Decca Decolaがお嫁入り

やっとこさ入手したDecca Decolaの整備記録

スペースエイジ spaceage とテレビ について

2020-04-29 09:53:31 | テレビ

スペースエイジは1969年のアポロ11号月面着陸などに触発された宇宙ブームの流れを受けて'70年代から'80年代にかけて興ったデザインと理解している。家具や小物などいろんな分野で見られたがやはり印象的だったのは当時日本の得意としていたテレビ、ラジオ、ステレオセットなど小物家電でその中でもテレビは現在の液晶パネル製品はほぼ似たような形になるが当時のブラウン管テレビは画面の球面観とも相まって魅力的なものがあった。世界的にもコンセプトとの相性が良かったためか日本に限らず数社から発表されていたので浅学ではあるが紹介してみたい。

 

Videosphere (JVC)  フリフリQ 9T-11 (ビクターテレビ)

(出典:https://twpunk.tumblr.com/post/103551363458/広告-ビクターテレビ-フリフリq-9t-11型-1971年)

 「Videosphere」は輸出製品だったが後年「フリフリQ」という名前で国内販売された。9インチ白黒 価格は38,000円 色はアイボリー、オレンジ、ブルーの3色だったが輸出品はもう少しバリエーションがあったらしい。球体テレビなのでパタパタ時計を組み込んだ台座(数種類あったらしい)に載せたり付属していたチェーンで天井からぶら下げて使うことになる。スペースエイジといえば真っ先に紹介されるほど象徴的な製品で一目でこの世界を理解できる。結構販売されたらしく内外オークションでも頻繁に見ることができます。この写真は'71年の平凡パンチ掲載のもので触発されたと思われる'69年のアポロ11号の宇宙服のデザインはレイモンド・ローウィが手がけたと言われている。

 

 

DONEY(Brionvega ブリオンベガ)1962年

 ブリオンベガ社は1945年イタリアのミラノで設立され紆余曲折を経て現在はポルデノーネにあるエレクトロニクス企業(wikipedia)。マリオ・ベリーニなどイタリアの著名デザイナーによる製品を発表していた。日本でも「ヤマギワ」から復刻された製品が販売されていた。「DONEY」は'62年にマルコ・ザヌーゾ&リチャード・サパーが手がけた同社の代表的なモデルでADI(イタリア工業デザイン協会)が主催する世界で最も権威あるコンパッソドーロ賞を受賞した。当時は12インチ白黒だったが2001年にリファインされたカラーテレビバージョンは14インチ SIZE: W34 × D38 × H31 cm 価格:¥121,485で大きさ以外でも細部の形状が異なる。

マルコ・ザヌーゾ(出典:https://jhennesysloisos.wordpress.com/2016/08/29/first-blog-post/)

 市販される前のオリジナルの形状はブラウン管とボディの曲面の関係が見事でとても美しい。'59年発表のSONY 8-301によく似ている。

 

 左は市販された12インチモデルでブラウン管の形状がスクエアになって全体の形状もそれに合わせているがUHFチューナーも搭載していることから'62年発売開始から途中でモデルチェンジがあったと思われる。右は一見大きな違いはないが2001年発表の14インチカラーモデル。

 

 

 

ALGOL (BRIONBEGA) 1964年

  マルコ・ザヌーゾ&リチャード・サパーが手がけた同社のもう一つの製品でこちもDONEYと同時期に復刻された。

  

                                              (出典:https://www.nakamuraya-onlineshop.com/news/2014/02/brionvega.php)

 

 「ご主人様を見上げた犬をイメージした」という記事を読んだことがある。

 

 

 

TR-603B(National)TR-005(Panasonic) 1972年

(出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/index2.htm)

 National(現Panasonic)のpopmecaシリーズは'72年のカタログによればとてもマニアックなものでEXPO'70のタイムカプセルに収蔵されたような製品も含まれていた。当初は北米向けにPanasonicブランドで他のpopmeca製品同様に売り出されていたがやがて型番を変えて国内でも販売された。6型というとてもコンパクトな製品で長いロッドアンテナを伸ばした姿がうさぎみたいで愛らしく現在でもvideosphere同様に人気がある。 

 

 

  

 6インチブラウン管なので写真で見るより実際はずいぶん小型です。Videosphereはアポロ11号の宇宙服を、、と書いたがTR-603Bは初代ウルトラマンの科学特捜隊に見えなくもない、、いやもっと身近なキャラが居るではないか!

