゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

百家争鳴 「素人」の教育論

2013-04-12 19:31:00 | 人物100選

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長生きはつらい !?

2012-12-03 17:28:00 | 人物100選

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日本人には魚が不可欠

2012-11-20 18:58:53 | 人物100選

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できることは自分でやる。生き生きとした高齢者増やそう

2012-10-01 15:37:29 | 人物100選

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運命は自分でデザインできる 日野原重明

2012-09-25 16:52:00 | 人物100選

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はなし抄「冬眠状態」の子供たち。まずは朝ご飯を食べよう

2010-06-02 19:46:02 | 人物100選

東海大学体育部教授 小沢 治夫さん

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筑波大学付属中・高という学校で、保健体育教員を25年間やっておりました。当時はサッカ-部の監督です。30年前は、授業中に寝ている生徒はゼロでした。先生が授業をやっていれば、生徒たちはみんな聞いていたものです。ところが、20年ぐらい前からなんか駄目なんです。じっとして聞いていられない。怒ると泣いちゃう。男子高校生がですよ。

◇  ◇  ◇

元気がなくなってしまっているんです。どうしてなのか。体がおかしいのではないのかと考え、生徒の血液検査をやってみたんです。そうしたら(血液中で酸素を運搬する)ヘモグロビンが足りない生徒が42%です。こんなに貧血がいるのかと。脳の温度が下がると眠くなってしまいます。そこで脳に近い場所である鼓膜の温度を測ってみたんです。朝食抜きは、みんな体温が低く、朝食をとっているのは体温が高かったんです。つまり、寝てしまう子供たちには、理由があったんです。貧血になっちゃう、低体温になっちゃう。こうした「冬眠状態」の子供たちは小学校、中学校、高校、大学のどこにでもいるのです。しかも、小学校から大学に進むにつれてどんどん増えていくんです。体温が高いグル-プと低いグル-プに「通学意欲はありますか」とアンケ-トもしてみました。すると、体温が低いグル-プで通学意欲があるのは、わずか4分の1です。体力も学力も朝飯を食べている方が抜群にいい-。次々とそうした研究発表をやっていきました。その結果、文部科学省のワ-キンググル-プのメンバ-に呼ばれました。朝食をたくさん食べている生徒ほど、各教科の点数が高いことが文科省も分かり、「早寝早起き朝ごはん」キャンペ-ンの根拠になっているんです。日本の子供たちに何が起きているのか分からず「起きてろよっ」とついやってしまいがちです。しかし、子供が起きていられない体だとしたら、やるべきことは、怒ることではない。まず体を治すことなんです。朝、強い光を目に入れると、14~16時間後に「メラトニン」が出て、自然に眠くなるんです。メラトニンというのは脳の「松果体」という部分から出る眠りを誘うホルモンなんです。このメラトニンのサイクルは今、世界中で狂っています。原因はテレビの深夜化、携帯、ネットというニュ-メディアです。電子的なツ-ルによって、みんな夜更かしをしてしまう。こうしてメラトニンサイクルが狂ってしまったのです。風車というのは、全体に風が当たっても回りますが、1枚の羽根に息を吹きかけても回るんです。習慣を変えれば行動が変わる。行動が変われば、態度が変わり、豊かさが変わります。風車のようにうまく回っていくのです。なんでもすべてをやろうとするのではなく、まずは朝食を食べれば、力を発揮できる。力を出せば、心地よい疲れで湯船につかって、ぐっすりと眠れる。そうすれば、また朝ご飯を食べる。学力も気力も体力も上がっていくということです。それぞれやることがある。でも、どれかをやれば必ず成功する。これを私は「風車理論」と呼んでいます。

◇  ◇  ◇

今、「日本の若者はダメだ」と言われていますが、それは私たち大人の責任だろうと思います。「それはダメだ」と明確に言わないからです。私たちは子供にモデルを示す大人です。しかし、そうした大人が極めて少なくなったのです。子供の問題は私たち大人の問題です。大人が頑張って、子供にモデルを示して育てていかなければならないのです。

※おざわ・はるお 1949年、静岡市生まれ。75年、東京教育大大学院体育学研究科終了。78年から25年間、筑波大付属駒場中・高で保健体育教諭を務める。2003年から北海道教育大釧路校教授。07年から現職。専門は発育発達学など。

