまう作用がある。すると、想定外のことに非常に弱くなる。そんな                           とき、幽霊や妖怪にでくわしたらパニックだ。いや、これは比喩。出合                           いかねない本当の「不思議」とは、実は人間の心の在りよう。それは                          時に恐ろしい怪物や残忍な鬼と化すことがある。いざでくわして、信じ                          られない・・・と慌ててふためかないためにも、柔軟な心持ちが大切。                          不思議なことなど何もない。こんなことはあり得ない、ということは、                            あり得ないのだよ、関口君。(重田サキネ=ライタ-)

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