岡山ローカル放送局「RSK」の「アレスケ」君だ!これから我が家ではこのテレビのことを「アレスケくん」と呼、、、。

 

 

 

SANYO C7-101A   MODEL No,564・4019  1976年

        

 三洋電機は創立時は松下電器と親戚関係だったが現在ではPanasonic配下となり「SANYO」の名前は海外でPanasonic以外の企業が製造した製品に僅かに残っている。長い歴史の中で特徴ある製品を数多く開発しそのままPanasonicに引き継がれたり(eneloopなど)デザイン面でも優れたものがあった。また海外製品のOEM生産も行なっていたらしい(後述)。これは非常に美しい形状と色彩で洗練されているコンパクトな8inchカラーテレビで輸出と国内両方で発売されたが多分1976年頃と思われる。色はグリーン、ベージュ、レッド3色を確認している。

 

Sears 564.50190500  1975年

 三洋電機から米国の大手デパートSearsのプライベートブランドにOEMされた製品。9inchの小型テレビで左右の耳部分がVHFとUHFのチャンネルダイヤルになっている。

     

 Searsブランドはクリーム一色だったそのほかのカラーも存在するようなので他のブランドからも発売されていたらしい。

 

 

 

SPORTSMAN TR-808C National  1976年

  

 当時の広告によるとアメフトをイメージした製品で色は青と赤の2種類。電池駆動も可能でバッテリーケースは横にはみ出しているというワイルドさ。見るからに「生活防水です!」みたいな格好だがもちろんそんなことはない。上面の排気口みたいなスリット内にはスピーカーがあって放熱も兼ねる。このブラウン管のみを前面にしたスタイルはより洗練されて'80年代の同じナショナルの「Piedra」に続いていくのだが上記のBrionvegaの影響を受けていると思う。

 

 

 

Radiola - RA 2870/80  Philips TF1170  1968

 

 上部のハンドルの付根に「Radiola」と書いてあるが「Radiola」は1922年創立のフランスのエレクトロニクス企業で1929年以降には身売りしてPhilips傘下となり「Radiola」というブランドだけが1950年代以降ラジオ、テレビなどにつけられた。この製品は「Philips TF1170」で1968年から'70年頃に発売された白黒テレビでJVC Videosphereなどと共に典型的なスペースエイジデザインとなっている。Philipsにはこれ以外も球形のフードの付いたテレビがある。底のシールには50Hzという記載がありヨーロッパ仕様のようで対応する電圧も110V〜220Vと幅広い。またDC12Vの入力もあり間違えないように普段はキャップで覆われている。

 当初は極端に情報が少ないためガレージメーカーが作った数品ものかも知れないとも思ったが内部の構造は緻密でしっかりしたプロジェクトを感じさせた。外観の特徴は球体のブラウン管の切り出し方がシャープでとても魅力的、ダイヤル類もポケットに収まってスライドドアを閉めると全く見えなくなる。背面にはロッドアンテナが2本、円筒形の置き台は可動で傾斜角度が変えられる。外皮は2ピースのシェルでガチャポンカプセルのように組み合わされる。

 

 

 

GE BA1202VY(General Electric Model BA1202VY)  1976年

 60Hzのパタパタ時計が付いているGE製。裏のシールにMade in Japanとあり製造は三洋電機。webで品番で検索すると僅かにヒットするがかなり珍しい製品かと思われる。国内では「T500D プロト」という名称でSANYOから発売されていた。ブラウン管は5inchでコンパクト、時計は電子アラームが付いていて音量調整ができ機能はとてもシンプルでわかりやすい。

 

 用途はベッドサイドやデスクトップだと思うが非常に質感が高く洗練されたデザインでスペースエイジには違いないが最初にデザインありきと思わせない格調の高さを感じさせる。傾斜している前面パネルは上下2ピースのシェルに囲まれ少し奥まって位置しているがシェルの前面のラインも傾斜がありパネルの奥のブラウン管を含め各々3層の傾斜の角度が異なっている。最外装のシェルと前面パネルの間にはテーパーのついたパーツがあるのだがシボの質感が高く前面の幅の狭いカット面もアクセントになっている。上下シェルの接続面はサイドに湾曲してカット面は前面と連続していて上下間に左右4個のコントロールの円盤が挟まれている。全体的な雰囲気は'77年のcommdore社世界初のパーソナルコンピューター「PET」に似ているがよりエレガントで'70年代から見た未来的な画の要素が凝縮されていると思う。

