第二次フォークランド紛争?

2010-02-28 21:06:59 | 軍事ネタ

英石油会社、フォークランド諸島近海で原油の掘削開始
http://www.cnn.co.jp/business/CNN201002220029.html


フォークランド諸島シー・ハリアー戦闘機

南米フォークランド諸島にて油田が発見され、イギリスが掘削を開始しました。
これを受けて、かねてよりフォークランド諸島の領有権を主張していたアルゼンチンはイギリスに抗議を開始。
フォークランド諸島近海の原油の推定埋蔵量は600億バレルとも言われており、
それが事実ならベネズエラ(870億) やロシア(794億) に次ぐ世界でも有数の大産油地域となります。

このフォークランド問題は1982年に最も激化し、アルゼンチン軍とイギリス軍が大規模に衝突する事態となりました。(フォークランド紛争)
近年は沈静化していたのですが、海底油田の発見により領有問題が再燃しており、
第二次フォークランド紛争 の危険性が指摘されています。
(尚、アルゼンチン政府側は武力攻撃の意思は無いとも表明しています。)


さて、1982年のフォークランド紛争といえば、太平洋戦争以来となる航空機による艦隊への大規模な航空攻撃作戦が取られ、
また現代戦闘機やミサイル、艦船類などを用いた大規模な空海戦の唯一の例であり、
この紛争による戦訓は資料的価値が極めて高く、各国の兵器開発方針に影響を与えたことで有名です。

とりわけ、実戦で史上初めて攻撃機から発射された対艦ミサイルで艦船を撃沈したこと、
また艦船から艦対空ミサイルによる迎撃が大規模に使用された初めての例であること、
西側諸国の現代兵器同士が衝突した初めての戦争であること、
装備の質で劣るアルゼンチン軍が地の利と巧みな戦術を活かしてイギリス軍に大きな被害を与えたことなどが一般にクローズアップされています。

特に航空機から投弾された対艦ミサイルや自由落下爆弾などによるイギリス海軍の艦船被害が著しく、
太平洋戦争で日本軍航空隊の攻撃を受け戦艦2隻が一方的に撃沈された「マレー沖海戦の悪夢の再現」 とまで言わしめました。


この戦いではアルゼンチン軍側航空機は諸島を遮蔽物にしての低空侵入・攻撃作戦をとっており、
早期警戒機を持っていなかったイギリス軍はアルゼンチン軍航空機を早期に捕捉することができませんでした。
これにより遠距離から艦対空ミサイルで迎撃するという手段が困難であり、
容易に接近を許してしまったことが艦隊への被害を拡大させた大きな要因となっています。


フランス軍戦闘機に搭載された「エグゾセ」 (真ん中の白いやつ)

一連の戦いでアルゼンチン軍側は保有していたフランス製対艦ミサイル「エグゾセ」 を5発使用し、
4発はシュペル・エタンダール攻撃機から、1発は地上から発射されました。
その結果、イギリス海軍の駆逐艦1隻とコンテナ船1隻を撃沈し、もう1隻の駆逐艦にも命中弾を与えました。

撃沈されたコンテナ船は搭載されていた軍用ヘリ9機ごと撃沈された為、
この被害によりイギリス軍のその後のヘリ支援能力に大きな制約を与え、
アルゼンチン側は空母と誤認して攻撃した為に空母撃沈と一時期喧伝されました。
1発のエグゾセは外し、もう1発のエグゾセはイギリス海軍フリゲートの4.5インチ主砲により撃墜されました。(偶然と言われている。)

その他、攻撃機からの自由落下爆弾により4隻が撃沈され、他10隻にも命中するという、イギリス艦隊の被害は膨大なものとなりました。
しかし命中した爆弾のうち半数以上は不発弾であり、もしも全ての爆弾が炸裂していたらさらに6隻以上は撃沈されていただろうと言われています。
この不発率の高さは、イギリス軍の警戒網を潜るため、また爆弾の命中率を上げる為に海面スレスレの低空攻撃をとっていたことが原因であり、
低空からの投弾による衝撃では爆弾の安全装置が解除されなく信管が作動しなかった為です。
(爆弾には事故防止の為に、高空からの落下による大きな衝撃が加わらないと炸裂しない安全装置が組み込まれている。)


これらの甚大な被害により空母の喪失を恐れたイギリス海軍は、空母をアルゼンチン軍航空機の手の届かない沖合に避難させたことにより、
航続距離の関係で艦載のシー・ハリアー戦闘機が十分にフォークランド諸島上空で空戦を行うことができず
十分に制空権を確保できなかったのも敵航空機の侵入を許した要因の一つです。

しかし戦闘機同士の航空戦においては概ねイギリス軍側が優位に立っており、
アルゼンチン軍航空機が装備する旧式のAIM-9Bミサイルでは敵機の背面から発射しなければ命中しませんでした。
対してイギリス海軍のシー・ハリアー戦闘機はより最新のAIM-9Lミサイルを装備しており、こちらは敵機を正面から捉えても命中させることができたので、
空戦においてはアルゼンチン側のミラージュ戦闘機はシー・ハリアーを撃墜することができなかったのです。
(ただし地上からの対空砲火とまた事故により、紛争の間にシー・ハリアー9機が喪失している。)

アルゼンチン軍側のフランス製ミラージュ戦闘機のほうが運動性能や速度性能ではシー・ハリアーよりも優れていましたが、
しかし空戦自体はシー・ハリアーが主導権を握ったことから、現代航空戦では機体性能よりも電子機器の性能が状況を左右するという結果となりました。
また上記の通り、両軍戦闘機とも新旧のアメリカ製AIM-9「サイドワインダー」短距離ミサイルを装備して対峙していました。


また陸戦では、アルゼンチン軍側は12.7mm口径弾を使用するM2重機関銃にスコープを付け、
長距離狙撃に使用し大きな効果を挙げたことで、この戦訓で各国軍に対物ライフルの普及を促進させました。

対するイギリス軍側は上記戦術で大きな被害を受けたことにより、さらに遠距離から
対戦車ミサイルを陣地に撃ち込み粉砕するというアウトレンジ戦術で対抗しました。
この戦訓はその後各国の対戦車ミサイル設計に影響を与え、(アメリカのFGM-148「ジャベリン」など。)
対戦車ミサイルでも対建築物や対地形攻撃に大きな効果を発揮することが認識されました。


一連の戦いにより、アルゼンチン側は巡洋艦1隻、潜水艦1隻、他6隻の哨戒艇などが撃沈。
航空機を79機喪失しました。(ただしイギリス側は103機の撃破を主張。)
イギリス側は駆逐艦2隻、フリゲート2隻、コンテナ船1隻、揚陸艦1隻が撃沈され、さらに12隻が損傷。
シー・ハリアー9機とヘリコプター25機の喪失を認めました。


3ヶ月で戦いは収束し、甚大な被害を出しつつも、実戦経験と装備の質でイギリス側が勝利する結果となりました。