小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月二十八日、二十九日

2016-07-12 | 嘉永四年 辛亥日記
三月二十八日 
ようやく天気が続くようになった。
から手紙が来た。
藤の花が咲いたので明後日の一日か五日に来て下さいとのこと。
五日に行くと返事をした。
安兵がきて働く。
主人は学校の文の会があり2時前から行くが、その前に大助が帰りに寄ってくれと言ってきたので帰りがけに寄った。
夜の10時過ぎに帰った。
さて、今日は珍しく天気が良いと思ったらみんな遠方へ出かけたようだ。
御坊もおおいに賑わい、売りものの声や太鼓の音まで聞こえていたのだが、俄に雨が降り出しておおいに混雑したことだ。
門の外に出てみると北町の方へ走り行き交う様子でひどく難儀している人が多かった。
翠霞から手紙と肴一籠が届く。ちぬ1、さるぼ2つなり。
長くご無沙汰しているので申し訳がない。
近々参りますと返事した。

※ 正住寺(しょうじゅうじ)
和歌山城を背にした徳川家ゆかりの日蓮宗の寺。


三月二十九日 
天気良し。
安兵がくる。
主人は4時頃牛町の山中へ行こうと出かけるところへ九右衛門殿がきたので酒一つだし、昨日の肴で吞む。
主人は遅くなるので途中で出かけた。
しばらくしてから田中は帰られた。
小梅は風邪で寝ている。
ごふくや安兵が庭まできた。
夜8時過ぎに主人が帰ってきた。
ちょっと立ち寄ってみたら正住寺の藤が咲きこぼれるほどのこと。
5日には奥様に是非おいでくださいとの伝言。しかし、その頃には藤の盛りは過ぎているかも知れないがそれまでは寺の仕事があるので仕方ないとも言っていたそうだ。
また、帰りに樟下方へ寄ったら松や吉兵がきていたとのこと。
岩一郎が親の髪を結う。
金一歩、城ノ口。400文を安兵へ。





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