Decca Decolaがお嫁入り

やっとこさ入手したDecca Decolaの整備記録

Victor 4T-20 について

2021-12-22 00:58:33 | テレビ

 1回目の東京オリンピックが開催された1964年、ニューヨークでは万国博覧会が60ヶ国の参加で開催された。観客数も5100万人と過去最大で日本からも新幹線の実物大模型などが展示された。日本Victorもブースを出して4T-20という当時としては超軽量(電池内蔵で3kg)、最小(4.5型)で電池駆動が可能な(ナショナルハイトップ電池で10時間、他社製品だが銘柄指定!)テレビが出品されてメーカーによると「大評判だった」らしい。現金正価はイヤホン電池付きで48,500円、月販価格は51,000円。

 とても珍しい機種なのだが縁あって元箱付きの綺麗な個体が来た。電源は内蔵されておらず背部にあるコネクターから早速DC12Vを供給してみよう、、

安定化電源を接続しても反応がない。本体下部は電池ボックスなのだが後ろに引き出してみると

 

どっひゃぁぁ、、驚いた事に当時の電池がそのまま入っていた!。懐かしいNOVELの単一電池で錆は出ているが目立った液漏れはなく優秀。電池ボックスと区分しているベーク板を外すと

 

立体的な配置の内部、ブラウン管はナショナル製で電池はハイトップ指定というのも頷ける(?)。限界まで詰め込んでいてメンテナンスも手強そう。

 現在4T-20の回路図は入手できていない。これは1966年の回路図集にある「victor 9T-14」で日本Victorが1965年〜66年間に発売していた13種類の白黒テレビで唯一のトランジスター製品。回路図集には4T-20はすでに掲載されておらず短命だったらしい。なかなか興味深い回路で垂直偏向出力がダーリントン接続の純コンプリとは(!)水平出力が2SC411個なのに何故なんだろう?音声出力もコンデンサーは入っているがコンプリOTLで凝っている。真空管ではできない回路を試す事でトランジスターの可能性を探っていたのかも知れない。でもこの回路図が参考になるのかはわからない。

 

電池ボックスのスポンジがボロボロで細かなところに入り込んでしまう。全バラしないと掃除できないかもしれない。回路図はなかったが2枚の基板横に部品配置図が貼ってあった。

IFから映像、音声出力基板。映像IFは4段でなかなか豪華、トランジスターの名称は少し異なるが「9T-14」とほぼ同じ。

 

こちらは偏向出力基板。話題の(?)垂直偏向出力はやっぱりコンプリだがブラウン管が小さいのでダーリントン部がない。60Hzの増幅なので面白い事にオーディオ出力回路と同じ構成になっている。

 

 

 水平偏向出力Trは2SB130Aと読み取れてPNP型のようだ。通電されていないようなので電源回路を調べると12Vバッテリーからのコネクター部

 

プラグがキツくて奥まで入らず差し込んだ時の内蔵バッテリーとの切り替え接点が動いていないように見える。経年変化でプラグの樹脂部分が膨らんだのかも知れない。しっかり奥まで入るようにヤスリで形態を修正してようやく電源が入った。

 

 コードの途中に大きな電源スイッチがあるのだが開けてみるとヒューズと逆接続保護のダイオードがパラに入っている。本体の電源スイッチは内蔵電池のみに有効で外部電源時はこのスイッチを使う。シガーソケットが付いていて中央がマイナスなのだが本体はプラスアースで黒ワイヤーがプラス、おまけに電解コンデンサーの黒表示がプラスになっていて混乱する。当時の車がイギリス車の影響でプラスアースになっていた関係かも知れないが大昔の車載製品では度々見ることがある。そのうちに受信はしているのだがブラウン管が時々光らなくなって基板の部品を叩き回ると回復する事もあったのだが再現性がなくそのうちにまったく反応しなくなってしまった。

 調べると水平偏向回路は発振している。終段の波形は歪んでいるが一応16kHzくらいの周波数で発振部初段は大丈夫そう。

 

 

 これはフライバックトランスからでているリード線に繋がっていたコンデンサーだが外してみるとすでに抵抗と化している。このタイプはダメになっていることが多いのかも知れない。嬉々として交換したが残念ながら変化なし。フライバックトランスの不良まで疑ったが高圧スパークは飛んでいる。ブラウン管そのものの不良か?

