
(2006年10月22日豊川市豊津町(旧一宮町豊津))
我が家東隣の地区、豊津集落で行われた。
昨日は豊津神社にて打ち上げ花火、手筒花火が奉納され、本日は笹踊りが行われた。
五穀豊穣を祈り、踊りながら地区を回る。
また鬼役が沿道の人々に灰を塗りつける光景も見られた。
豊津神社は明治27年に村内の神社を合祀して誕生した神社である。
豊津神社に残る棟札に、元和二年(1616)のものがあり、天王と書かれている。
明治に入ると、天王社が素盞鳴社となり、豊津神社となった。
豊津は明治11年、現在豊津神社のある旧日下部村、中島村、井島村が合併して誕生した際に名付けられた、いわゆる好字地名である。
また日下部村には砥鹿神社神職であった草鹿砥氏の祖日下部氏の城跡があり、この豊津神社付近に存在したと推定される。
我が家東隣の地区、豊津集落で行われた。
昨日は豊津神社にて打ち上げ花火、手筒花火が奉納され、本日は笹踊りが行われた。
五穀豊穣を祈り、踊りながら地区を回る。
また鬼役が沿道の人々に灰を塗りつける光景も見られた。
豊津神社は明治27年に村内の神社を合祀して誕生した神社である。
豊津神社に残る棟札に、元和二年(1616)のものがあり、天王と書かれている。
明治に入ると、天王社が素盞鳴社となり、豊津神社となった。
豊津は明治11年、現在豊津神社のある旧日下部村、中島村、井島村が合併して誕生した際に名付けられた、いわゆる好字地名である。
また日下部村には砥鹿神社神職であった草鹿砥氏の祖日下部氏の城跡があり、この豊津神社付近に存在したと推定される。




くらじろうと申します。
豊津神社の笹踊りは三河地方に共通みたいですね。一度見学に行きたいと思っております。
たまたま山本勘助の関係を調べていると、豊津に古くから山本一族がいるらしいということがわかり、また日下部城跡はどこにあるだろうという疑問がわいてきました。たまたまお城のことがこちらで紹介されていましたので、ご訪問させていただきました。
これからも時々立寄らせていただき、勉強させていただきます。
正直私は地元ながらあまり見たことがありませんでした。
この地方のお城も、幼い頃から今は亡き父に連れられ半数以上は訪れたと思います。
全国的にみても、城の多い地域ですよね。
土地のお年寄りからお聞きした話や文献、推察もありますが、日下部城関連のことも、またアップしますので一つの参考になさってみてください。
今後とも宜しくお願い致します。