flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

世田谷城と豪徳寺

2014-02-24 00:00:00 | 城郭・城下町

(東京都世田谷区豪徳寺 都指定史跡 世田谷百景)
 応永年間(1393-1426)吉良氏によって館が築かれたのが最初という。文明十二年(1480) 吉良政忠の伯母、弘徳院の菩提を弔うために「弘徳院」と称する庵を結んだのが、豪徳寺の始まりである。天正十八年(1590)吉良氏朝のとき、小田原征伐により豊臣氏勢に接収され、後に城は廃された。そして、江戸城改修の際に石材が利用されたという。寛永十年(1633)彦根藩主井伊直孝がこの地に訪れていたとき、猫により城跡でもある弘徳院境内に招き入れられた。それによって落雷を避けられ、和尚の法話を聞くことができたことを喜び、井伊家菩提所として伽藍を建立した。その際、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」から豪徳寺と改めらている。上記のような経緯から、後に招福観音を祀り、招福猫児(まねぎねこ)と称する眷属(けんぞく:この場合、観音の使者)として招き猫が多く置かれるようになったという。
              井伊家墓所  
 昭和15年(1940)に開園した世田谷城阯公園付近には、各々の郭を分ける堀が残されている。然し、東側は住宅地として削平され、往時の遺構は無い。豪徳寺は廃城後の郭を利用して整備されたため、周囲に土塁が比較的残されている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬見塚遺跡 | トップ | 蒼社川・鳥生川合流点 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