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イザベラ・バ-ドの道 横浜から平取へ

2009-07-04 17:06:29 | 人物100選

130年前の北紀行たどる

イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871) イザベラ・バードの日本紀行 (上) (講談社学術文庫 1871)
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2008-04-10

イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872) イザベラ・バードの日本紀行 (下) (講談社学術文庫 1872)
価格:¥ 1,313(税込)
発売日:2008-06-10

英国人女性旅行家いざべラ・バ-ド(1831~1904)の旅行記「日本奥地紀行」で記された1878年(明治11年)の東北、北海道の旅から昨年で130年たったのを機に、後志管内積丹町出身の元商社マン、釜澤克彦さん(70)=川崎市在住=が足跡をたどり、旅の記録をまとめた本「イザベラ・バ-ドを歩く」(彩流社 1890円)を出版した。

100_7199 積丹出身の釜澤さん出版                                         「何げない農村 美しい」

釜澤さんは北大を卒業して三井物産へ入社。札幌と東京のほか、ニュ-ヨ-クやロンドンなどで勤務した。十数年前、知り合いの英国女医へ「日本奥地紀行」の英語版をや贈ったのをきっかけに「バ-ドの旅した道が今どうなっているか報せたい」との重いを抱いた。定年退職後、大学の非常勤講師だった2007年5月から昨年10月までの間、バ-ドの旅した横浜から日高管内平取町までのル-トを区切り、十数回の小旅行を重ねた。バ-ドは馬と人力車の旅。釜澤さんはJRとレンタカ-のほか、峠道は歩いて一人旅した。地方の過疎化と公共交通の不便さを感じながら「バ-ドも絶賛した何げない農村の風景が美しいことに気付いた」。函館が北上して噴火湾沿いをたどり、日高へ向かう道では「バ-ドは北海道の自然景観やアイヌ民族の人たちとの交流がいちばん楽しかったのではないか」と感じた。本では、バ-ドの旅から130年後の風景の移り変わりをカラ-写真で紹介するとともに、バ-ドの日本人観や、幕末から明治にかけての東北と北海道の歴史についても記した。釜澤さんは「バ-ドが旅した道は道内でも観光ル-トになります」と関心の高まりに期待している。

イザベラ・バードを歩く―『日本奥地紀行』130年後の記憶 イザベラ・バードを歩く―『日本奥地紀行』130年後の記憶
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-06

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東川町に移住の南さん(33)

2009-06-10 18:23:06 | 人物100選

夢は無農薬米作り  技術者から農業研修生

100_7174 24歳のあの時までは、何となくシステムエンジニア(SF)として生きていくのだと思っていた。9年たった。今春、札幌から上川管内東川町に、妻子と移住した南直人さん(33)。農業研修生として新たなスタ-トを切った。夢は稲作農家。しかも無農薬で作りたいと思っている。同管内東神楽町で生まれ育った。両親は兼業農家。高専を出て、SEとして都会で職を得ていた息子の転身、「なんで今更」と反対された。南さんの決意は翻らなかったが、親の思いも分かるという。幼いころ、靴下は穴だらけ。縫って閉じていたため、「ゴテゴテに固かった。裕福な暮らしではなかった」(南さん)。自分たちも食べていけるようになるのは大変だろう。でも、1歳の長男天地ちゃんに、この手で作ったものを残してやりたい。南さんもまた、親としての思いがある。転機は24歳の晩秋。取引先に向かうべく、車で支笏湖沿いの小雨ぱらつく道路を走っていた。わだちにハンドルを取られ、車が横向きに。対向車が見え、慌ててハンドルを切った。衝突は回避。最終的に車は横に倒立した状態になり、バタンと倒れた。車体はペシャンコにつぶれたものの、脱出でき、軽いむち打ち程度で済んだ。「と゜うして助かったのか。自分が生かされた理由がきっとある」。直後から自問自答するようになった。今のSEの仕事ではない何か。理由探しが始まった。気持ちは、命や食べ物など、農業に徐々に傾いていった。夢の一歩は昨年3月。札幌市内の自然食品店が運営する農場に、約1年の研修生として飛び込んだ。収入はSE時代と比べ半減したが、妻の貴子さん(38)はむしろ「あなたのやりたい仕事をして」と背中を押してくれたという。この手で土を耕し、収穫する楽しさ。旬のモノって巧いなあ。一見当たり前の喜びを、身をもって知った。新規就農の決意はますます固まった。東川町に来たのは、水の良さ、コメのうまさにほれたから。研修先の同町西町7、松家農園で有機栽培のコメをはじめ、野菜、花など幅広く学ぶ。松家源一代表(60)は「これからの農業は、付加価値のある農作物を、どう市場につなげるかを見据えなくては」が持論。だから「既存の農家にない感性を持った若い南さんに期待している」と話す。研修3日目。旭岳を背後に、真新しい作業服姿の南さんがいた。花卉のハウスを張ったり、野菜苗のポットに土を盛ったり-。命題をどう達成するか考え、組み立てる作業は「SEも同じかも」。この先、就農にたどり着けるか、不安がないといえばうそになる。でも、一歩一歩やるだけだ。間もなく、コメ作りの最初、種もみの浸水作業が始まる。

