Decca Decolaがお嫁入り

やっとこさ入手したDecca Decolaの整備記録

Western Electric と 劇場スピーカー

2021-03-18 10:16:13 | Western Electric

 この1年はコロナ禍で映画館に行くことがめっきり減ってしまった。先日久しぶりに観たのは話題の「鬼滅の刄」。封切りから日にちが経っていて1日の上映回数は減ったが空前のヒット作品とのことでまだ公開が続いている。平日なのに結構な入りで(自分もそうだが)年配の方が多い。映像の緻密さ美しさが言われるが音響も凄い迫力でまさに音の洪水。家庭では高画質大画面のテレビが普及しているがホームシアターを目指したとしてもここまでの音響再生を実現するには並大抵ではないし建物の検討から必要になりそう。正直圧倒された。

 Western Electric社は今から95年ほど前のトーキー映画の黎明期に音響機材、ノウハウを供給していたアメリカの企業でその後早い時期に映画界から撤退した。当時映画は非常に大きな娯楽産業で無声映画からトーキーへの移行期には多くの資金と優秀な人材が集まり研究開発された理論、技術、機器はその後の音響産業の礎となった。トーキー映画のために有名なWE555が開発され当初はフルレンジユニットとして大型のカールホーンとともに用いられた。再生周波数は6kHz位までだったが台詞やオーケストラなどの再生には支障はなかったとされる。当時の銀幕は音を通しにくかったので音響装置をスクリーン裏に設置することができず用いられた12A 13Aなどの巨大なホーンはスクリーン前部のオーケストラピットに置かれたり、天井から吊るされたりしていた。劇場、映画館の規模は様々でオーダーに応じてシステムを設計し納入され機材やメンテナンスはすべて高額なレンタル契約がされていた。

(引用:https://community.klipsch.com/index.php?/topic/174189-if-you-could-have-just-one-speaker-for-the-rest-of-your-life/page/4/)

 12Aと13Aホーンは単板で製作されていた関係で非常に重くまた12Aと13Aは常に一対で運用されていた。製作も手間がかかり(クレデンザで実績のあったVICTOR社に外注していた)高価だったため軽量、安価な17Aホーンの開発がされた。17Aはシングルスロート以外でも複数のWE555を用いることができるマルチスロートが用意されていて17Aホーン1台に対しWE555が4基まで対応した。一般的に用いられる名称の15Aは17AホーンとWE555が1基の組合せの呼称。 設置場所の問題はスクリーンの布に7mm間隔に1mmの穴を空けるという手法ですぐに(1927年頃)改善されスピーカーはスクリーンの裏に設置されるようになった。

 1932年頃になると映画フィルムのサウンドトラック記録再生方式が改良され、それまでのレコード円盤同期システムからライトバルブ(light valve)方式となり周波数帯域も100〜6000Hz程度から50〜10000Hzへと改善された。WE597などのツィーターはこれに応えるために開発されたが実際はヒスが目立ちあまり歓迎されなかった。低域も今までのホーンに加えて新規のダイナミックスピーカーを挿入して帯域の拡大をはかるようになった。当時ダイナミックスピーカーの特許権の関係でWEでの自社生産は難しくジェンセン社からOEM供給された。ユニットは12inchと13inchの2種類で各々に励磁のための整流回路を持つもの、持たないものがあり全部で4種類で賄われた。映画館の規模に応じてユニット1本から6本までのシステムがあり取り付けられたバッフルも4種類用意された。17Aホーンと組み合わされたシステムは1〜10システム、16Aホーン(金属製の薄い形態)と組み合わされたシステムは1〜6システムまであった。これらは「ワイドレンジサウンドシステム(前期)」と呼ばれた。

 1935年後期になると17Aホーンは引退し22Aホーン(金属製)になった。「ワイドレンジサウンドシステム(後期)」はいずれも複数の22Aホーンもしくは16Aホーンとダイナミックスピーカーとホーンツィーターの組み合わせで規模に応じて新システム1〜5まであった(新システム5は最小で各々1本ずつの構成)。 ちなみに実際に劇場に設置された写真は殆ど残っていないとのことで不思議な気がする。

 1937年にはミラフォニックサウンドシステムが開発され新たな時代の幕開けとなる。これはカールホーンとバッフルに取り付けられたダイナミックスピーカーの根本的な問題が解決せずライバル企業に対抗するために開発されたシステムで、WE594とストレートホーン+巨大なバッフルとダイナミックスピーカーを組み合わせた。Western  Electricのシアターシステムの2つあるとされる峰のもう一方だがこれは別項に譲ります。

 

 雑誌の記事で気になっていたのは「1936 Series No,6」というシステムで上記のシステム一覧には見当たらない。(No,6は新システムの連番ではないかと思っていますがお詳しい方がおられましたらご教授をお願いします)構成は500A(WE91A(300A)アンプ+モニタースピーカー)と駆動されるスピーカーはTA7331バッフル+TA4171ウーファー、22Aホーン+WE555、TA7332ネットワークという構成で1936年1月より供給が開始された。

 

 かなり変わった(変な)格好のスピーカーシステムで特にTA7331バッフルは大きさの異なる箱を2つ繋いだような見たことのないような形、22Aホーンは横に倒れてバッフルから離れた上方に吊るされていて両者間には布がぶらさがっている。対象は最小規模の映画館と思うがTA7331バッフルの現存数の少なさや資料に登場しない事などから異端だったのではないだろうか。

 劇場のサウンドシステムを部屋に持ち込む発想は冷静に考えればちょっとおかしな嗜好だと思うが日本のオーディオ愛好家では普通に多いパターンだった。中でもALTECのVoice of the Theatreは最も一般的だったがもっと遡ってWestern Electric製品を置きたいと考える時大きなバッフルやカールホーンを置く場所があるのは一部の恵まれた人だった。上記の「新システム5」は小規模劇場用だがそれでも12inchのダイナミックスピーカー1基が取り付けられたバッフルの大きさは60inch x 96inchもあってそれに比べると「1936 Series No,6」は小型でうまく鳴らすことができれば手軽に(?)ウェスタンサウンドが味わえるかもしれない、、と思った人は結構いたと思う。しかし成功したという話はほとんど聞いたことがなくTA7331バッフルも22Aホーンも難しいというのが一般的な見解のようだ。

 


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