
(東京都世田谷区赤堤)
赤堤砦は吉良氏世田谷城の北方の守りとして築かれたものである。砦は六所神社あるいは正徳五年(1715)創建の真言宗赤堤山善性寺付近に存在したとされ、天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐まで世田谷城の砦として機能した。跡地は、伊賀服部氏の一族であり、呉服明神で神職を務めた服部貞信が、天正十二年(1584)徳川家康の伊賀越えで道案内の功から旗本となり、この地に陣屋が設けられ、元禄十年(1697)知行地替えになるまで陣屋が存在した。その貞信が武蔵国惣社六所明神より大国主神(おおくにぬしのかみ)を勧請し、六所神社を赤堤の鎮守として創建したという。
善性寺
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