 

       

 

HITACHI(日立製作所)K-88 1977年

  

 

  他に例を見ない個性的な造形は万博のパビリオンのよう。製造、販売はHITACHIだが詳細は不明。

 

SHARP 5P-MIU  1972年

 

 色はオレンジ、赤、白。銀色のバーは押すと飛び出す取手で本体底に乾電池が収まる。輸出された同型のSHARP 3S-111RはACアダプターを兼ねた台が付属していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


National Solo シリーズについて

2020-04-27 15:13:18 | テレビ

 超小型のブラウン管テレビはナショナル(現Panasonic)の「Solo」とSONYの「Watchman」が有名で他メーカーのものは家電各社の古いカタログを探しても見つけることはできなかった。両者の大きな違いはブラウン管の形状でナショナルは通常の直線型なのだがSONYは折れ曲がっていてボディの平面で見ることができた。そのため1990年まで65種類作られた(wikipedia)Watchmanの中でFD40という機種は4型という大画面だった。テレビを携帯するのはアナログ地上波の電波状況から全国的に普及するのは難しかったと思われ科学少年の憧れのアイテムには違いなかったが誰かが使っているのを見たことは一度もなかった。

 ナショナルのブラウン管は1.5型で非常に小さくひょっとすると開発から終焉までモデルチェンジが無かったかもしれない。常にテレビのカタログの最後の方のおまけ程度の扱いだったように思うがとても気になる存在だった。製品は遍歴があったようなのでちょっと調べてみます。

 

TR-001

 1970年に開催された大阪万博(EXPO '70)ではタイムカプセルが埋められてその収蔵品の一つが

TR-001 (出典:https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/storage/nature/index.html)

価格は一応ついていて110,000円、Ni-Cd電池内臓。後継製品と比べてもこの時点でほぼ完成されている。タイムカプセルは当時から5000年後(今から4950年後)の6970年に開けられる予定。大阪万博当時は5000年先も人間社会が続いている事に疑いを持たなかったのだと思う。スローガンは「人類の進歩と調和」、いかにも真面目な日本的で結構好きです。

 

TR-101B

 前述のTR-001は名前をTR-101Bに変えて1972年の National popmeca personal TVというカタログに載っています。

(出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/index2.htm)

 109X55X160mm 895gでその後の製品と大きな違いはない。「世界最小。IC芸術の傑作」とありチューナー回路を除いた全てに11個のICが使われていると謳われている。3電源、VHF,UHFともに受信できてやはりすでに機能も満たしていた。'70年の大阪万博では未来の夢の電話としてロッドアンテナを立てた携帯電話が展示されていたが、テレビも片手で持ち運べるという同じ夢のアイテムが'72年にはすでに現実に市販されていた。

 

TR-1000 (TransAm micro)

 

(出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/Products/Panasonic/1980BW-TV/1980BW-TV.htm)

 トランザムという名称がついているがTR-の型番が1000番で一番古く価格は59,800円 ブラウン管は22X28mm ボディサイズは135X166X40mm   720g 2インチ相当に拡大するレンズ付きでFM/AMラジオも聞ける。外装には人工皮革貼り。カタログは'80年のモノクロテレビ総合カタログ、その表紙なのだが高価そうなアイテムに混じってもその風格は負けてない。

 

TR-1010(ナショナルマイクロテレビ Solo)

 1981年の専用カタログの表紙

(出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/Products/Panasonic/SOLO/SOLO%20TR-1010.htm)

価格は32,800円 ブラウン管の寸法は一緒 ボディサイズは95X160X43mm 450g(電池除く)でトランザムよりちょっと小さいがAM/FMラジオは未搭載、消費電力は変わらずDC1.8W 単3電池4本で2時間の視聴。これはコンセプトを変えて完全にウォークマンのパクリと思うが携帯するにはちょっと重いし歩きながらではテレビは見れない。。

