(千葉県安房郡鋸南町元名)
安永八年(1779)から寛政十年(1798)にかけて、石工大野甚五郎英令(のり)によって曹洞宗乾坤山日本寺境内である鋸山の南斜面に造営された千五百五十三躰の石仏及び石像である。明治維新の廃仏毀釈によって頭部を破壊されたが、その後一部を除き修復されている。
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