 なかなか原因がわからずブラウン管のヒーター断線など故障も疑ったが引き出してみるとちゃんと点灯している。思い立ってコントロールグリッド電圧を測ってみると-30V台でとても低い気がする。どれくらいが正常かはわからないが輝度調整ツマミを回しても変化なくコントロールグリッドへの接続を外すとブラウン管が明るくなった(かなりホッとした)。これは偏向基板のパーツを交換しないと解決しないかもしれない。

 

 数時間かけて闇雲に30個以上のコンデンサーを交換した時に1個ずつ良不良を確認していったが明らかな不良は発見できなかった。これで再通電してみると

 

 幸い輝度調整でコントロールグリッド電圧が変化するようになり-10V〜となって輝度が復活した。ところがいくら調整しても同期しない。周波数を測ってみると垂直偏向出力は60Hz前後に調節できるが水平偏向は(以前は16kHzだったのだが)通電直後は23kHzで前段のAFC電圧を調整すると徐々に下がるがある所でいきなり14kHz程度となり再び上昇しなくなる。多分発振周波数がずれてしまって前段のAFCの調整範囲を超えてしまっているのだと思うが以前より状態が悪化してしまった。。回路がわからないしどこを調整したらいいのだろう、、とこれは基板上のトリマーで16kHz付近に調整することができた。これで一応出画するようになったが画面が横にずれて画質も悪い。まだまだ道のりは長そう。

 

 ACアダプターは手持ちの12Vスイッチング電源をシガーソケットと付け替えた。本体の電源電圧は13.5Vの乾電池になっているのでコードスイッチ内にあるダイオードをショートさせて現在11V台の電圧を少しでも上昇するようにした(結果的にほとんど変わらなかった)。電源回路に5個並列につながる電解コンデンサーを取り替えて容量は3倍になったがこれでも画面は変化なかった。水平偏向の波形が綺麗でないのが問題かと思い確認していくが改善の糸口がわからない。そのうちに偏向基板に並んでいる半固定VRの一つが接触不良になっている事に気づいた。回路も追っていなかったがこのVRだけ違う形態をしていて接触を回復すると水平偏向出力波形の振幅が少し大きくなってそれに伴い画面は改善した。

 アンテナ入力がしっかりされてない関係でちょっと不鮮明だがこれで一区切りにした。内部はラグ板を使って-B電源1ヶ所にワイヤーを集中させたりと真空管時代のようなワイヤリングで生産効率はかなり悪かったと思う。熟練の手作り部分が多く大量生産は難しそうで非常に高価だった事もうなずける。多くの部品交換やボロボロのスポンジを掃除したりと作業時間は長かったがそれ以上に回路図がなく(部品の配置図と同社の他製品の回路図にはとても助けられた)トラブルの対処に時間を取られた。理詰めというよりも手探りが多く相変わらず自分の力不足を感じる。

   

 製品としての完成度はSONY製品に一歩譲るとしても本気で取り組もうと思わせる魅力的な製品だった。この製品の数年後にはJVCからスペースエイジの申し子のような「videosphere」が発表される。

 

 

 

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 後日談1

 スイッチを入れると画面が小さくなったり起動しなくなったりすることがあり12V 1Aのスイッチング電源が原因のようだ。定格では問題なさそうだが高容量負荷が原因か?スイッチボックスのダイオードをもどして5000μFのコンデンサーを3000μFに減らして一応改善したがもう少し電源を大きくしなくてはならないかもしれない。

 

 後日談2

 ハンダの吸い取りはいつも「スッポン」と「吸取網」を使っていたのだが今回の部品交換でちょっとくたびれたので思い切って購入した。

  白光(HAKKO) ダイヤル式温度制御はんだ吸取器 ハンディタイプ FR301-81

 2万円近くしたのだが評判も良く一生ものだと思って自分へのクリスマスプレゼント。

 今FM放送でN響のベートーベン第9交響曲を聴きながら書いてます。やはり年末に相応しい。

 みなさま良いお年をお迎えください。 

  