 

TR-1020(ナショナルマイクロテレビ+ラジオ Solo)

1982年の専用カタログの表紙

出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/Products/Panasonic/SOLO/SOLO%20TR-1020.htm)

 1年後に発売されたTR-1020はまたAM/FMラジオが搭載され価格は39,800円  ブラウン管サイズは変わらず ボディサイズは110X170X44mm 550g(電池除く)でラジオを搭載した分大きくなった。やはりテレビ機能だけでは間が持たず(おまけにナショナルハイトップ電池で2時間しかもたない)ラジオを加えたという事か。ヘッドホンもステレオになったがテレビの多重放送に対応したかは分からない。真っ赤な「赤ヘルモデル」も登場して若き日の山本浩二氏がCMキャラクターだった。これらはナショナルステレオ事業部扱い。

 

 

TR-1030

  

 白黒Solo最終型のTR-1030で価格は29,800円 79X151X38mm 357g(電池除く実測)でシリーズ最小、最軽量、最安価だが再びラジオは除かれた。この製品の前にすでにカラー化されたTR-101CTが発売されている。

 一応機能していることを確認してから分解掃除

    

 可愛らしいブラウン管とスピーカーだがすごい集積度で基板を起すのさえ気後れする。ブラウン管を保護するアクリルは結構傷があるので

  

 

3種類のコンパウンドで一生懸命磨いて目立たなくしたが素人ができるのはこれとアンテナの修正くらい。またRF入力は3.5mmのモノラルイヤホンジャックと同じものが使われていて専用の75Ω-75Ωのプラグで接続する。幸いにも手持ちがあった。

 

コンポジット信号入力は無いので再生した古いナショナル マックロードからRF信号を入れて映画を視聴。ピンボケ写真で恐縮だがキャストの字幕も読める走査線300本。ただし単3電池4本が2時間で無くなるので気になって集中できない貧乏性の悲しさよ。外部電源は6VなのでUSBからでもいけるかもしれないがプラグはちょっと特殊なので入手できるかどうか。当時のACアダプターはトランス内蔵で本体に比べて不釣り合いに大きくて重い。

 この製品には'86年とあるが時代はすでにカラーテレビが主流でSoloもTR-101CTという1.5インチカラーブラウン管を使った製品がすでに(1983年)発売されていた。ただしブラウン管の時代も終焉近くでやがてすべて液晶に。実用性より趣味性の高い分野だし収益も(多分)そんなに上がらなかっただろうに長年にわたって発売してくれたナショナルの懐の深さを感じます。VHS vs βで繰りひろげていたSONYとの覇権争いの裏でひっそりとSolo vs Watchmanがあった(かもしれない)。でも内外に同社の技術水準の高さをアピールするフラッグだったのは間違いない。

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。 

 追記 

National TR-101CT

 TR-1020が発売された翌年1983年にSoloはカラー化された。8万円台という高価格でいつ頃まで製造されたかは不明。1985年というシールが貼られたものは確認している。その後価格を抑え小型化された白黒TVのTR-1030が発表されSoloシリーズは終焉を迎える。1983年度のGood Design賞受賞。


ナショナル VHSビデオ マックロードNV-3000 について

2020-04-25 15:53:59 | テレビ

 VTRはソニーのβとナショナルのVHSに分かれて凌ぎを削っていた。性能は大差なかったし結構拮抗していたように思うがやがてVHS陣営の完全勝利で幕を閉じる。消費者を置いてきぼりの規格戦争は8mmビデオとVHS-CやLDとVHDなど枚挙に遑がない。しかし現在それらはすべて絶滅した。もともと規格とそれを収める器は重要ではなく大切なのはデータだけでデジタル時代になってそれははっきりした。ナショナルはVHSより前にUマチックというカセットタイプのビデオデッキを作っていたが1977年にその後長く続くマックロード1号機を発表した。家庭用のビデオカメラも各社から非常に多くが発売されて普及したので撮影されたテープは捨てることもできず再生もできないまま家のどこかに埋もれている事が多いのではないだろうか。ハンディー機にはVHS-Cやディスクに記録するものもあったがやはりこの分野の中心は8mmビデオハンディカムだったようでソニーは名器TR-55でしっかりリベンジした。再生機器が無くて業者にデジタルダビングを依頼したりそのままという場合も多いと思う。このダビング需要で最後の出番がビデオテープデッキにはある。新製品は知らないが中古市場でもプロアマ問わず多くの機種を目にするが大抵がジャンク扱いで入手してもそのまま稼働するものは少ないように思う。