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劇作家 平田 オリザ さん

2009-05-23 13:32:00 | 人物100選

「対話」の力演劇で子供に

100_7154 NHK教育テレビで土曜に放映中の番組「となりの子育て」で月1回、女優の浅野温子さんと著名人の親を訪ね、子育て経験について話を聞いている。東京出身の46歳。オリザは本名で、ラテン語で「稲」を意味する。「食いはぐれないように」とシナリオライタ-の父親が付けた。名前からも分かるように自身の育ちもかなりユニ-クだ。「両親の教えは『他人と同じではダメ』でした」と振り返る。2、3歳れかで、父親から書く訓練を受け、「物心ついた時から書くことを仕事にと決めていた」少年は、外国へのあこか゛れから、13歳で自転車で旅することを決意。手始めに中3の夏に、稚内から北見、帯広を経て札幌まで走破。高校はあえて定時制を選び、住み込みで新聞配達しながら旅費をためた。16歳で高校を休学し、1年半かけて欧州、アジア、北米を回った。日本に戻り「思考を深めよう」と当時の大学入学資格検定試験を受け、国際基督教大に進む。旅行記と受験体験記2冊を著した経験から「自己表現にはフィクションの方が向いている」と演劇に興味を抱き、在学中の1983年に同級生らと劇団を立ち上げる。周囲は就職や大学院進学を勧めたが、「演劇を続ける」道を選び、父親が自宅を改装してった劇場を引き継ぐ。建設費などで、23歳で1億2千万円の負債を抱え「20代はそれ(返済)だけ。人生あきらめました」。運営を軌道に乗せる努力の傍ら、西洋演劇を基盤に発展した従来の芝居への違和感から「リアルな演劇」を提唱。客席に背を向けてせりふを発し、複数の会話が同時進行する手法を編み出し、95年に演劇界の芥川賞とされる岸田国士戯曲賞を受ける。他と違う生き方を選んできたから「30代までは他人とうまくコミュニケ-ションがとれず、生きづらかった」と語る。「集団で一つのものをつくり上げる」演劇を通して、異なる価値観の人が接点を見いだし、互いに認め合う「対話」の力をはぐくもうと情熱を注ぐ。「日本のすべての子に学校で演劇を体験させたい」と意欲をにじませた。

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ひと2009 山崎 誠さん

2009-05-21 16:21:32 | 人物100選

中小企業向けの事業再生本を書いた

100_7144 破綻の瀬戸際に立たされた経営者に向けて「あきらめるのは早い」との思いで、企業再生の実態や成功のコツをつづった「ひとりぼっちの社長のための事業再生」(エイチエス、1365円)を出版した。認定事業再生士として、札幌で70~80件の再生を手掛けた。その経験から、行き詰まりの原因を会社、社長、事業の三つに分けて解決することや金融機関との接し方、弁護士や会計事務所など相談相手の特長を分かりやすく記した。札幌市出身で北大卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)に10年間勤務。札幌に戻り会計事務所で働いた後、2007年に中小企業の事業再生専門会社を設立。携わってきたのは建設や飲食、小売りなど売上高5億~10億円の中小企業が大半。3ヵ月から1年をかけてじっくりとコンサルタントを行い、復活を後押ししてきた。「事業再生は理屈2割、感情8割」が持論。道内中小企業の再生には金融機関との協調が不可欠として、「担当者と信頼関係を築き、再生への情熱をいかに理解してもらうかがポイント」と語る。コンサルでは常に穏やかな表情を崩さない。青ざめた表情の経営者に自らの家族や趣味を紹介した名刺を渡して、警戒心を解きながら「事業再生を必要以上に恐れないで」と説く。札幌市内で妻と3人の子供と暮らす。47歳。

