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flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

天祐記 より…宗教組織Ⅰ

2006-03-01 00:00:38 | 天祐語録
 神が試しているのではないだろうか。
それは様々な形に変えて 神であったり 仏となったり 分身したりと….
然し神の側からすれば形が何であれ関係無く、拘っているのは各世の現世人間だけであろう。
だから私は、ある特定の宗教団体としての一神教信心をするつもりはない。

 宗教団体は組織であり対等ではなく、分裂することはあっても吸収合併することはない。
宗教間対立・孤立するのではなく、あなたはあなた、わたしはわたしの通り方がある。
然し、同じ人間らしく生きるという目標がある。
宗教の一団体繁栄のための、陣取り合戦の如くのような他批判自己正当化姿勢ではなく、調和ができないのだろうか…といつも思うのである。
宗教内容ばかりを拘るのではなく、普段の生き方を同調させるということである。
神仏も当然信心は大切だが、人間同士の信心。
それが神仏に対しての報い、供養の一つとなるであろう。
新しい宗教がどんどん増えたらいいというものではなく、ただ個々の団体だけを宣伝する布教も良いとはいえない。
やはり生きている人間も重視した内容が必要だ。
そして団体同士見つめあって自ら改善し合うことが大切。
名指しで批判するだけが能ではない。
だからこれ以上増えても減ることのない宗教の種類に拘っていられない。
拘れば双方の間にある溝がますます深くなってしまうことだろう。

 宗教団体でいう、どこの神仏を信心しても、他の神仏を信心していることと同じになると私は信じている。
つまり、神仏は数の次元ではないということである。

Ⅱへ続く
コメント (4)
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