小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月八日、九日、十日

2017-06-16 | 嘉永四年 辛亥日記

五月八日 曇のち雨

曇っていたが4時頃から降り出した。
今日は川嶋角助から詩会をするので来てくれとのこと。
4時頃栗山がくる。
その後、主人は山本彦十郎殿宅へ行く。
川嶋へ行き着くのは8時頃になるらしい。同行者は北野と栗山。
市川に先に寄るという。


五月九日 

主人は学校当番。
夜、千太郎宅で会があり岩一郎が行く。
真善を送って帰って来たのは4時頃だった。


五月十日 

おおいに雨が降る。風も少々ある。
雨が上がっている間に伊東直之丞の見舞いに行く。北野へも行く。
一度帰宅してから小山半左衛門宅へ行き夜12時過ぎに帰った。
菊と寿老人の絵を持参したが、これは安藤にお目にかけたいと置いてきた。
嫁が三味線を弾いたらしい。

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西国第三番 風猛山 粉河寺(こかわでら)

2017-06-10 | 西国三十三所
西国第三番 風猛山 粉河寺(こかわでら)
ご詠歌 父母の恵みも深き粉河寺 ほとけの誓ひたのもしの身や


三度目の参拝になるが初めてじっくりと歩いた。何しろ広い。神仏関係のあれこれが全て揃っている。
境内の上横に抜け道があるので桃山町に行くときはいつも通過していてすみません。
無料駐車場もある。

宝永4年(1706年)に建立された大門は三間楼門で総欅造りである。仏師春日作の仁王像が迎えてくれる。その規模は和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさで重要文化財に指定されている。
大門をくぐって右折すると本坊や太子堂、池や庭園、中門がある。


中門を左折すると地蔵堂、六角堂、薬師堂、鐘楼などがあって大きな本堂に達する。
本堂は背後に行者堂や産土神社、千手堂などを従えている。
芭蕉と牧水の歌碑があった。
桃山時代に作られた枯山水の庭園は独特な世界を醸し出している。



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夕方になると突然のよう日が陰った。参詣の人もまばら。
息子達には心に残る初詣となったのかな。
御朱印をいただき車に乗った。



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西国第二番 紀三井山 金剛宝寺(こんごうほうじ)

2017-06-07 | 西国三十三所

西国第二番 紀三井山 金剛宝寺(こんごうほうじ)
ご詠歌 ふるさとをはるばるここに紀三井寺 花の都も近くなるらん

救世観音宗の総本山。開基は770年。為光上人による。
いつも「紀三井寺(きいいでら)」と言い慣れているので金剛宝寺が寺名だと初めて知った。
前回は桜満開で全山がピンクだったが、今回は冬景色。松の内だからやはり賑わっていた。石段も急でやたらに長い。山の上に鎮座しているお寺なのだ。




楼門から一直線に伸びる急な石段は231段ある。が、男女の厄年で区切って踊り場が設けられている。これは最後まで自分の足でゆっくりと最後まで辿りついてくださいということらしい。
寺名につながる三つの名水の湧き出る井戸があることでも知られている。
清浄水、吉祥水、楊柳水の三つだ。古来名泉中の名水として、茶の湯、お華の水、墨の水に又酒、味噌、醤油等の醸造家はひそかにこの霊水を汲みて仕込みに混じ、観音様のご冥護を祈念して来たと伝えられる。
また、桜の名所であり境内には約500本の桜の木が植えられている。京阪神では早咲き桜の名所として有名で、開花宣言の目安となる和歌山地方気象台指定の標本木(ソメイヨシノ)が本堂前にある。「日本さくら名所百選」に選ばれているほど。
本堂、六角堂、鐘楼とたくさんの建造物がある中でも多宝塔は遠くからも目立つ美しさだ。



偶然にテレビ和歌山で前田副住職の話を聞いた。
南海沖地震の折にはこの紀三井寺は避難所になれる。しかし、あの231段の石段を高齢者が登るのは無理。エレベーターや回遊路を作りたいとの趣旨だった。
遍路、いや遍路に限らず神社仏閣には長い石段が多い。ツアー遍路でもそのためにバスの中で待っている人がいた。短い石段なら横にスロープを作れれば車椅子で行けるが、急な長い石段では対応しきれない。
外国からの観光客がふえている昨今、観光立国を目指すのであれば早急に対応すべき問題だと思う。
雛流しで知られる加太の淡島神社では去年行った時にはスロープがつけられていてほっとしたものだ。
ましてや、避難場所にするのであれば弱者にも手をさしのべて欲しい。
紀三井寺にエレベーターが設置されたらお詣りする人がぐっとふえるだろうな。



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五月五日、六日、七日

2017-06-04 | 嘉永四年 辛亥日記

五月五日  

天気よし。
主人は登城して昼前に帰る。
浅之助が来て酒一つだし昼前に帰った。
4時頃鷺の森に参ると主人は出かけた。
了吉が昼頃帰って来て万次郎を誘って一緒に行く。
主人は田中に寄ったと12時過ぎに帰宅。
一緒に居たのは永井勇左衛門に浅之助、山田某らしい。


五月六日 


曇っているが雨は降らない。
昼過ぎに了吉が来た。
岩一郎は二時頃から岡野に行き、主人も夕方から岡野へ行った。
12時頃に二人で帰った。
岩一郎は謡をみなとうたったらしい。


五月七日 

また雨だ。が、段々上がって4時頃から日が当たり始める。
主人は三浦公へ行く。
その留守中に光明院が来た。
そのほか何もなし。





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五月二日、三日、四日

2017-06-02 | 嘉永四年 辛亥日記

五月二日 
風雨の天候だがそう激しくはない。
三浦へ2時過ぎに行く。
夕方、岩橋から魚(ホウボウ五つ)が贈られた。


五月三日 
今日も降る。
主人は4時頃から笹屋の頼母子帳を持って行く。
伊藤へも寄ったとかで夜10時頃に帰宅した。
紺屋が小紋形と麻糸を持って来た。


五月四日 
昨日同様の雨なり。
昼前に浅之助がきた。お茶だけ飲んで帰った。
日高屋から酒二升を取る。
昼頃から雨は上がる。
主人は伊藤泰蔵宅に行き一杯やる。帰りに鯖を三尾1匁で買ってきた。
岩一郎の会でみな12時頃まで居る。菓子など出す。



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