flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

神田三崎町

2019-07-16 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都千代田区神田三崎町)
 かつて三崎町には越後長岡牧野家上屋敷があり、安政七年(1860)跡地が幕府講武所となった。明治維新後は陸軍の練兵場となったが、明治23年(1890)三菱に払い下げられ、その後市街地化された。また、JR水道橋駅は神田三崎町地内に立地する。

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五つ子楠

2019-07-15 00:00:00 | ふるさとの木々

(静岡県島田市金谷坂町 2006年10月26日)
 東海道金谷坂沿いに、朽ち果てた親木の根を囲んで生える五本の楠がある。

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細川家下屋敷

2019-07-14 00:00:00 | 城郭・城下町

(東京都文京区目白台)
 旧江戸川(神田川)に面する関口台地麓に築造された熊本藩細川家下屋敷(別邸)の一つである。細川家以前は清水徳川家、一橋徳川家の下屋敷があり、廃藩後は細川家の本邸となった。邸内にある松聲閣(しょうせいかく)は学問所として使用された。昭和35年(1960)東京都に売却され新江戸川公園となった。
          

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旧金河座

2019-07-13 00:00:00 | 木のたてもの

(金谷劇場 静岡県島田市金谷宮崎町 2006年10月26日)
大正2年(1913)に築造された、木造2階建、正面モルタル貼りの劇場である。当初は舞台劇場であったが、戦後は映画館として昭和44年(1969)まで営業された。
(2008年解体)
   

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成瀬記念講堂

2019-07-12 00:00:00 | 学びのやかた

(東京都文京区目白台 区指定有形文化財)
 日本女子大学内にあるこの建物は、明治39年(1906)に豊明図書館兼講堂として煉瓦造で築造された大学講堂である。大正12年(1923)関東大震災により被害を受け、煉瓦は剥がされ現在の姿になった。昭和36年(1961)大学創立60周年を記念して、構造補強が施され、創立者成瀬仁蔵の名をとって成瀬記念講堂と改称されている。
  

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枇杷島橋

2019-07-11 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県清須市西枇杷島町・名古屋市西区枇杷島 2006年)
 元和八年(1622)庄内川を渡る美濃路の橋として架けられたのが始まりである。現在の橋は昭和31年(1956)に架けられたもので、日本百名橋に選定されている。上流側には名古屋鉄道の庄内川橋梁があり、絶え間なく列車が橋を渡っている。
     

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江戸東京博物館

2019-07-10 00:00:00 | 学びのやかた

(東京都墨田区横網)
 平成5年(1993)両国貨物駅跡地に開館した7階建の江戸東京博物館は、近世江戸と近代東京の歴史や文化を伝える施設として設置された。
                        

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水門川船町湊

2019-07-09 00:00:00 | 水のほとり

(岐阜県大垣市船町 2006年10月17日)
 大垣城の外堀の役目を果たした水門川は、安八郡輪之内町で揖斐川支流牧田川に注ぐ木曽川水系の一級河川である。慶長年間、大垣藩によって船町湊が設置され、町は水運によって栄えた。元禄二年(1689)松尾芭蕉はこの地を訪れ、「おくのほそ道」結びの地として「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と句を詠み、船で伊勢二見に向かうためこの地をあとにした。
      

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江東大島

2019-07-08 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都江東区大島)
 旧中川右岸のこの地は、かつては川に挟まれた湿地帯で大きな中洲のような地形であったことから大島(おおじま)と名付けられたという。大島駅近くには都営新宿線開通以前からのマンモス団地が点在し、地域の人口を増やしている。

  

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ゼリコ

2019-07-07 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(岐阜県大垣市俵町 2006年10月17日)
 菓子製造会社鈴木栄光堂の建物である。木造建築は大正3年(1914)、鉄筋建築は昭和10年(1935)である。

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赤堤山善性寺

2019-07-06 00:00:00 | ほとけのいおり

(東京都世田谷区豪徳寺)
 正徳五年(1715)に創建した真言宗善性寺は、大山寺を開山した良弁が彫ったという不動明王を本尊とする。然し、明和年間(1764-71)に寺が火災に遭い、全てを焼失して、その後再建されている。
    

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旧赤坂銀行垂井支店

2019-07-05 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(岐阜県不破郡垂井町 2006年10月17日)  昭和初期に築造された銀行建築である。後に赤坂銀行(不破郡赤坂町)は十六銀行(岐阜市)に吸収合併され、戦後、垂井支店建物は個人に売却された。

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旧国立公衆衛生院

2019-07-04 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(東京都港区白金台)
 昭和13年(1938)建築家内田祥三によって設計された、SRC造7階地下2階塔屋付、延床面積15,091m2の研究所施設である。業務で関係する東京帝国大学伝染病研究所と隣接して設置され、平成14年国立医療科学研究院として改組されたのを機に埼玉県和光市に移転した。その後暫く閉鎖されていたが、平成30年(2018)港区の郷土歴史館、在宅緩和ケア支援センター、子育て施設、区民協働スペース等の入る複合施設「ゆかしの杜」として再利用された。

  

                 

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南宮御旅神社

2019-07-03 00:00:00 | かみのやしろ

(岐阜県不破郡垂井町府中 2006年10月17日)
 美濃国府政庁跡に鎮座する御旅神社は、金山姫命(かなやまびめのみこと)を祀る。旧美濃国総社と推定され、南宮大社(仲山金山彦神社)の御旅所(神幸渡御の仮安置所)の神社でもある。寛永十九年(1642)には、徳川家光が南宮大社と共に社殿を造営している。
   

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鳥越神社

2019-07-02 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都台東区鳥越 旧郷社)
 かつて存在した鳥越山を境内地としていた鳥越神社は、景行天皇年間(71-130)日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地を良き斎庭と定めて皇祖神を祀ったのが創始とされる。白雉二年(651)住民がその日本武尊を祀り、白鳥明神として改めて奉祀した。寛治六年(1092)前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、無事隅田川を渡ることができたのを白鳥明神の加護と称え、鳥越大明神の社号を奉ったという。江戸時代に入ると天領の年貢を蓄える浅草御蔵を設けるため、幕府は鳥越山の土を使い隅田川を埋め立て、鳥越神社の境内は著しく縮小された。

 

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