
(東京都大田区雪谷大塚・南雪谷・東雪谷)
雪ヶ谷の内、中原街道の北西を雪谷大塚(ゆきがやおおつか)と呼び、南を南雪谷、呑川の東を東雪谷と呼ぶ。かつては雪ヶ谷村と鵜ノ木村であったが、昭和35年(1960)南雪谷、東雪谷、石川町の一部に分割され、雪谷大塚は、鵜ノ木村大塚であったものが調布大塚町となり、池上線の雪ヶ谷大塚駅(1966-雪が谷大塚駅)最寄りであることから、昭和37年(1962)に雪谷大塚と改称された。雪ヶ谷の地名由来に氷室説があるが、「ユキ」は崖崩れのいわゆる災害地名でもあり、また東雪谷には雪見坂があって、富士の頂の雪が見え名付けられたとされることから、氷室説を単に断定することはできない。
池上線
自由通り
中原街道
呑川
安永三年に中原街道の橋の安泰を願って建てられた石橋供養塔
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