 今回マックロードを入手した。ダビングが目的ではなく映像と音声入力のない時代のブラウン管テレビから画像を出すためにはRF出力がある機器が必要で昔のビデオデッキが手っ取り早い。手に入れたのはNV-3000という1980年発売の機種でチューナーとセパレートされたハンディ機で電池駆動もできて本来の目的の外部カメラの接続端子がある。

 

 当時の価格は不明だがNV-3200という後継機が1981年のカタログでデッキ部だけで当時200,000円近くしてやはりビデオカメラ撮影はお金がかかる道楽という時代かと思う。このデッキの電源はチューナーから供給されデッキ内部には電池スペースもあるのだがなぜか電池の端子は見当たらない。通電して再生ボタンを押すと一応動くが巻取りリールが回らず慌ててストップする。何度か繰り返すうちにテープが出てこなくなってしまった。早速分解してみます。

     

 構造の迫力に圧倒された。各基板はテープ状のハーネスで結ばれ樹脂の関節部で折り曲げられ広げるとワンボード状になる。この40年前の技術力には驚嘆して素人の出番はまったく無いように思われた。その上掃除をしつつメカニズムを見ながら操作しているとやがて通電しなくなってしまった。電源スイッチを入れてしばらくすると「カチッ」と音がして切れてしまう。どうも保護回路が働いているようでリレーを探すと電源基板らしき所にあった。

  

目を引く大きな6800μF16Vの電解コンデンサーにさらに大きなコンデンサーをパラ接続すると幸いにも復帰してこのコンデンサーは交換が必要。不動の原因だがメカニズムに使われている主なベルトは伸びてスリップしている。

 モーターが複数ありカセットデッキなどと比べても大きな力が必要でベルトも太いものが使われている。この太さのベルトは汎用品では見つけることはできず止むを得ず手持ちの通常のものと交換した。これで具合が悪ければ以前頂いた熱接着ベルトにしようと思います。主モーターからフライホイールまでは平ベルトが使われていてこれは手持ちがない。実測すると幅6mmX全長330mmで近似値のものを注文した。しばらく到着を待つことにします。

 

 

 

 巣篭もりで片付けしてたら不動の置き時計が出てきた。メカをバラしてみたが復活する気配はなく捨てようとしたらカミさんが「それは結婚記念の貰い物!」だと。すっかり忘れていた。しょうがないのでamazonで検索すると結構な種類のムーブメントがヒットする。鋳造の文字盤なので厚みがあり固定するには長い軸が必要なのだが難なく見つかっておまけに送料込みで800円台。。

 

 針が長いのでハサミで切って取り付けた。以前は無かった秒針まで付いた。いつも考える事だがどうやって儲けを出しているのだろうと思う。

 

 

 

 

 

届きました。平ベルトは自作は難しいので細かなサイズで供給されるのは非常に助かります。早速仮組みしてコンポジットと音声出力で再生してみる。

  

 うまくいきました。山田洋次監督の三部作のひとつ「同胞」当時はレンタルもなくどうしても観たくて探して購入したのだが今回数十年ぶりに再生した。これを観れただけでもマックロードを入手した甲斐があった。寺尾聡は「ルビーの指環」ではなく村の青年団長のイメージが未だに抜けない。劇中の東北の農村で乗っている車は今では激レア車になったイスズ ジェミニの4ドアスラントノーズでこれは忘れていた。子供が小さい頃に撮影したVHS-CテープがあるがS-VHSかもしれない。もう一台必要か、、?

