ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

私は魔女?

2006-03-13 23:51:05 | Weblog
待ちに待ったキョウコサンとの逢瀬。
マリリンのお散歩はセニョール・ダンにお願いして、心せかるるままに、
家を出て、通勤ラッシュは幸いにも終わってて、どうにか本を広げる空間
はありの電車の中。
横浜駅で、キョウコサンへ乗車時刻をお知らせして、ついでに我がいでた
ちもお知らせして、一路逗子へ横須賀線。
古都・鎌倉も過ぎて、久しぶりの電車で眺めるその景色は、まだまだ残る
歴史を物語る建物が車窓から見ることが出来て、おのぼりさんみたいな好
奇心を、思いっきりそそられたそれだったわ。

駅に着いてみれば、改札口が2箇所。最早、おうちへ電話しても無駄な時間。
多分、海側と判断したのは正解。
向こうから、スタイルのいい、ソバージュヘアの女性が。独身時代よりぐ~ん
と魅力的になってたキョウコサンがいました。
「お久しぶり~~~、本当にキョウコサンよね。ああ、やっと会えたのねぇ」
この感激は言葉では表現できないわ。

彼女の水彩画が飾られている喫茶店に入って、その繊細な植物画に感心して、
さあ、ウン十年のお互いの年月のお話に突入よ。

彼女のお父様が外交官だったこと。中国生まれだったなんて知らなかった。
なんと、最近の中国関連話が身近にある事にちょっと驚き。
お父様と妹さんが、セニョール・ダンの大学の先輩後輩関係にあって、私の
生誕地(鹿児島・国分)とも深い関わりがあったりと、なんだか因縁すら感
じる彼女とのつながり。
彼女のスペイン(カナリア諸島)滞在、帰国後の婚家との関わり、生活。
彼女の日々のお話は、辛かったでしょうねえのお話すら
「もう、ドラマの台本みたい。ト書き付きなんですもの」
で、大笑いの中身が次から次へ。しごくまじめに話すのよ。それがハッキリ、
クッキリ、ごまかしのない、カッコつけない語り口で。誉めるのよ自分を!
それが少しも厭味じゃあない。だって、ホントなんですもの、よ。
こうなると、もう小気味いい!それで?それで?で、先を促したりしてね。

喫茶店の次は、我が町にはないお洒落なレストランへ連れられて。
ええ、逗子の顔は、まだまだ個性的で、ノッペリ顔じゃないわ。
彼女に言わせれば、どんどん今風になってきてるらしいけど、思わず見とれる
広いお庭に、どっしりとそこにいる日本家屋の個人宅が。
彼女宅の周りにあった3軒の敷地に、20軒の家が建ったなんて。いかに広い
お屋敷があったかということよ。大体が相続で、売却されてしまうらしいそれぞれ。
ついでに、海岸まで案内してもらって、これもまた久しぶりの潮の香をかいで。

彼女がご主人のご両親を迎え、彼岸への旅立ちまで同居したそのお家は、
「ねえ、生活してるの?」
というほど、整理整頓が行き届いた美しいそれぞれのお部屋他すべて。
友人の中に、数人いるわ、主婦の鑑みたいな女性達が。その中の1人になる彼女。
彼女の作品の鎌倉彫の数々は、センスのよさと腕のよさがハッキリ出てる。
「私って、器用でセンスいいのよねえ」
本当にその通りの作品、生活の風景、スタイル。
知り合いの中にも鎌倉彫りをする人はいるけれど、キョウコサンのそれは秀逸。
水彩画は10年以上師事してらして。そう、階段のコーナーにはバラが描かれた
6号の油絵。お父様の形見。
私 :「油はしないの?」
彼女:「ウン。だって臭いんだもの」
私 :「しかし、最近の絵描き人口の多いことね?」
彼女:「そうなのよ、あっちでもこっちでも展覧会」
私 :「作品はどうするの?」
彼女:「すごく気に入ったもの以外は捨てるわ」