ひとりぼっちの社長のための事業再生 ひとりぼっちの社長のための事業再生
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2009-04-10

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時代の肖像「丹生裕子(たんじょう)さん(38)」

2009-03-30 14:38:51 | 人物100選

◎「コンビニ受診」を減らしましたね                                                県立柏原病院の小児科を守る会代表 患者も変わらなければ

100_1176 母親たちの呼びかけによって、兵庫県立柏原病院小児科の時間外受診が半分以下に減った。スロ-ガンは三つ。「コンビニ受診を控えよう」「かかりつけ医を持とう」、そして「お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう」だ。

〇 〇 〇

柏原病院は兵庫県の中東部、丹波市内にある。2007年春、2人しかいない小児科医の1人が辞意を表明し、小児科がなくなるかもしれないと地元紙の記事でで知った。「小児科医がいなくなれば、産科も維持できない。安心して子育てできなくなる」。危機感を抱き、医師を招くために署名活動に取り組んだ。地域のお母さんたちが中心となって「守る会」をつくり、5万5千人余の署名を集めた。県庁に届けた時、言われた。「医師が足りないのは丹波だけではない」小児科医はとどまり、危機は回避したものの、「医師が働きやすい環境を地域がつくらねばならない」と思い至った。勤務医は激務なのに、「SOS」を自分からは発信しづらい。一方、患者側の要求水準は高い。スロ-ガンに基づいて啓発用のステッカ-を作り、「お医者さんにいままで以上の感謝を伝えよう」と院内に「ありがとうポスト」を設けた。ふつうなら苦情であふれる投書箱が感謝の手紙でいっぱいになる。取り組みから2ヵ月で夜間や休日の受診は激減した。「子どもが熱を出し、軽症かなと思っても、受診せずに様子を見るのは勇気が要ります」細かな判断材料を提供するため、柏原病院の小児科の監修で作ったのがA4判の冊子「病院に行く、その前に・・・」だ。発熱や嘔吐などの症状と程度によって、「心配ない」から「救急車を呼ぶ!」まで、受診の目安をチャ-ト化した。一冊100円。イラストは絵が得意な会員が担当した。話題を呼び、自治体を中心に北海道をはじめ全国から引き合いがある。これまで3万部印刷して配布した。柏原病院の医師が02年の43人から19人に半減したなか、小児科医は5人に増えた。守る会の活動を知り、希望して来たのだ。神戸大からは夜間当直の医師が応援で来るようになった。開業医の理解もあり、初期医療としてのかかりつけ医が定着してきた。「医師を増やせ」「病院を残せ」といった要求型ではなく、医療者と患者の間に橋を架け、「患者も変わろう」とのメッセ-ジを発信する活動が功を奏した。

〇 〇 〇

結婚した翌年、西宮で阪神・淡路大震災に遭った。家は全壊した。「あの時、死ななかったから、いま、ここにいる。守る会の代表も役割だと受け入れています」市営住宅に家族5人で住む。夫は高校の教師。小6、小4、小2の子どもがいる。ス-パ-マ-ケットの青果コ-ナ-で週に2回パ-トタイムで働いている。会員はいま20人。それぞれ仕事を抱え、日中は子連れで車で集まり、夜は電子メ-ルを交換しながら、地域医療のために何かできるか知恵を出し合う。子育て世代対象の勉強会「ママのおしゃべり救急箱」は好評だ。「ふつうのお母さん」のしなやかな取り組みが地域医療再生のモデルとして注目されている。自治体から講演に招かれたり、視察を受けたりする機会が増えた。市民運動をしているとの気負いはない。厚生労働省の担当者が面談に訪れた時は、「厚労省にしてほしいことはありますか」と聞かれて、「何もありません」と答えた。「医師を守る、地域医療を守るとは、魅力ある地域をつくること」結論はシンプルだ。

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「奇跡のリンゴ」の木村秋則さん

2009-03-13 16:27:02 | 人物100選

完全無農薬・無肥料栽培                                                      挑戦8年目で手応え 農業は感動ある仕事 

