ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団103 印南で戦勝祈願した息長帯比売(おきながたらしひめ)命

2010-12-03 15:51:44 | 歴史小説
謡曲「高砂」で有名な高砂神社

「これから、高砂神社を回ってから、姫路に帰りたいと思います」
話が一段落したようなので、高木は一同を促した。
長老運転の車は、加古川に沿って南下したが、その西方には高御位山が播磨富士に恥じない美しい山容を見せ、その南には「石の方殿」のある伊保山が見えている。
「ざっと説明しておきますと、日本書紀、長門国の豊浦、今の下関にいた帯中日子(たらしなかつひこ)命、仲哀天皇は、妻の息長帯比売(おきながたらしひめ)命、後の神功皇后を熊曾討伐のために敦賀から呼び寄せます。播磨国風土記によれば、息長帯比売はこの印南や、さらに西の揖保郡の太子町や御津にも登場します」
「敦賀からだと、日本海を船で長門に向かうのが直線コースじゃあないの?」
ヒメの質問はいつも的確だ。
「この印南に立ち寄ったのは、帯中日子命の父、ヤマトタケルの母・印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)の一族の軍を募ったのだと思います。高砂神社の伝承では、その時に、戦勝祈願を行い、勝利の暁には神社を建てることを約束し、建立されたのが高砂神社であると言われています」
「息長帯比売が戦勝祈願を行った神は誰なの?」
ヒメは獲物に食いついたら離さない。
「それは、高砂神社の祭神として祀られている大国主以外にはありえないと思います」
「そうすると、やはり印南の王は大国主の子孫、ということになるわね」
「それだけではないと思います。大国主が建国した聖地で戦勝を祈願した、ということも大きいのではないでしょうか?」
ヒナちゃんが思いもかけないことを言い出した。
「おもしろそうだわね。もう少し説明してくれない?」
ヒメのアンテナに何かが引っかかったようだ。
「私は、帯中日子(たらしなかつひこ)命は、この時には天皇ではなかったと思います。景行―成務天皇のラインに対し、帯中日子命はヤマトタケルが地方でもうけた多くの皇子の一人に過ぎず、天皇になれる可能性はほとんどなかったと思います」
「そういえば、帯中日子命は大和には一度も入っておらず、長門の豊浦と筑紫の香椎に宮を構えていたなあ」
故郷、博多に関わるとなると、カントクは乗り出してきた。
「長門の王にしか過ぎなかった帯中日子命は、天皇になる野望を持っていて、熊曾討伐を口実にして敦賀や播磨の軍を集め、筑紫に進出したのではないでしょうか? 熊曾討伐ではなく、天皇になることを祈願したのだとしたら、大国主建国の地の印南こそがふさわしいと思います」
ヒナちゃんの推理にはいつも驚かされる。
「しかし、それなら出雲に回って出雲大社で戦勝祈願をした方がいいんじゃないの?」
ヒメもまた鋭い。
「それは、どちらの方が軍勢を集めやすいかだったと思います。出雲王は宗教的な影響力は維持していたと思いますが、兵士と食糧確保では播磨が有利だったと思います。また、播磨と関わりの深い吉備でも軍を募ったと思います」
「長門王の帯中日子命と息長帯比売命は、熊曾討伐を口実に筑紫を征服したことになるのかな?」
カントクのこの質問は、高木も考えていたところであった。
「筑紫王と共同で熊曾を攻撃した可能性もありますが、むしろ、筑紫王朝の内紛に乗じて、筑前王に協力して、筑後王を攻撃したのではないでしょうか」
ヒナちゃんの発言は、いつも最後まで考え抜いている。
「岡県主や伊都県主が帰順し、朝倉市杷木の羽白熊鷲や山門県の田油津媛を討ったという日本書紀の記載をみると、ヒナちゃんの言うように、筑紫王朝の内紛に乗じた可能性が高いな」
カントクはすぐに女性意見に同調する。
「しかし、成務天皇に子どもがなかったので、甥の帯中日子命に位を譲ったのではなかったかしら」
正史だと、マルちゃんの言うとおりである。
「古事記には正妃一人と子ども一人の名前が出ていますが、日本書紀には后や子どもの名前は一人もでてきません。成務天皇は古事記では95歳、日本書紀では107歳で、2倍年で計算すると48~58歳ですから、短命ではありません。当時の天皇が数人の后を持っていたことからみて、成務天皇にも直系の皇子が数人いたことは確実ではないでしょうか」
「そうすると、成務天皇の次には別の天皇が立っていた、ということになるの?」
「日本書紀では仲哀天皇の在位は9年とされ、その死後、息長帯比売命は新羅・百済を征服し、仲哀天皇の子を産んだことになっていますが、これだと、大和には9年間、天皇がいなかったことになります。私は、この期間には、成務天皇の子の香坂王と、その死後は弟の忍熊王が天皇であったと考えます」
「本来なら、皇位継承権のない帯中日子命や息長帯比売命は、熊曾討伐を口実に兵力を蓄え、帯中日子命亡き後、息長帯比売命は武力で忍熊天皇を討って皇太后になった、神功皇后になったというわけだな。帯中日子命が天皇であったとし、香坂王と忍熊王を帯中日子命の子にしておくとと、天皇を殺して政権奪取したということを隠せるというわけか」
カントクは納得したようだ。
「学界では神功皇后は後世に創作された人物、という説が根強いけど、どうなるのかな?」
マルちゃんが食い下がる。
「歴史推理小説家の感覚でいうと、実際の歴史を下敷きにしながら、その中に架空の人物を創作して何十年も登場させるって実に大変なのよ。それと、推理小説で難しいのは動機ね。神功皇后を創作しなければならなかった動機があったのかしら? 仲哀天皇をもう少し長生きさせて、応神天皇に繋げばいいだけじゃあない」
ヒメのいつもの反論は鋭い。
「日本書紀の編集後に、魏志東夷伝倭人条の卑弥呼の記述に気付いて、この時代に女王を登場させる必要があった、という説がありますけど」
高木としては、できるだけ情報を提供しておくべきといつも考えている。
「魏志東夷伝に合うように創作するなら、その頃にはない百済も新羅を登場させたり、息長帯比売命が朝鮮半島へ出兵した、夫や子どもがいた、などというストーリーは出てこないと思いますけど」
すぐにヒナちゃんに反撃されてしまった。