 なお電池の収納スペースに端子が無いと書いたがこのスペースには専用のバッテリーパックが収まって内部でプラグ付きコードで接続されるらしく失礼しました。チューナーが無いと電源がとれないのは不便なので電源だけ何とかしたいところ。RF出力も確認して修復完了となりました。これで古いブラウン管TVから映像を出すことができる。

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 


National ブラウン管テレビ  について

2020-04-22 09:20:18 | テレビ

 かつての子供たちにとってテレビは生活の中心で、、少なくとも私はテレビで一週間が回っていた。土曜夜の鉄腕アトムを心待ちにし、日曜の夜は家族で必ずポパイを見ていたが8:00になって子供の時間が終わると楽しい日曜日も終わって明日からまた学校に行かなくてはならない、、と暗い気持ちになった。1976年に大学入学した年の夏に水害があり私の下宿も天井近くまで水に浸かってしまって街には冠水した家電品が溢れていた。今なら即廃棄だが皆さん真水で洗って(!)再使用している人も多かったと思う。当時私はテレビは持っておらず同じ下宿の人が捨てた白黒テレビを嬉々としてもらってきて丸洗いして泥を落としてスイッチを入れた。幸い感電死せずに無事復活ししばらく使っていたがそれを見た元所有者に奪還されてまたテレビのない生活になった。当時はすべてブラウン管で白黒テレビもまだまだ現役だった時代で一人暮らしの若者向けに家電各社から様々な製品が発売されていた。

 ナショナル(現Panasonic)は1970年代末から80年代にかけてパーソナルTVの分野でも多くのラインアップを持っていて豊かな時代を反映してかデザインも個性的。ブラウン管という大きなパーツを中心にどうやって料理するかデザイナーの力量が問われたと思うがYAMAHAやSONY,海外製品のようにデザイナーの名前がクレジットされてものは見当たらずナショナルは社内にそういった優秀な部署があったと想像する(後年発売されたPiedraという小型TVは宮本一伸氏デザインという情報があります)。消費者のニーズに合わせて開発するというよりブームを先取りして時代を牽引していくようなパワーを感じる。

TransAm TR-509A

 

  (1979年 National  カタログより抜粋)

 アウトドアにも持ち出せるテレビとして発売されたナショナル トランザム シリーズは男子の憧れだった。どれくらい売れたかは不明だが小型なのが幸いしたのか廃棄を免れて現在でも結構目にすることが多い。中でもTR-509Aは高見山大五郎さんのCMがとてもユニークでスーツ姿のジェシーがあの巨体に小さなテレビを持って普通の日本人には真似できないリズム感で軽快にタップを踊っていた。(このCMは現在でもyoutubeで見ることができます)ちょっと気になってオークションを覘くと数点出品されてはいるがほとんど値がつかない。思わずポチってしまった。。

 

 110円で落札したのは見事な埃まみれで音は出てないが一応砂嵐絵は確認できた。通電しないのやアンテナが折れていたりは当たり前なのでこれは幸い。

  

 早速分解するとスピーカーの導通がない。一応コーン紙を外してチェックするがボイスコイルでの断線で再使用は諦めてこのスピーカーフレームに適当なジャンクを移植した。

     

 乾電池や車載でも使えるしACアダプターは本体の背面に引っ掛ける金具が付いている専用品。UHERのデッキのように電池ボックスに納めたらスマートかと思うがトランスの高さの関係で内臓は難しい。UHERの場合はトロイダルコアトランスを使って解決していた。

  

 修復したマックロードからのRF入力で映画を視聴する。特に問題はないと思います。

後日談

 その後奇跡的にスピーカーだけ入手できて交換しました。

 

 このスピーカーは40Ωという特殊なもので多分ボイスコイルも細いワイヤーが多層に巻かれているもので切れやすいと思われます。入手、交換できてよかったです。

 

 

TH11-S9

(1984年 National  カタログより抜粋)

 独り住まいの若い女性をターゲットにした(?)製品ももちろんあってこのパステルカラーの美しいカラーテレビは1984年のもので5色から選べた。ブラウン管は11インチでとてもコンパクト、選局ダイヤルは無く10個のプリセットボタンごとにVHFとUHFどちらかの設定ができた。裏面もキュートに処理されていてそれ以外は突起もなくスクエアで両波共通のロッドアンテナまで同色。1984年はStive JobsによってMacintoshが発表された年だが彼はユーザーに色の選択を与えなかった(フロッグデザインは色もデザインしていた)。

 

 ポチったのはかなり薄汚れているがこれも幸いに砂嵐の絵と音は出力される。早速分解してお掃除とチェック。

   