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貧しさや世間の常識と闘いながら、果樹では絶                             対不可能と言われていた完全無農薬・無肥料                              栽培を実現させ、「奇跡のリンゴ」で知られる木                              村秋則さん(59)=青森県弘前市=が4日、酪                             農学園大学(江別市)で講演した。信念に従い、                             自らの歩みを「失敗をたくさんした分、多くの答え                             を得ることができた」と振り返る木村さんに、思い                              を聞いた。(北里優佳)

「前歯がなくて聞き苦しいかもしれんですけど」と                             津軽弁で断りながら、「今でもリンゴの花が咲くと、                            本当にありがたく、特別に美しいと思うよ。農業には、暗いイメ-ジが                 多いけど、感動ある仕事なんだ」と笑顔で語る。結婚を機に農業の                              道に進んだ木村さんは、妻が農薬に過敏な体質で肌がただれたた                              め無農薬栽培を志す。書店で手にした自然農法の提唱者、福岡正                              信さんの本を参考に29歳の時、4つあつたリンゴ畑すべてで農薬の                             使用をやめた。

収穫なく出稼ぎ

リンゴ栽培は、数多くの害虫や病気を防ぐため、農薬が不可欠とされ                                いきた。農薬をやめた木村さんの畑には花が咲かなくなり、収穫はゼ                            ロの年が続いた。生活の糧を得るため、冬場は出稼ぎで道内の造材                            現場などを転々とした。しかし先行きは見えず、「申し訳ない」という気                            持ちでいっぱいになり、自殺しょうと地元の岩木山に入山。ロ-プをつ                            るすのに手ごろな枝を捜していたところ、生き生きと茂る木々の存在                             に気づいた。「化学肥料も農薬も散布されないのにどうしたことかと思                            いましたよ」。地面にさわってみると土がほこほこしていた。土の重要                             さに気づかされた。多様な雑草が茂る自然の生態系を畑に再現するこ                            とで、挑戦から8年目に二つの実を付けることができた。「新しいことは                            何もやっていないんです。ただ、畑に自然の仕組みを取り込んだた゜                             け」。ワサビや泥などを木にまいては失敗した日々を「すべて知ってい                             たつもりだったけど、足元の土を見ていなかった」と振り返る。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録 奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録
価格:¥ 1,365(税込)
発売日:2008-07

木村さんの人生や取り組みにつては、石川拓治著が詳しい

害虫の最低限の防除のため希釈した醸造酢を振りかける以外、こ                              の30年間、農薬、肥料は使っていない。だが、土は柔らかくなり、                               土中の温度も一定で、害虫もあまり目にしなくなつた。「土が冷たい                             と植物も嫌がるのではないか」というが、理由は分からない。「『酢                              に効果がある』のではなく、本来の力を取り戻し『酢でも効果ある』木                             になつたのでは」とみている。

自然栽培を広め

自殺を考え、一度失った命と思い、16年前からは道内をはじめ国内                             外で、リンゴだけでなく米や野菜などの自然栽培を広めている。実は、                            リンゴ以前に米と野菜づくりでは自然栽培で実績を挙げていた。「道                             産米は東京でも人気。大地を生かしてこそ北海道」と強調する。おか                             ゆをすする極貧生活を送り、「変人」とやゆされながら得た独特の技                             術。しかし、独り占めするつもりは全然ない。「食べ物の技術はみん                             なで共有しなきゃ。無農薬栽培というと高いイメ-ジあるけど、技術が                            広がれば、一般の価格で手に入るようになる」と話した。

同大などが主催した講演会には募集定員の倍の約550人が詰めか                            けた。開場の講義室に入りきれない人向けに講堂入り口のロビ-に                             は中継用の大型画面を設置。講演では最後に、「『農家は世の中で                             一番楽しい仕事』と思える社会をつくって行きましょう」と力を込めて呼                             び掛けた。

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バイオプラスチック「田口 精一さん」

2009-02-23 15:32:41 | 人物100選

北大大学院工学研究科教授 特殊な酵素大腸菌に導入

100_1090 力や熱が加わると変形するプラスチックは使い                              勝手の良さから暮らしに欠かせない素材だ。た                              だし、原料である石油の有限性などから、植物                              由来のバイオプラスチックが注目を集めている。                              遺伝子工学を用いて特殊な酵素機能を組み込                             み、微生物の体内でバイオプラスチックの合成                              に成功した北大大学院工学研究科の田口精一                             教授(バイオ分子工学研究室)は「次は植物。                              最終的にはススキなど雑草でバイオプラスチッ                              クを直接合成させたい」と話す。

