flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

岡本かの子文学碑「誇り」

2016-01-16 00:00:00 | まちの美

(川崎市高津区二子)
 二子神社境内に白いモニュメントがある。昭和37年(1962)作家岡本かの子の実家大貫家がある二子の地に(出生地は東京都港区南青山)、かの子の愛慕者によって建てられたものである。碑文には「としとしに わが悲しみは 深くして いよよ華やぐ いのちなりけり」とかの子の詞が刻まれ、塔身は息子の岡本太郎がデザインしたものである。

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相楽から三河湾を望む

2016-01-15 00:00:00 | 街道・宿場町

(愛知県蒲郡市相楽町 1999年9月19日)
 春に訪れた御堂山街道を漫ろ歩くと、潮の薫りがした。
 

(関連記事:相楽山へ 御堂山全福寺跡 荒井古墳

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樫王貝塚

2016-01-14 19:44:00 | いにしえの人びと

(愛知県豊川市小坂井町樫王)
 昭和35年(1960)段丘端の菟足(うたり)神社と光明寺の間の谷状地形に沿って国道1号線新道を掘削する際、多数の土器と貝殻と共に人骨が発見された。土器は主に縄文時代晩期で、三河編年標式として樫王式と制定され、弥生時代前期にかかる遠賀川式(福岡県遠賀郡水巻町立屋敷遺跡)土器も含まれていた。隣接する菟足神社貝塚と欠山貝塚と共に、当時の海岸線に沿った一大貝塚群を形成している。

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品川宿

2016-01-13 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都品川区北品川・南品川)
 日本橋から始まる東海道最初の宿である。目黒川を境に北宿と南宿に分かれ、更に江戸時代後期には北宿法禅寺以北に歩行(かち)新宿が設けられた。北宿と新宿の間には井伊直弼が開創したという一心寺があり、また、歩行新宿の品川港近くは「問答河岸」と呼ばれ、徳川家光が目黒川沿いの東海寺を訪れた際、出迎えた沢庵和尚と「海近くして東(遠)海寺 とはこれ如何に」「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と問答を交わしたという。
              

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伊奈銅鐸出土地

2016-01-12 00:00:00 | いにしえの人びと

(愛知県宝飯郡小坂井町伊奈字松間 1991年5月9日)
 大正13年(1924)土砂採掘中に弥生時代後期の銅鐸(どうたく:祭器)3点が発見された。袈裟襷文(けさだすきもん)文様の三遠式銅鐸と呼ばれるもので、直後に豊橋郷土史友会が発行した絵葉書によってその様子を知ることができる。大正15年(1926)に東京帝室博物館(1952-東京国立博物館)に買い上げられ、所蔵されている。
 

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近畿自動車道名古屋神戸線揖斐川橋築造地

2016-01-11 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(三重県桑名郡長島町松蔭 1999年8月19日)
 桑名市と長島町の間の揖斐川(長良川)を跨ぐ自動車専用道路橋であり、完成すると長さ1397m,幅33mのエクストラドーズド橋(主塔と斜材で主桁を支える形式)となる予定である。将来的には第二東海自動車道(第二東名)と結ばれ、太平洋ベルトのバイパスを担うことになる。

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大井町

2016-01-10 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都品川区大井町)
 東海道西側に広がるこの地は、古代・中世の古東海道及び品川道大井宿駅があったところである。近世以降の東海道は大井の東を南北に通るが、古東海道(品川道:途中矢倉沢往還と重複)は東西に通り、店屋宿駅(町田市町谷)で北上し東山道(後の中山道)と合流する道と、南下して後の東海道のルートに達する道とに分かれていた。現在は京浜東北線や大井町線の駅周辺が繁栄している。
       大井町駅界隈
 仙台藩下屋敷があった仙台坂
      西品川
 品川区役所

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東海山長福寺

2016-01-09 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛媛県東予市北条 1991年7月17日)
 河野通有が居館を構えた場所であり、元寇(げんこう:蒙古襲来)の役による戦死者を弔うため、弘安五年(1281)通有が館跡に臨済宗海印山長福寺を創建した。天正十三年(1585)豊臣秀吉による四国征伐の兵火により焼失したが、寛永二十年(1643)河野氏族正岡盛元(越智郡龍岡村幸門城主)の子南明(1660-京都妙心寺住職)により再興され、妙心寺東海派に因み東海山と改められた。境内には通有の宝篋印塔があり、同寺現住職からも詳細なお話しを頂いた。
 鐘楼 梵鐘:明暦元年
 河野通有宝篋印塔 応長元年六十九歳没 戒名:長福寺殿天心紹普大居士

