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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

勝幡城

2008-10-03 00:00:53 | 城郭・城下町
(しょばたじょう 愛知県稲沢市平和町城之内・愛西市勝幡町 市指定史跡)
 日光川と領内川、三宅川の合流する付け根に勝幡城は存在した。この地は舟運で栄え、また、尾張と伊勢を結ぶ街道沿いであり、往時は現在程の川幅はなかったが、川という天然の防御を備えていた。城の規模は、江戸時代の『尾陽雑記』によると、東西四十八間(約86m)、南北七十間(約126m)、大手口東西二重堀、四方に惣堀有(外堀)、惣構の外南北百二十間(約216m)、東西百十四間(約205m)であったという。然しながら、現在は遺構は一切残っていない。
 
(日光川嫁振橋に貼られた、勝幡城図)
 勝幡城は、保元元年(1156)に尾張権守大中臣安長が館を構えたことに始まる。永正年間(1504-21)に至り、清洲三奉行織田弾正忠家信定が入城した。天文元年(1532)織田信秀(信長の父)のとき、本拠が那古野城に移り、勝幡城は武藤雄政が守ったが、信長が那古野城から清洲城に移ると勝幡城は不要となり、廃城となった。

 この後は、三宅の地に向かった。

(関連記事:勝幡城支城岩崎城
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