flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

松見ヶ浦

2006-03-05 06:00:19 | 漂い紀行

 第3セクター天浜線の知波田駅に降り立つ。
国鉄時代には有人駅であった面影を残すが、今は降りる人も疎らである。 
駅に程近い、浜名湖の枝湾の一つ、松見ヶ浦。
中世には湖岸の丘に城も築かれた。
一時、水質汚染が懸念されたが、葦原の再生、人口干潟造成などにより除々に環境を持ち直しつつある。

この時期、辺りは行き交う車ばかりで人の気配はないが、夏には花火も打ち上げられ、人々で賑わうという。
   

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天祐記 より…宗教組織Ⅳ

2006-03-05 00:00:14 | 天祐語録
 宗教の目的=(頂上)はひとつとすると、
登山口から頂上に辿り着く迄の道中の環境や、地形の違いがその宗教の通り方の違いである。
登り方、登る方向が違うということは、立っている位置、そこから見える面が違うということであり、周囲から、いろいろな角度・位置から見つめることによって、客観視することができる。
一箇所に留まっていては、宗教を解く上での説得力に乏しい。
目標に向かっている感触が感じられないということは、霧の中の尾根上にいるということ。
その霧は頂上を見つめることを遮る気体、つまり、その団体の倫理観である。
ということは、頂に達するための道も無ければ、案内も矢印もないのである。
(あっても朽ちている)
道は示す方向、案内や矢印は其の方へ導き教える人ということ。
明るく楽しい幸せな方向を求めるのは当然であり、道をつくる人、矢印をたてる人、案内をする人…といっぺんにというわけではないが
築かれていくものなのである。

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