今日よりちょうど70年前の1944年6月6日。
第二次世界大戦の欧州戦線の中でも、極めて重要な作戦が開始された。
この戦争を始めたドイツ軍は、当時2つの戦線で戦っていた。
1941年以来ソ連と泥沼に戦い続けている
東部戦線と、
1943年にイタリアが寝返り連合軍も上陸していた
イタリア戦線である。
では西部のフランスはどうなっていたかというと、
1940年にドイツ軍がフランス全土を占領して以来、
小規模な連合軍の上陸はあったが、決定的なものではなかった。
空を見ればイギリスから連合軍爆撃機が日々飛来していたので、
無差別爆撃に対してのドイツ本土防空戦が展開されていたし、
またフランスのレジスタンスによる破壊工作も活発ではあったが、
少なくとも大規模な連合軍部隊の上陸は未だ無かった。
フランス方面は後方地域であったのだ。
しかし、いずれはフランスが再び戦場となる日はくるであろう。
誰もがそれを予感していたし、連合軍もドイツ軍もその日に向けての準備を進めていた。
1943年11月28日の
テヘラン会談に於いて、アメリカとイギリスはソ連に対し、
フランスに軍を送り
西部戦線を形成することを約束した。
東部戦線でドイツ軍の主力を一身に引き受けていたソ連としてはずっと前から求めていたことである。
フランスに上陸するにあたり、連合軍の理想としては、まず一撃目でできる限りの打撃を与え、
圧倒的兵力を揚陸し、一気にパリを解放することであった。
1940年のダンケルクのように海に追い落とされることがないように。
その作戦のために艦船や航空機を大量動員するのに時間が必要だった。
少なくとも作戦開始は1944年の5月か6月頃になるだろうと思われ、
また上陸地点は北フランスのノルマンディーであると決定された。
フランスに上陸する部隊と資材は全てイギリスに集められたが、
イギリス本土で物資の移動が忙しくなったことをドイツ側は察知していた。
大規模作戦となるとどうしても準備段階から目立ってしまうことで、
上陸作戦の開始自体を秘匿することは不可能であったので、連合軍は、
上陸地点がどこであるかを欺瞞することに多大な努力を払った。
欺瞞作戦
"ボディーガード"には2つの目的があった。
1つ目に他の戦線に上陸の可能性を疑わせ当該区域のドイツ軍部隊を拘束すること。
2つ目にフランス内であっても実際の上陸地点をパ・ド・カレー地方であると信じさせること。
まず1つ目の方は
フォーティテュード・ノース作戦と名付けられ、
架空の部隊を作り上げてノルウェーに上陸する任務を与え、その情報を二重スパイを通じてドイツ側に流した。
それと同時にスウェーデン政府と交渉を開始し、偵察飛行の為の領空通過許可や補給協力を申し込み、
外交面から連合軍がノルウェーに上陸する準備を整えているかのような印象をドイツ側に与えた。
この結果、ドイツ軍はノルウェー方面軍をその地域に釘付けにし遊兵化させざるを得なかった。
2つ目の方は
フォーティテュード・サウス作戦と名付けられ、
パ・ド・カレーはイギリスから最も近いフランス沿岸であるので、ここが本命であるかのように見せかけた。
実際に準備爆撃をする際に、ノルマンディーに1トンの爆弾を落としたらカレーには2トンの爆弾を落とした。
また歴戦で有名なパットン将軍を架空のカレー上陸部隊"第1軍集団"の司令官に任命し、カレー対岸のイギリス南東部に配置した。
そしてその南東部ではハリボテの建物が多く造られ、ダミー船団を配置し、
暗号化された無線通信を膨大に交わし、本物の作戦準備をしているかのように見せかけた。
こうすることで実際にノルマンディーに上陸したその時でも、
ノルマンディーはあくまでも陽動作戦で本命は第1軍集団によるカレー上陸であると疑わせ、
初期段階におけるドイツ軍増援部隊の集中を阻止しようとしたのだ。
5月18日には不運にも海岸偵察チームがドイツ軍に捕まってしまう事件が起きたが、
幸いにも場所がカレーだった為にフォーティテュード・サウス作戦を強化する結果となった。
このノルマンディー上陸作戦は
"オーバーロード"と名付けられ、
D-Day(作戦決行日)を6月5日と定めたのは5月23日のことである。
5月31日に入ると艦船への積み込みを開始したが、
作戦日が近づくにつれ、天候が思わしくなくなってきた。
大量の艦船と航空機、そしてグライダー部隊をも同時に
運用することとなったので、天候は最重要であったのだ。
祈るような気持ちで6月4日を迎えた時、
気象班からの報告では嵐がきそうとのことだった。
さらに次に理想的な天候となるのは6月19日とされており、
二週間もの延期を余儀なくされるかのように思えたが・・・。
どうやら1日だけ待てば36時間の間だけ、雲は残るが雨と風が止む機会があるとのことだった。
連合軍司令官のアイゼンハワーはここに、24時間のみの延期をもって作戦を開始する決定を下した。
D-Dayは6月6日に変更されたのである。
この
史上最大の作戦における兵力は上陸第一陣15個師団を含めて300万人。
彼らを援護するのは戦闘機5400機、爆撃機5000機、輸送機2300機、
戦艦7隻、巡洋艦26隻、駆逐艦294隻、揚陸艦と上陸用舟艇が4100隻などで、
上陸時には戦艦部隊の艦砲射撃と、爆撃機が初日だけで13000トンもの爆弾を投下する予定であった。
D-Dayというのは作戦決行日のことを表す用語だが、
このオーバーロード作戦が有名になりすぎたので、
今日では単にD-Dayというと1944年6月6日の本作戦を指す言葉として扱われる。