 選局ボタンのボードが複雑そうだが特に不具合もなさそうなので降り積もった埃をはらってこびりついたピッチなどをアルコールや微粒子コンパウンドで落としてまた組み立てた。ブラウン管は発熱するのでプラスチックの筐体は少し焼けた感じになってこれを回復する手段は知らない。古いMacもなかなか捨てられないが年々クリーム色が濃くなってきている。。1986年のカタログを見るとこの機種と電話が合体した製品も登場した。

    てれ・ほん11     (出典:https://panasonic.jp/viera/history/1980.html)

 この色彩は当時のナショナルの電話でよくみられたとても美しいものだがこれでは誰が見てもテレビ電話だ。ラジカセにTVが加わったり、カメラとラジオだったりと当時は合体ブームだったのか。。電話がかかってくるとテレビ音声がミュートされたり短縮ダイヤルが採用されたりと全体から明るい未来を感じさせるが実物は見たことがない。

  

画面の撮影は難しい。カラーブラウン管の色彩は液晶を見慣れた目からすると懐かしく細かいところは見えないのだが何か大らかな気がする。

 

SPORTSMAN TR-808C

出典:http://blog.livedoor.jp/cangee/archives/18870736.html

 これはトランザムより前の1976年の雑誌広告とのこと。色はブルーとレッドの2色、アメフトのユニフォームを意識したもので現在のラグビーのようにアメフト人気が高かった時期だったのかもしれない。8インチの画面を前面いっぱいに置いて奥行きが長く横の弾倉みたいのは電池ボックス。この機種はトランザムの影に隠れて目にすることは少ないがspaceageから派生したような結構攻めたデザインだと思う。

   

 

 これは1980年後期型。かなり使い込まれたのちに長期間の放置と思われた。。電源コードは欠品なのでトランザムのアダプターをスライダックで電圧調整して12Vで運用すると砂嵐は大丈夫。適当なACコードのプラグをジャック部に合わせて加工してうまく接続できた。

 

 なぜか黒マジックの書き込みがいっぱいある。キャンディーレッドの筐体は塗装のようで気をつけながらアルコールで落とす。これで分解すると尋常でないホコリの量!

   

マスクして掃除機と歯ブラシでやっつける。

 奥行きが長いのはブラウン管のせいではなくワンボードの基板の寸法の関係。この辺りはもう少しなんとかして欲しかったがどうだろうか?折れたロッドアンテナは適当なものを注文して到着待ちです。

 

 ちょっと前に電動ドライバーを購入した。韓国製の「HYBRO」で購入価格は3000円台だったと思う。

 

 USBで充電、ライト付き。ちょっと大きなグリップのドライバーという感じでブームなのか結構な種類が発売されている。ハイブリッドというのは電動と手締めの、、ということでこの形のドライバーにとっては必需機能でそうでないと使えない。ただし締めるときには注意が必要でいかに非力でも電動で最後まで締め込むのは危険だし付属のビットが入らないくらい小さなネジには使用しないのが無難。使ってみて気になったのはビットの上下方向の遊びが大きい事で交換はしなくて良いからもう少ししっかり固定したいと思わせる。多分すぐに一家に一台になると思います。

 

 アンテナを修復して画像を出すもどうも安定しない。一応映るのだが今一歩鮮明ではなくまた時々画面が歪む。適当にツマミを弄るがあまり変わらないが試しに乾電池で動作させると少し改善する。電解コンデンサーは多分かなり劣化していると思われるので数値を拾って一覧表にして注文した。

 

連休中はお休みのはずだが届きました。これだけで270円 代引送料は800円。いつもお世話になります。

 

注文漏れもあったがほとんど交換した。交換後は画面、音共に以前と比べて安定して問題ないレベルとなった。

裏面の垂直に立てた時の足の一部が欠けていて特に支障はないのだが一応修復してみた。

 

 反対側をプラリペアと共に売っている「型取くん」で型取ってプラリペアは無くなったので試供品としてもらったレジンを流し込んで

 このレジンは材との接着性は問題ないのだがはみ出したところの処理が大変で次回はもう少し上手にできると思う。。

      

 

 

 

TR-603B(National)TR-005(Panasonic) 1972年

(出典:http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/index2.htm)

今回国内製品(ラベルで判別できる)を入手することができたがバラバラに割れているジャンク

       