北側に窓がある部屋が創作には向いてるのよって。直接光線が入らない部屋がい
いって、初めて知ったわ。

私 :「そういえば、高校時代に、美術の先生の好意で毎週先生のお宅でデッサン。
   当時は、デッサンと言えば木炭だったでしょう?うまく描けないと パンは
   口よ。
   それで、今あなたが北側のお部屋がいいって、そのアトリエも、北面に大き
   な窓があった、思い出したわ。そうなのね」
彼女:「でしょう?」

彼女と話してて、気持ちが良かった事。
ごく当たり前な会話。ごく普通の表現。その中でご主人のことを「夫」「主人」
と表現していられることに気づいてたの。巷に氾濫している「ダンナ」なんて出
ない。
ぞんざいな、コメンテーターなんかにする必要のない芸能人の、あくまで、個人
的バックボーンから出た、育ちの悪さ、意趣返しのそこから発せられる汚い、ぞ
んざいな言葉を、嬉しげに遣うパッパラパーの視聴者達、巷の女達。
そんなことから、

彼女:「ねえ、あなたはどう思う?」
私 :「何が?」
彼女:「自分の夫のことを人に言う場合に、うちのお父さんが」
私 :「そう、パパがなんていう女もね」
彼女:「私、言っちゃうのよ。アラッあなたのお父さんだったの?って」
私 :「ハハハハハ。でもそうなのよねえ、教養なき聞き苦しい言葉の氾濫よ、巷は」
 
ほかの、我が教養ある友人は、ご自分の夫君のことを、例えば
「ウチの鈴木(仮名)が」とか「タロウ(仮名)」がって、名前を言うのよ。
とってもきちんとしたしつけを親御さんから受けてらしたって、思ったもの。
ここでは、立場じゃなく個人がいるということね。べチャーっとした関係は見ら
れない。いまでも仲良しこよしのご夫婦で、お子さんご一家ともい~い関係を構
築よ。前にも書いたけれど、彼女は私の仕事上の先輩だった人。そして、そうだ
ったわ、キョウコサンのお姉さまと同じ美大卒。なぜかつながる関係よ。

キョウコサンの下のお嬢さんは幼稚園の先生。幼稚園児を見てれば親のしつけが
浮き出てくる。
当たり前のことだけど、その差がひどすぎるのですって。地域による差もありって。
いわゆるハイソサエティの地にある幼稚園では、家庭での子ども達のしつけもきち
んとしてる。もう、親の姿そのものよ、だそう。
けれども、ハイソの女達がやってくれる人を見下す言動。

私 :「ああ、やっぱりあるのね、この辺も」
彼女:「そう、凄いわよ。いやらしいたらありゃあしない人種が住んでるのよ」
私 :「フ~~ン、私が思うには、自分に自信のない人間がそういう風になるん
   じゃない?ちゃんと考えて、自己の確立が出来てる人間はそうはならない
   はずだから、私は、そんな人は数に入れないし、バ~カってなものよ」
彼女:「なるほどねえ」
私 :「でしょ?でも、女も社会にって、戦後の教育の弊害はひど過ぎる。
   大部分のフェミニズム、ウーマンリブ活動を声高にしてきた女達は、幼い頃
   あるいは思春期に、そう、人格形成期に女の子として人として、心がドクド
   クと血を流すような経験をしてきたって、私はみるのよ。身近な人に傷つけ
   られた。
   そこに平等を!って、心地いい言葉が後押しをしたんじゃないかってね。
   そうすると、彼女達の行動が良くわかる。でも、賛同は出来ない胡散臭さが
   ぬぐいきれないもの、それは個人の恨みの吐き出しでしかないって。
   そして、、そういう心に傷を持つ女達が「そうだそうだ!!!」ってね。
   恨みつらみを抱える男達も、そこに連なる。可哀想だけど、いや~~ねぇよ
   私には。なんか厭なのよね、人を巻き込もうとするその根性が。心のどこか
   で、意気地なし!って思う部分があるの。ちゃんと向き合いなさいって。
   親子の関係にケリをつけなさい!それができてから社会運動でしょうが!っ
   てね」

