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(東京都世田谷区豪徳寺 都指定史跡 世田谷百景)
応永年間(1393-1426)吉良氏によって館が築かれたのが最初という。文明十二年(1480) 吉良政忠の伯母、弘徳院の菩提を弔うために「弘徳院」と称する庵を結んだのが、豪徳寺の始まりである。天正十八年(1590)吉良氏朝のとき、小田原征伐により豊臣氏勢に接収され、後に城は廃された。そして、江戸城改修の際に石材が利用されたという。寛永十年(1633)彦根藩主井伊直孝がこの地に訪れていたとき、猫により城跡でもある弘徳院境内に招き入れられた。それによって落雷を避けられ、和尚の法話を聞くことができたことを喜び、井伊家菩提所として伽藍を建立した。その際、直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」から豪徳寺と改めらている。上記のような経緯から、後に招福観音を祀り、招福猫児(まねぎねこ)と称する眷属(けんぞく:この場合、観音の使者)として招き猫が多く置かれるようになったという。
井伊家墓所
昭和15年(1940)に開園した世田谷城阯公園付近には、各々の郭を分ける堀が残されている。然し、東側は住宅地として削平され、往時の遺構は無い。豪徳寺は廃城後の郭を利用して整備されたため、周囲に土塁が比較的残されている。
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