 写真のようにいたるところにヒビが入っていてビクビクしながら通電すると一応ブラウン管は光りザー音は出る。球体にブラウン管やトランス、基板を収めるために内部構造は複雑で、また放熱の関係でスリットを設けなくてはならず強度を確保するのは難しかったらしく(多分棚あたりから落としたのだと思うが)回転するスタンド周りの損傷が激しい。幸い中途半端な補修の手は入っておらず細かなカケラも失われてなかったのである程度修復は可能と思われた。

 まず材質が分からないのでホームセンターで入手できる接着剤を目立たないところでテストして決定した。

 

プラモ用、ABS用、塩ビパイプ用と試したが溶着性能はあまり差はなくそれもさほど強力ではない。結局「アロンアルファ プロ用No1」を用いる事にした。ひび割れているところは位置決めしてから低粘度の接着剤を裏から流し込みたかったのも大きい。細いノズルが入っているのも好都合だができれば数多く入れて欲しいと思う。1回使うと詰まりを取るのに苦労する。パズルのように仮組みしたのだがそのまま流し込んで固定すれば良かったと反省した。組む順番を間違えるとピースが入らない。組み終わってどうしても隙間が残るところとタップネジを受ける力のかかるところはプラリペアを用いて補った。

     

 幸いアロンアルファ、プラリペア共に材との相性が良好で内部の複雑な構造もほぼ完全に修復することができた。ブラウン管周囲の枠も割れている事が多くボディと材が異なるらしくアロンアルファは接着せず難接着エポキシと欠損しているところはプラリペアで補修した。取り出した電子部品はこれがすべて

 

 分解時はステーが割れてぐちゃぐちゃの状態だったため組み込む場所がよくわからず結構時間を費やした。取り付ける順番を間違えるとネジにドライバーが届かない。

 再びバラックの状態で動作確認するがやはりRF入力からのVHF2chの反応がない。ボディ横にあるダイヤルでON,OFFとVHF-L,VHF-H,UHFを切り替えるのだがch表示はブラウン管の横に数字が現れ横向きのダイヤルを回すと表示用のドラムと可変抵抗器の軸が回ってチューニングする。テレビについての知識は全くなく回路図も入手できない。様子を観察するとUHFだけダイヤルを回すと少し反応があるように見える。改めて地上アナログ波の周波数を調べると

(引用:https://www.soumu.go.jp/main_content/000530382.pdf#search=%27アナログ放送+周波数%27)

SG(シグナルジェネレーター)は持ってないがアナログ無線機はある。144Mhz帯と435Mhz帯を中心に広くカバーするちょっと怪しい激安機器でこれをSG代わりに使ってみると170Mhzと470Mhzあたりは発信できそう。最初に470MhzでFM波を発信するとやはりUHF13chに感度がありUHF帯系統は受信していることが確認できた。次に170MhzでVHF4chあたりを探ってみるがやはり反応は薄い。薄いというのは回路のどこかへの飛び込みで何かしらの反応はあるが本流は受信していないようだ。

 シャーシ上にはVHF(右)とUHFのチューナー(左)が並んでいる。UHFの出力がVHFに入っているのでダブルスーパーかと思ったがバンド切り替えSWによって給電が遮断されることからそうではなくシングルスーパー。VHFからの信号は黒い同軸で内部のIF増幅段と繋がっている。UHF信号とIF信号をショートすると(ジャンパー線ではダメで最短で結ぶ必要がある)470Mhz13chを受信していてもラスターと無音になるので予測通りUHFチューナーとIF増幅以降は機能していると思われる。

チューナー部は金属製のボックスに入っているがしっかりとシールドされていて分解してメンテは難しくここで行き詰ってしまった。なにか方法がないか考えてみるが気がつくとUHFの画面の砂嵐のパターンが変わったような気がする。。

調べてみるとIF周波数は25Mhz帯で音声と映像が区分されている。多分共通と思われたので他のブラウン管テレビのVHFチューナーの出力をIF入力につないでビデオ再生してみると音声は出力されたが嫌な予感は的中して画像は出てこない。VHFチューナー以外でも新たな問題を発生させてしまった可能性があり適当なユニットを移植しようという安易な目論見は見事に崩れてしまった。仕方ないのでテレビのお勉強は先送りにして外観だけでも仕上げておくことにします。