子育てを甘くみて、軽んじてるから、その時々の、2度と見られない子どもの
決定的嬉しい瞬間、変化に立ち会うこともしない。要するにいいとこ取りをしたい
あさましい親、女達なのよね。だから、堀エモン?そういう人間に踊らされる、
数えられるものにしか関心がない。
最近悲しいばっかりよ。子ども達が大人の犠牲になってる。

彼女:「ねえ、今や、きちんとお料理をする親達が減少してるって知ってる?」
私 :「ええ、らしいわね。包丁・まな板がない家庭まであるらしいものねえ」
彼女:「そして、弧食じゃなく勝手食なんて有様らしいわよ」
私 :「そんな人たちを生み出した団塊の世代がいよいよ年金を食いつぶす集団に
    なるのよ。お~~怖(こわ)!なんせ、恥じということを知らない。教育
    にはお金をふんだんにかけてもお行儀は教えない。女の子はひざ頭を離さ
    ない、下着は他人の目に触れないように干す。
    こんなことが大事なのにねえ。言葉遣いに親は神経をとがらさなきゃいけ
    ないのによ。言葉が乱れると生活も乱れるのよ。
    社会に出る我が子が恥をかかないように、愛される人になるようにってね。
    才能なんて、あれば勝手に出てくるものだから、ね?
    それでさあ、私、聞きたくないセリフ、バツ一。
    バツ一なんて平気で言うばか者恥知らず。己が愚かしさを隠そうともしない。
    子どもがいなきゃお好きにどうぞ、だけど、子どもがいたら、その子が受け
    た心の傷は一生治らないと言うことを知らなきゃいけないのよ。
    離婚に至る期間の両親の喧嘩。それがどれほど子どもの心を傷つけたか。
    どんな理由もいいわけも、その子の助けにはならないって事をね。子ども
    は自分の非力・無力さを悲しんだはずよ。親の離婚を食い止められなかっ
    た自分も呪ったり」
彼女:「そうよねえ」

話は尽きずだけど、お暇(いとま)する時間になって、

私 :「楽しかったわ。また会いましょうね」
彼女:「先生を囲む会の地図、FAXしてね」

駅まで送ってもらって、名残惜しかったけど、さようなら~~。

うちに帰ってから、同期会のFAX送信。お礼も書いて。
そうしたら、キョウコサンからの返信に、
”駅で見た時魔女かと思った。でも、本当に魔女かもしれない。だって、
私の母と会い、その1週間後にはもう、おしゃべりしてるのですもの。母に
電話をしたら驚いてました”

それで思い出したのが、30才あたりだったかなぁ、友人(女)の男友達達が、
私のことを”魔女”って言ってた事を。
フフフ面白いじゃない。う~ん、なんで私は魔女じゃないのかしら?なんて、
お掃除やお台所の後片付け時に言ってたものよ。そう、奥様は魔女のサマンサ
みたいにね。でも、私って、もしかしたら魔女かもしれないわね、ホントは。
記憶にない(しない)本日の我がいでたち。帽子から靴まで黒尽くめだったから?
ええ、帽子の下は、黒い絹のスカーフが顔を大きく隠していたし。彼女を確認
してから、濃い黒のサングラスをはずしたけれど、彼女はすでに私を見てたの
かも知れないわね。

よかったわ、その辺のオバサンなんかに見られなくて。
いくつになってもミステリアス。これがなくなったらおしまいです。
これから、彼女とのお付き合いが再開されそうです。
手話のお勉強を始めるキョウコサンへ、大きな拍手を送ります。
そうそう、向かい合って、彼女のおうちでお話してて、
「ねえ、ずっと感じてたんだけど、岸恵子に似てる。言われたことない?」
「あるのよ」
岸恵子みたいな大きな口はしてないわ。なんともいえない顔の表情と作り。
自信に満ちた、人生の辛酸の何がしかを上手に乗り越えてきた大人の雰囲気。
美しい女性と、楽しい時間を過ごしてきた魔女(?)でした。

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