(愛媛県今治市別名 2006年11月30日) 河野氏祖越智玉澄は伊予国越智郡大領(郡司長)で、別名(べつみょう)の地に館を構えていた。玉澄は大三島大山祇神社の社殿造営や、和銅五年(712)には別宮大山祇神社(今治市別宮町)を勧請。養老元年(717)には宇摩郡に三島神社を勧請(旧伊予三島市、現四国中央市)、天平元年(729)には温泉郡(松山市)の石手寺を再建している。玉澄の二男安元は大山祇神社の大祝(おおほうり)職となり、三島氏の祖となった。天平十九年(747)玉澄が没し、この別名の地に墳墓を造った。その墳墓の上に植えられたのがこの大楠といわれ、今でも「玉澄さんの楠」として親しまれている。
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