小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)8月7日(火)より転載】
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厚田45(8/7)
日蓮大聖人は、仏界の生命を確立して亡くなった方は、死後も、すぐに、九界のこの世界に帰って来て、広宣流布の大舞台に躍り出ると述べられた。
生死は不二である。
生と死は、別のものではなく連続しており、いわば表裏の関係にあるといってよい。
死して「死の仏」となるには、現世において、「生の仏」とならねばならない。
しかし、今世の時間には、限りがある。
したがって日蓮大聖人が、「臨終只今にありと解りて信心を致して」(御書一三三七頁)と仰せのように、“今しかない”と心を定め、一生成仏をめざし、一日一日を、一瞬一瞬を、地涌の菩薩の使命である広宣流布に生き抜くことが肝要なのである。
第二代会長・戸田城聖は、法華経の方便品・寿量品講義で、生命は永遠であることを強く訴えている。
「この世の中へ、また生まれてきて、また死ぬ。また生まれてこなければならない。
それがために、仏法ということをやかましく言うのであります。
いわざるを得ないのであります。死んでしまえば、おしまいだと言うのなら、仏法は必要はないことになるではありませんか。
この生命が永遠だと叫ぶ。
永遠であるから御本尊をきちんと拝んで、仏の境界をつかまなければいけないと、やかましく言うのであります。
もしも『しち面倒くさい。
なんだっていいではないか。
私は死んだら、それっきりだ』と言う人なら、そう貧乏したり苦労して生きている必要はないではありませんか」
さらに、戸田は、自殺にも言及し、「この肉体というものは、法の器と申しまして、仏からの借り物になっております」と述べ、その大切な仏の入れ物を、勝手に壊してはならないと、力説している。
仏縁を結んだ人は、いつか、必ず御本尊と巡り合える。
また、周囲の人びとの題目は、故人をも救い得る力となる。
それが仏法の力であるが、自ら命を絶ち、福運を消してしまう人を、絶対に出したくなかったのである。
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【「聖教新聞」 2012年 (平成24年)8月7日(火)より転載】
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厚田45(8/7)
日蓮大聖人は、仏界の生命を確立して亡くなった方は、死後も、すぐに、九界のこの世界に帰って来て、広宣流布の大舞台に躍り出ると述べられた。
生死は不二である。
生と死は、別のものではなく連続しており、いわば表裏の関係にあるといってよい。
死して「死の仏」となるには、現世において、「生の仏」とならねばならない。
しかし、今世の時間には、限りがある。
したがって日蓮大聖人が、「臨終只今にありと解りて信心を致して」(御書一三三七頁)と仰せのように、“今しかない”と心を定め、一生成仏をめざし、一日一日を、一瞬一瞬を、地涌の菩薩の使命である広宣流布に生き抜くことが肝要なのである。
第二代会長・戸田城聖は、法華経の方便品・寿量品講義で、生命は永遠であることを強く訴えている。
「この世の中へ、また生まれてきて、また死ぬ。また生まれてこなければならない。
それがために、仏法ということをやかましく言うのであります。
いわざるを得ないのであります。死んでしまえば、おしまいだと言うのなら、仏法は必要はないことになるではありませんか。
この生命が永遠だと叫ぶ。
永遠であるから御本尊をきちんと拝んで、仏の境界をつかまなければいけないと、やかましく言うのであります。
もしも『しち面倒くさい。
なんだっていいではないか。
私は死んだら、それっきりだ』と言う人なら、そう貧乏したり苦労して生きている必要はないではありませんか」
さらに、戸田は、自殺にも言及し、「この肉体というものは、法の器と申しまして、仏からの借り物になっております」と述べ、その大切な仏の入れ物を、勝手に壊してはならないと、力説している。
仏縁を結んだ人は、いつか、必ず御本尊と巡り合える。
また、周囲の人びとの題目は、故人をも救い得る力となる。
それが仏法の力であるが、自ら命を絶ち、福運を消してしまう人を、絶対に出したくなかったのである。
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