和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

雁/今日の俳句 ≪第1946号≫

2015年11月06日 06時42分15秒 | 今日の俳句

≪2015年(平成27年)11月6日(金)長月≫(旧暦9/25)


 低く飛ぶ雁あり扨(さて)は水近し
       黒柳 召波

 雁鳴いて大粒な雨落しけり
       大須賀乙字

 雁鳴くと聞こえは夢妻病めり
       石原 八束

 古九谷の深むらさきも雁の頃
       細見 綾子

 かりがねやそよろと立ちて近江富士
       大石 悦子


※ 雁(がん)・かりがね・真雁・菱雁・初雁・雁渡る・雁来る・雁の列・雁の棹・雁行・雁の声・落雁

 雁鴨科の候鳥。雁の類にはサカツラガン・ハイイロガン・マガン・カリガネ・ヒシクイ・ハクガン・コクガン・シジュウカラガンなどがあるが、かっこうの猟鳥であるために濫獲され、ちかごろはマガン・ヒシクイ・コクガンをのぞいて、他は日本への渡来はきわめてまれになった。
 灰色雁・白雁・黒雁の名はその体色からきたもの。白雁は全身純白のきわめて美しい清楚な鳥だが、ほとんど日本には渡ってこなくなった。黒雁は小型の黒っぽい雁で、昔は北海道・本州・九州などの江湾・干潟などにシジュウガラガンとまじって、わりあいたくさん渡来したが、これもしだいに減ってきている。
 日本に渡来するのは、真雁と菱喰が最も多くて、田畑の近くや沼や池におりて人の目にふれるのは、この両種である。
 ヒシクイは、雁のなかで最も大きい種類で、翼は四〇~五〇センチ ぐらい。尾は一五センチ内外。マガンとともに重要な猟鳥である。
 東部シベリアで繁殖し、秋に日本に渡来するが、北の地方ほど時期が早く、八戸では九月十六日、秋田では十月十九日、九州では十一月中旬以降となっている。
 ヒシクイは、沼や池におりて菱の実を食べるので、この名があり、また俗に沼太郎とも呼ばれる。池・沼・海上にすみ、夜は多く水上に眠る。朝夕二回餌を求め、雑草、野菜の葉や根、穀類などを主食とする。鳴き声が大きく、キャク、キャク、キャクと遠くまでひびきわたり、大群をなして渡るときは空をおおい,鳴き声がこだまし、壮観を呈する。
 マガンはヒシクイよりもやや小型の種類で、ヒシクイ同様猟鳥として濫獲されたために、いちじるしく数が減った。餌も植物のほかに少量の昆虫・蠕虫などの動物質を食べる。平野・耕地などに出て、朝夕二回餌を求め、夜は水上にいることが多い。群れをなして渡るとき、いわゆる雁の棹または雁の列と呼ぶV型や横列など、整然と隊列を組むことは有名。
 グワン、グワンまたはカリカリという鳴き声が、その名の由来であるという。別名を二季鳥というのは、その一部が旅鳥となって、春秋二度、日本内地を通り過ぎるからで、落雁は、そのおりるさまをいったもの。雁の渡るころは、秋も深まって、野には白銀の芒の穂がなびき、夜は月が美しく、それらを配した絵画は古くから多く、また詩歌の好題材とされている。
 ガンのおもな渡来地は禁猟区になっており、ゆるされた場所でも一人一日二羽以下の制限があり、マガン・ヒシクイ以外は猟を禁じられている。肉はカモに比べて美味とはいえず、賞味するひとはあまりない。

 【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】




     ※☆*わが友に贈る*※



 御聖訓「命限り有り
 惜しむ可からず」。
 二度と来ない「今」を
 完全燃焼で勝て!
 断じて悔いを残すな!

           11月6日



     ※☆*寸 鉄*☆※


座談会たけなわ。人々の絆結ぶ対話の園。幹部(リーダー)は全員が主役と輝く配慮を
        ◇
きょう「四国の日」。正義の友に魁の志は赤々と。人間共和の理想郷を築け
        ◇
「意(こころ)が声とあらはる」。どこまでも相手の幸福のために!誠意は必ず通ず
        ◇
まことの思想は民衆の中にー哲学者(ヒルティ)。我ら一人一人が人間主義の体現者と
        ◇
エスカレーターでの転倒や転落事故増。6割が高齢者。手すり掴み急がず


【聖教新聞:2015年11月6日(金)付】





     ※☆*北斗七星*☆※


沖縄の工事現場からは実に色々なモノが出てくる。不発弾や遺骨が見つかることも少なくない。沖縄に赴任して5年余り、自衛隊の不発弾処理車両がサイレンを鳴らしながら現場に急行する光景にも、すっかり慣れてしまった



発見されるのは、それだけではない。那覇市の再開発地で先ごろ、沖縄の交通産業にとっての史料となるかもしれない遺構が出土した。円形状の赤レンガ造りで、その直径は約8メートル。戦前の県営鉄道・那覇駅にあった転車台と見られている



12年前に都市モノレールが開業するまで、沖縄は全国で唯一、鉄道のない県だった。だが戦前は、もちろん沖縄にも鉄道があったのだ。県営鉄道は1914年に開業。那覇を起点に与那原町、嘉手納町、糸満市へ延びる3路線で運行されていた。今もあれば便利だったに違いない



しかし沖縄戦で壊滅状態に。戦後は米軍統治下に置かれ、国が鉄道を全国に敷設していく一方で、沖縄は鉄道復活の機を逸した。現在、車社会となった沖縄の渋滞は慢性化。那覇市の混雑時旅行速度は東京23区よりも遅く、全国ワーストだ



そんな沖縄で今、モノレールの延伸とともに鉄軌道導入の検討が進んでいる。経済発展や渋滞緩和になると期待は大きい。戦争で失った鉄軌道は県民の夢。実現の暁には、ぜひ乗ってみたい。


【公明新聞:2015年11月6日(金)付】