flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

長福寺 三宅廃寺

2008-10-05 00:00:32 | ほとけのいおり
(愛知県稲沢市平和町下三宅)
 勝幡城から三宅川に沿って三宅の地に向かう。川に隣接して、式内社の伊久波神社(生桑天神)や真言宗牛頭山長福寺がある。この寺は、屯倉官寺として天長七年(830)に創建し、往時は十二坊を備え、千手観音を本尊とするが、山号にもあるように牛頭天王を祀り、津島神社別当(神宮寺)として神仏習合の時期もあったようである。境内には、永禄年間(1558-70)平手政秀の子、五郎右衛門が建立した仁王門と、赤外線撮影によって「奉再興、仁王金剛神尊像両躰成就所、壬申中春吉祥日 無洗法師 寄進」の胎内墨書が確認された、寄木造の仁王像がある。
(三宅川)
(伊久波神社)
(仁王門 市指定文化財)
   
 近代的な同寺の庫裏を訪ね、ご住職とお会いし、三宅地区の歴史等をご教示いただいた。それによると、三宅の地は明治時代まで、読みは同じで屯倉村と書き、その名の由来は朝廷直轄地である屯倉からきたものである。そして、往時は古木曽川が近くを流れ、国府や国分寺にも近く、また伊勢、奈良へ向かう沿道でもあり重要な地であった。その後、木曽川の流れが変わり、跡が三宅川となった。三宅の地は、農村地帯だが、古代は海岸線であり、勝幡(しょばた:塩畑)に港があって、海に程近く、現在でも海抜ゼロメートル地帯であって、川への排水は排水機によって排出している状態である。故にこの地は利水よりも排水を重要としており、排水の性格の強い三宅川の改修が望まれたわけである。近くにストーンサークルのある屯倉社があるということなので、早速向かってみることにした。
コメント
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