 その後1

  もう一台の4T-20がやって来た。今回は本体に加えてACアダプターを兼ねた外部スピーカーボックスが付属していた。

 

 電源はチョークコイルを用いた非安定化でSONYのマイクロテレビと構成が似ている。DC電源とチャージ電源の切り替えがあり3Pプラグの出力が変わる。本体にニッカド電池が内蔵されてそのままチャージできたらしい。スピーカーは3.5mmプラグを本体に差し込んで繋ぐ。

 

 別電源を繋ぐととりあえずラスターが出てホッとする。まず掃除でもしましょう。


SANYO T-520B Stranger について

2021-12-18 20:24:20 | テレビ

  以前同じSANYOの「T-500Dプロト」というスペースエイジデザインのテレビを修理した際に専用IC「LD3080」の入手に苦労したことがあった。部品探しをする場合、同時期で同メーカーの似た製品であれば共通部品が使われている事も考えられる。SANYO(三洋電気)はすでにPanasonic傘下となり消滅したが「ゴパン」などのユニークな製品や「U4」など優れたデザインの製品が印象的だった。1980年製造の「T-520B Stranger」も見ていて楽しくなるようなとても美しい形と色彩の製品。ボディ色は赤、黄、緑を確認しているが通常は多いはずの黒は無かったようで(と思っていたのだが偶然米国のオークションで発見した)若者向けと思われる製品のコンセプトがはっきりしている。この製品はどうだろう?

 拙宅に来た「T-520B Stranger」は残念ながら特殊なコネクターのついた電源コードが欠損していて動作確認ができない。大きなハンドルが脚を兼ねていて電池駆動もできる。

   

電源のヒューズは内蔵されているので適当なコードでAC100Vに繋いでみると幸いな事に動作する。使用されているIC

残念ながらT-500DのLD3080とは異なっていた。整備を兼ねて全体の分解掃除をしてみる。

 

 中身を外すのは結構複雑で慣れないと時間がかかる。深い穴の底にある長いネジ3本で上部がはずれるがその後はすべて内部からの固定で外からネジが見えない拘りの構造。特殊なACコードの入手は難しく今回はコード直出しにした。音量調節ボリュームは接触不良のガリが激しかったので爪を起こして分解整備、メッキ部を磨き前面アクリル部はコンパウンドをかけてケースは全バラして洗剤で丸洗いした。組み立ては前面パネルにブラウン管と電源スイッチ、チューナーを取り付けてから底板を固定しメイン基板を差し込む。

 

  

 RFコンバーターからの受信は安定していている。

   

 となりは「SANYO T500D プロト」 

 

 製造されて40年以上経過しているが樹脂の発色は美しく良好。少し弾力を感じるこの樹脂の種類は何だろう?極端な小型化を追求せずに形状も愛らしく初めての一人暮らしのアパートの部屋にどの色を選ぶか当時の若者は迷ったと思う。同時期のラジカセU4にも通じる華やかさで1980年代の若者たちの明るい未来を予想しているような製品。ただ私の学生時代と時期は重なるのだが当時見たことはなかったし現実はずっと地味だった気がするが。。

 

 

 

 

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 雑記1

 Decca Decolaがちょっと不調になった、というか小さい不調をだましだまし使っていた。

 年末なので気になっていたところを(なるべく)解決しておこう。。まず蓋の緩み。ネジ穴が大きくなって蝶番が緩くなってしまっている。一度蓋を外してネジ穴に楊枝を接着剤と共に数本埋め込んで再組み立て。次にアームを触ると僅かにハムが乗る。モーターとアームをアース接続。この作業中に右chから音が出なくなるがカートリッジとのコネクターを外すとコモンのアースピンが外れていて修正。ターンテーブルが回転設定ダイヤルを33 1/3に合わせても(終了時にはoffの位置にしておかないといけない)すぐに回転が始まらなかったのはアクション部の掃除と注油で、、と結構時間がかかってしまった。Decolaは音も気に入っているが電蓄という事もあってシビアな細かな音の違いを追求するのでなく気軽に聴けるのが良いと思う。

 

 


