Setchell Carlson社は1928年から1960年代まで存在した米国のラジオ、電子機器、テレビのメーカー。1928年にミネソタ州セントポールでBart Setchell と Carl Donald Carlsonによってカーラジオメーカーとして設立された。戦中は軍需品を生産していたが戦後には同州ニューブライトンに移転し1960年代までテレビなどを生産しその後他企業の子会社となった。1960年代のピーク時には500人規模の雇用があった(wikipediaから抜粋)。
同社のテレビ、特にポータブルタイプは特徴的なシンプルな外観で現在の視点から見ても魅力的。製品群の詳しいラインアップは不明だが真空管式からソリッドステートに移行する前に生産が終了したかもしれない。
Setchell Carlson P63(Ch.C-102)1957年
ブラウン管は17inchで当時としては大画面、その割にボディサイズはコンパクトにまとめられている。前後の枠は金属にゴールド塗装、中間の胴部分は金属に白樺風の化粧紙(布?)が貼ってある。バックパネルや取手の形状もデザインされている。
ACコードがないのでとりあえずギボシで繋ぎ欠品のヒューズホルダーのキャップも同型が手元になかったので取付け穴を広げてホルダーごと交換してスライダックで徐々に電圧を上げながら通電してみる。スピーカーからハムが聞こえブラウン管には横一線が現れ音声回路と高圧回路は生きている様子。修理にかかる前にとりあえずできるだけ掃除を行なった。
全体的にしっかりした作りでまた良質なパーツが使われていてさぞ高価な高級品だったと思われる。現在では有名になったバンブルビーもこの時代の電気製品には普通に使われているがやっぱり割れている。
幸いに回路図や配置図などの資料を入手する事ができた。
一般のテレビは高圧トランスから中低圧電力を引き出す設計だが専用の大きな電源トランスが搭載されていた。シャーシ配置はチューナー、IF部、フライバックトランスなど高圧回路と水平偏向、垂直偏向とブロック毎でコネクター部に十分なスペースを配しているため回路が追いやすくメンテナンス性が考慮されている。箱型でない変形ボディに収める変則的なシャーシ形状だがきちっとした無理のない部品配置がされていて技術力の高さが伺える。
B電圧を測定すると若干低めだが電解コンデンサーも完全にはダメになってないらしい。しかし高周波発信機でアンテナおよびIF信号を入れてみるが反応がない。さてどうしましょう?
まず垂直振幅が無いところから。オシロスコープで垂直偏向回路の波形をみるが
偏向コイルにノコギリ波が流れてない事になるので各段の波形を遡ってみるがどこまでいっても現れない。12AU7Aのプレート電圧が随分と高く電流が流れていないようでよく見えないがどうもヒーターが点灯していない。真空管を外して足を磨いたり足の矯正器で真っ直ぐにするなどしていると暫くして電流が流れ出して不完全だがなんとか垂直の振幅が得られるようになった。アンテナからの入力にも反応が出てきてやっぱり掃除はメンテナンスの基本。
まだ掃除以外何もしていないが垂直偏向出力のグリッドにそれらしい波形が現れたが電圧は0Vの部位だがプラスの電位がある。0.1μFカップリングコンデンサーを手配した。
米国のTV周波数は日本と共通のchもあるがビデオ出力で用いられる1ch,2chの周波数はカバーしておらず米国専用品か可変式のカバーできるRFコンバーターが必要になる。手持ちを接続してVHSビデオを再生すると
不完全だが画と音声が出力した。下方の振幅が足りない、上下2画面(下が小さい)、ちらつきも多い。書籍「テレビの調整と故障修理」によると「完全な飛越走査が行われていない」のが原因でこのTVで採用されている「マルチ・バイブレータ発振」では「グリッド抵抗をチェックせよ」とある。また垂直偏向出力管のグリッドに電源トランスの6.3V AC(60Hz)を加えて画面が広がるかチェックせよという記述があったので低周波発信機から接続してみると
下方向に広がって出力段は正常に反応する。その後指月のコンデンサーが届いたので割れているバンブルビーと共に交換した(右写真)。垂直方向の振幅は取れるようになって終段6CM6の電圧も正常となった。しかし上下2分割などは変わらない。
回路図のVIF出力を切り離してコンポジット信号を直接接続したが2分割の状態は変わらなかった。ところが試験動作中に突然画面が「プシュ」という音と主に消えてしまった。高圧出力が途絶えたようで最悪フライバックトランスの断線かと思われた。ブラウン管を取り外して回路図に沿って抵抗値を測定したが断線はしていない様子。改めて文献を読み返して原因を探る。
以下備忘録