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来島海峡 馬島

2016-01-08 00:00:00 | 海道・みなと

(愛媛県今治市馬島 1999年8月17日)
 瀬戸内海に浮かぶ面積0.5km2,周囲4km,人口約40人の島である。江戸時代、今治藩により馬が放牧されたため、馬島と呼ばれるようになった。昭和63年(1988)には西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の建設が始まり、馬島が来島海峡第二大橋と第三大橋の境となり、島上に双方の基部とそれを結ぶ高架橋が築かれ、今春開通した。そして島民用のインターチェンジが設けられ、それまでの渡船に代わって陸続きとなった。
 今治を望む

 今治波止浜を望む
 馬島港


(関連記事:来島海峡糸山 来島 波止浜小島 芸予要塞小島南部砲台 北部砲台 南部発電所 砲台弾薬庫 北部地下兵舎 北部発電所

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祖師ヶ谷

2016-01-07 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都世田谷区祖師谷)
 世田谷区であるが、旧北多摩郡に属する地域であり、近代以降は小田急線により発展した地域である。開発されるまでは緩やかな山地であり、西を流れる仙川を含め谷地が幾つもあったという。その一つの傍に天台宗の地福寺(江戸時代に新座郡白子村(埼玉県和光市白子)に移転)があり、祖師堂があったために(祖師谷)と呼ばれるようになったとされる。また、かつて円谷プロダクションがあった(現在は渋谷区円山町)ため、近年付近の商店街をウルトラマン商店街と呼んでいる。
   
 けやきロード
 庚申堂
 

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幸田 丸山古墳

2016-01-06 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県額田郡幸田町野場字大岩 1991年7月9日)
 西尾市との境である風越峠の程近く、大岩山縁端に築かれた5世紀後半の古墳である。直径約40mの円墳であり、二段築成、葺石、円筒埴輪を持つ。墳頂部に盗掘痕があり、横穴式石室の石材の一部が露出している。

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大宮 石座神社

2016-01-05 00:00:00 | かみのやしろ

(いわくらじんじゃ 愛知県新城市大宮字狐塚 旧県社 1999年8月12日)
 私は雁峰山麓を訪れた際、必ず参拝する神社である。天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)を祀る。「イワクラ」という社名からも分かるように、元来は岩を崇拝する古神道の自然崇拝である「磐座:イワクラ」であり、雁峰山中腹に残る磐座には、かつてこの石座神社が存在したが、野火によって現在地に遷宮したという。

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奥沢

2016-01-04 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都世田谷区奥沢)
 北は目黒区自由が丘、南は世田谷区玉川田園調布に挟まれた地域である。九品仏川の水源付近であることから、奥沢と呼ばれるようになったという。
   
 世田谷美術館分館 宮本三郎記念美術館
   
     

(関連記事:奥沢城と九品仏

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堂山1号墳 平成3年

2016-01-03 00:00:00 | いにしえびとの睡

(静岡県磐田市東貝塚 1991年6月19日)
 昨年、後円部北側墳裾の発掘調査が行われた堂山1号墳を訪れた。調査跡はそのまま残り、昨年訪れた際の光景を思い出させた。今回は前方部の裾部の一部が残る地点も踏査した。
 括れ部から前方部にかけての南斜面部(道路側は北削面)北東から
 後円部北斜面裾部跡(第7次調査地点跡)東から
(関連記事:堂山1号墳発掘調査

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西方大橋築造地

2016-01-02 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(愛知県宝飯郡御津町御幸浜 1999年7月31日)
 西方(にしがた)大橋は国道23号線と三河港沿いに田原までを結ぶ東三河臨海道路を繋ぐ、三河湾に架かる橋である。昭和40年(1965)に計画され、今年度中(平成11年)に竣工し、接続道路を3年後を目処に開通させる予定となっている。横浜ベイブリッジと同様の形式のファン型斜張橋であり、橋長は185m,道路幅11.5mである。

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