バイオプラスチック研究は約80年前、フランスの                             ルイ・パスツ-ル研究所の研究者が、納豆菌の                              仲間が体内でプラスチック(ポリヒドロキシアルカ                              ン酸=PHA)を作っているのを発見したことに始まる。実用化されてい                 る乳酸プラスチック(ポリ乳酸=PLA)は植物由来の糖や植物油を乳                             酸発酵させ、金属触媒で化学重合(ポリマ-合成)する複雑な過程                             が必要だったが、田口教授はトヨタ自動車、豊田中央研究所と共同                              で大腸菌だけで乳酸プラスチックを重合させることに成功、基本特許                             を出願した。「カギは乳酸をつなげる機能を持つた、生体触媒である                             乳酸重合酵素を2006年に発見したことです。その酵素遺伝子を大                             腸菌に導入し機能発現させると細胞内でポリマ-を合成し始めます。                             体外に排出していた乳酸をつなげて蓄積するのです」遺伝子操作さ                             れた大腸菌は人間の体脂肪率に例えると80~90%までポリマ-を                             ため込む。あとは界面活性剤で生体膜を壊し、漂白剤できれいにする                            とパウダ-として成形可能で、使用後は微生物によって分解可能だ。                            今は培養液1㍑から数十㌘の抽出レベルだが、この「微生物工場」の                            生産効率は徐々に上がっているという。

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乳酸重合酵素のもとになつたのは理化学研究所(理研)時代に建設                             会社と調査中に土壌から見つけたシュ-ドモナス属菌。「基質特異                              性が広い、いわば浮気性で節操のない性格」の酵素から着手し、試                             験管内で人為的に誘導したところ、アミノ酸配列6百個のうちわずか                             二つが別のアミノ酸に置き換わることで、本来は重合できなかった乳                            酸を連結できるス-パ-酵素に変身したのだという。精巧な酵素分                              子の構造と機能、そして進化が魅力だという。「細胞内にぷかぷか                             浮かんでいる多彩な生体物質には情報転換、物質転換という独特の                             生体反応があります。生物は進化の過程でソフィストケ-トされ、完                             成度がものすごく高い。生体反応は機械以上に正確、精密。それを                             研究するのがバイオテクノロジ-の醍醐味なのですが、やればやる                             ほど生命現象の奥深さに感心します。」理研時代に実験植物のシロ                             イヌナズナやタバコの葉にPHAを直接合成させることに成功しており、                            今年は北大北方生物圏フィ-ルド科学センタ-と強力してススキなど                            非可食性の植物での合成を目指す。「将来は水と二酸化炭素を原料                             に、太陽光を浴びながら畑でプラスチックが取れるかも」という話ぶり                             は環境バイオテクノロジ-時代の本格的な到来を感じさせた。

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ひと2008<高橋 英紀さん>

2008-11-18 17:20:00 | 人物100選

インドネシア・カリマンタン島で森林復元に取り組む

100_1015 21日から、自ら設立にかかわった北海道カリマ                              ンタン交流協会の植樹ボランティアとして、一般                             参加の8人とともに、泥炭湿地林の修復のため、                             インドネシア・カリマンタン島に向かう。同島は1                              990年代の森林伐採と排水路開発で、広大な泥炭湿地が乾燥化。                 焼き畑の火が地中にまで延焼するなどして、今も乾期のたびに膨大                             な二酸化炭素(CO)排出されている。「先進国のCO2の排出抑制                             も大事だが、途上国の熱帯泥炭地を燃やさないような仕組みも重要                             だ」と訴える。2006年のインドネシアのCO2総排出量は、日本の1・                            5倍、世界全体の8%に達する計算だ。植物と気象の関係を研究して                            いた北大大学院地球環境科学研究科助教授時代、英国の研究者と                            出会い、熱帯泥炭地の重要性を知った。その後、学術振興会の支援                            で10年間、現地の研究者と泥炭火災のメカニズムや環境への影響                             を共同研究した。「泥炭火災を防ぐには、湿地林を保全するのが一番                            だ」と、退官後の06年、同交流協会を設立。以来、成長が早く、耐火                            性に優れた樹木3百本を植えてきた。現地の農民が育てた苗木を日                            本で募った寄付で買い、現地の若者に植えてもらう計画も進む。「住                             民の間に『育林』の考え方も根付かせたい」。札幌市内で妻と2人で                             暮らす。網走市出身。68歳。