高圧整流の出力やプレートにアースからドライバーを近づけても放電はなく水平出力管のトッププレートからも弱い放電があるはずなのだがここも確認できない。水平出力管の入力には100V近い波形が確認できるしバイアスも-30Vで問題ない。真空管試験機で水平出力管、高圧整流管、ダンパー管を測定するがいずれも問題なさそう。回路を追ってみると回路図と異なるところがある。特にスクリーングリッドの電圧が低く+Bからの回路が無い。高圧整流管のヒーターは高圧回路にワンターンしたワイヤーから1V程度のヒーター電圧を得るようになっているが電圧が低くプレート電流が流れていない。カソードをアースから切り離して電流を測定すると20mA程度で定格80mAと比べるとかなり低い。スクリーングリッド抵抗を調節して定格の120Vにすると電流は2倍程度になったがまだ足りない。念のために高圧整流管と水平出力管を新たに入手して交換したが状況は変わらず。
ダンパー管の働きはなかなか理解が難しいが真空管には問題は無いのではないかと思われた。原因がわからないまま途方にくれたがふとブラウン管の偏向コイルが接続されていないことに気づいて問題はあっけなく解決した。なぜ不調になったのかは不明だが接触不良でも起こしたのだと思われた。
コンポジット信号でも画面の2分割は変わらないので問題の所在を最初から探すことになる。ところが回路図と実際の回路を比べると随分と異なっていることが分かった。またVIFは1段少なくAGCの1/2 6AW8AはVIF2段目からでカソード抵抗が低いためプレート電圧は殆どかかっておらずこれでいいのだろうか?画面の2分割だが垂直発振回路の周波数を見ると入力側は60Hz近辺だが出力は半分の30Hzになっていてこのあたりが原因の様子。
12AU7Aのグリッド抵抗は1MΩとvertical hold 2.5MΩのシリーズ接続なのだがこの部分の固定抵抗値を1MΩから250KΩ程度に変えてみると60Hzの発振となってようやく1画面になった。
しかし鮮明でなく横線が入る。ようやく映像増幅にかかる。まずプレート出力のコンデンサーを交換するがあまり変化は認めない。
次に出力管の6AW8Aを注文して到着を待つことにします。
ブラウン管の裏に塗ってある黒色の塗料が剥がれ落ちている。
この塗料は伝導性で静電気を抑制したりする働きがあるのかも知れないので再塗装することにした。調べてみるとギターの内部にシールドとして塗布する塗料があり早速入手して塗ってみた。ガラスにうまく塗れるかと心配したが問題なかった。またブラウン管周囲の偏向コイルはプラスチックのハウジングがボロボロで固定できない状態。
ブラウン管への固定方法は後で考えるとしてブラウン管の細い部分にゴム輪を巻きつけてとりあえずはめ込んでいる。
6AW8Aが届いた。東芝製で2本とも新品。
早速交換するも大きな変化はない。真空管はいずれも試験機でチェックして問題なかったのだが信用していなかった。バチが当たって今までの入手交換はほぼ無意味だった様子。現在の問題点はピントがボケている。画面に荒い白線が現れている。ここで再びVIF回路を切り離して直接映像出力(6AW8A)とSYNC SEPに入れてみる。コネクターの接触不良や回路図と異なる数値の抵抗を調節しながらなんとか映像出力するようになった。しかし横の白線は解決していない。気になるのは回路図と実際が異なっている部分で改造されたものなのか仕様変更なのか。配線が汚いとことや整理されていないところが目につくので支障のなさそうな所から本来の姿に戻す事にした。また画面が不安定なのは電源コンデンサーが原因かもしれないのでチェックを行いながら進めていく。
整流回路から入る平滑回路最初の100μF 200Vの大きな電解コンデンサー
アキシャル型しか入手できなかったが交換した。映像増幅終段のスクリーングリッドへの給電は電圧を上げるためか改造されていたので回路図通りに戻した。
写真のヒューズみたいな2本は整流ダイオードでその横のスペースにもともとあったはずの電解コンデンサーと電圧降下の抵抗を復活させた。これで定格通りの電圧になったがカソード抵抗のBrightボリュームでバイアス電圧を調整するとプレート電圧、スクリーングリッド電圧は大きく変化する。映像増幅終段のコントロールグリッド抵抗を追加し映像入力を、音声入力はグリッドに入っているボリュームに新設した。帰線消去回路は変更されていて回路図通りに戻してみたが白い横線にはほとんど変化がなく結局最初の回路に戻した。映像と音声入力は背面のアンテナ端子にコネクターを設置した。
ピントが甘いのはどう対処すればいいのだろう?若干の課題を残したが一応一区切りにしようと思います。真空管式テレビは初めてだったがトランジスター製品と比べてランドマークが多くわかりやすく感じた(その割には完治しなかったのだが)。今回は幸運な事に回路図を含むマニュアルが入手できたが設計変更か修理の名残なのかは不明だが現物と結構異なっていた。
この製品の前オーナーによると出所は軽井沢の別荘地とのことで往時に家具調度品として海外から持ち込まれたものかもしれない。取手があり背面までデザインされていることから向きを変えたりベランダに持ち運んだりとハイソなリビングに似合う美しいテレビだと思う。1950年代の豊かなアメリカの香りが漂ってくる、、ような気がする。
お読みいただきありがとうございました。