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資料:日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)
参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
      霊の国:スサノオ・大国主命の研究
       (http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
      霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
      帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)

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1 コメント

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万葉がな (鷹の羽)
2011-03-11 05:36:54
まぁ検索して下さい。

日本書記の注意書きにも書かれていますが、漢音の発音(原文は漢文)
古事記や播磨風土記は元々が万葉ガナで、呉音(揚子江~福建省・台湾後)の発音を前提。
古墳から出土しているのも、上之宮(難波)と武蔵・相模の野?原?の国
(三毛入野命)→野国(邑・氏族)に婿入りした三毛…
武雷命(中臣の武人)系列~鹿嶋神・経津神(海の民~平将門)・成田山(藤原氏系)
香取神…
横浜で見つかった大規模集落が該当するのか??
関東の系図は??

ヤマト地方をパス(避けて)関東に侵出した氏族…海の民と供に。
当時はヤマト地方にこだわる理由が全く無いから…
結果的には、包囲網。

>日本海を中心とした
華北系(北九州と畿内)と
華南系(瀬戸内海・四国と太平洋を中心とした関東地方)

万葉ガナを使うのは主に、華南系…
河北系は漢詞…

>>これも結果論でしょうけど…
九州を追放されたスサノオのおかげ??
悪役から主役に再登場!

日本書記は天皇家がヤマト入りした事実のみ…
古事記は天皇家の歴史(道中・過程)

万葉歌人も柿本人麿・住吉三神とか『海の民』系…摂津系
皇室の神事も『お田植え祭』など~呉の水稲関係…
河北の老荘思想(神仙思想)でも無いから。

出雲大社は『2礼4拍手』
住吉神社は住吉作り…
4拍手する4つの神殿を持っている氏族は??

中臣(祭祀族)の春日大社
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