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時代の肖像「黒田 龍之助さん(43)」

2008-11-06 17:00:00 | 人物100選

語学はやり直せますか =フリ-ランス語学教師                                    良き師を見つけ 楽しく

100_1003中学生のころから「語学好き」だった。中学三年                             生の時、テレビのロシア語講座に夢中になった。                            「なるべく、帰国子女が少ない語学をやりたかっ                             た。冷戦下のソ連はめったに行けない国だった。                             バイリンガルが少ない言葉をやれば『勝てる』と                              思った」と振り返る。

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東京都出身。上智大外国語学部ロシアご学科卒                            業後、東大大学院を修了。東工大に9年、明治大                            に4年勤務し、ロシア語や英語を指導してきた。NHKテレビ「ロシア語                            会話」の講師を2001年から2年間勤め、早稲田大学で、言語学を教                            えたことも。現在、週五回放送されているNHKラジオ「まいにちロシア                            語」の講師を務めている。20年近く、語学を教えてきたプロであるとい                            う自負がある。そのプロがいま、訴えるのが「楽しくなければ語学では                            ない」ということだ。「語学はやり直せます。だから語学はク-ル(=涼                            しい、冷静、カッコいい) でなければなりません」今年2月、角川書店                            から新書を出した。タイトルもずばり、「語学はやり直せる!」。同書店                            の編集担当者によると「発売直後に重版が決まるなど゛、売れ行きは                            好調。語学の基本書としては異例です」という。昨年3月、大学を辞め                           た。「辞めさせられたわけじゃないですよ」。苦笑いしながらも、現在の                            大学での外国語教育に疑問を感じたことを打ち明ける。それは、大学                            かあまりに現世利益を追求していることだ。TOEIC、TOEFLなどの英                            語検定試験で何点取るか。学生に、高い得点を取らせる指導が可能か。                          そこに語学教師としての価値が求められることが疑問だった。「語学とは                           数値化できるものなのか。点数の先に何があるのか」学生が変わったの                          ではない。変゛わったのは大学だ。「国立大学法人も私立大も同じ。学生                           を呼び込むために、『ウチに来ればこんなにお得』と現世利益を強調して                            いる」と指摘する。「語学は損得じゃない。背景にさまざまな文化があると                          いうことを知る。文化の多様性を知り、各自の人生を豊かにしていくことこ                          そが、言葉を学ぶ意味」という大前提は譲れないと考えた。

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数値化志向、現世利益追求は、中学からの英語学習の反動だと分                             析する。学校で長い時間を英語教育にさく。その時間の見返りがほ                              しい。投資した時間に見合う、数学や利益を求めるわけだ。

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一方で、多くの「英語は苦手」という人々が毎年、生み出されている。                           「学べ、学べ」と迫られた挙げ句、一生、英語に苦手意識を持ってしま                            う中学生、高校生たち。その苦手意識はやがて、増幅していく。「挫                             折し、外国語を憎んでしまう人がいる。一方で、英語が通じない人間                             を毛嫌いする人も出てくる。排他的でこわいことです。社会的なム-ド                            として、外国語をめぐってプチ・ナショナリズムが醸成されている」と現                            場からの実感を語る。だからこそ、「語学はやり直せる」と訴え続ける。                           やり直すためには何が必要か。「ク-ルに、楽しく、学ぶこと。そして、                            ハ-ドルを高くしないこと。外国語が日本語と同じレベルに達すること                            は無理なのです。さらに、その外国語の何がわかっていないかを知る。                           何がわからないかを導いてくれる教師を見つけること」と断言する。「教                           材など、語学を学ぶ環境はどんどん、よくなっている。肩ひじ張らず、                             気楽に語学を楽しめばよい」携帯電話は持たない。「これ以上、仕事                             を増やしたくないのです」。ク-ルに語り、去っていった。                                   

文・写真 編集委員 高畠伸一

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