RCA VICTOR 8-PT-7011 について

2021-12-15 08:56:40 | テレビ

 米国のRCAもVICTORもよく聞く社名だが両者の関係はよく理解しておらずRCA VICTORという社名はレコード会社としか知らなかった。

 8-PT-7011は1956年ごろにRCA VICTOR社の発売していた8inchポータブルテレビでそのバリエーションの多さから結構な数が生産されていたと思われる。

 webでサービスマニュアルが公開されているがそれによるとスタンドの有無それぞれに赤、青、灰、アイボリーの4色がありとても軽量コンパクト、シャーシは前後に別れるのでメンテナンスもしやすいとある。

 この構造や操作ツマミの位置などは以前整備したNEC 8P-722(1961年)に似ているが8-PT-7011の方が一回り小さい。そしてツマミ部位にはカバーがあって閉じると直方体の箱になるという見事な造り。(特徴的な放熱スリットからもしかするとデザイナーはレイモンド・ローウィーかもしれない)1950年代の豊かだったころのアメリカの家電品。

    

 以前にメンテナンスの手が入っていて一応映像と音声は出力する。背面にあるロッドアンテナの基部が破損しているが全体に状態は良い。分解は底部のネジ1個と取手を固定しているネジ2個をはずし操作部をネジ3個ではずすと前方に引き出すことができる。

    

 電源トランスがあるのは日本より電圧が高いためトランスレスの感電に気を使ったからか?それとも金属ケースをACラインと絶縁するには結構な配慮が必要でそれを避けたのかも知れない。電源トランス一次側の入力電圧を選択する事で各国の電圧事情に対応する事はできるがこの製品は固定されていて輸出されることはなかったようだ。大きなセレンで整流していてヒーターはすべてが並列接続となっている。 

 以前のメンテナンスでコンデンサーが数カ所交換されている。真空管は試験機でのデータが書き込まれていて丁寧な作業が伺える。その後時間が経過しているらしく内部の掃除とアンテナの修理、ケースにショートしないようにゆるく仕切っている絶縁紙の破れをのりと当て紙で補修した。

    

 アンテナのボールを押さえるスプリングでケースが割れたようなので焼きなましをして弱めたがその後ホームセンターで購入したものと取り替えた。

 

 画面が左に寄っていて偏向コイルがずれたのかと思ったが中心が一致しない時は「偏向ヨークの後方に2組あるセンタリングマグネットを回転させて調節せよ」と修理書にある。また電源電圧を定格の117Vにすると少し広がるので日本ではやはり昇圧トランスを使った方が良い。

 ポータブルテレビはブラウン管の大きさで筐体のサイズが決まり真空管式では8inchが小型化の限界と思われる。その後米国でトランジスターを用いたテレビが開発されたが小型化の追求がされたのは同じ8inchのSONY 8-301からでサイズは8-PT-7011に近い。次にトランジスターの小型、省電力、信頼性を生かした製品として5.5inchの5-303が発売されその後も車載対応や小型化が進みついには1.5inchのブラウン管サイズまで登場しカラー化した後にブラウン管テレビの終焉を迎える。テレビ産業全体としては小型化は傍流で家庭の主役としてのテレビはどんどん大型になってブラウン管では36inchあたりまでだったと思うがプロジェクターを経て今や80inchの液晶テレビが普及する時代になった。開発された1956年はMarantz #7発表の2年前でいずれも当時は時代の最先端の高額なハイテク、ハイセンス製品として光り輝いていたと思う。それから65年経過してハイテクではなくなったわけだが両者とも美しい姿は変わらない。

 

 

 

 

 

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TRIO TR-1200 について

2021-12-13 10:54:18 | アマチュア無線

 かつて「king of hobby」と言われたアマチュア無線は自称「科学少年」たちの憧れの的だった。免許(国家資格)を取得するためには日本国籍を有すること以外には年齢制限もなく国家試験かJARL(日本アマチュア無線連盟)が開催していた講習会(標準コースか入試がある短縮コース)を受講して卒業試験に合格する必要があった。めでたく無線従事者免許を取得して無線局の開局申請をするとコールサインが割り当てられる。私が住んでいた新潟県は全国を10ブロックに分類した10番目で(なぜかゼロと呼ばれていた)日本を表す「J」が頭についたコールサインのエリア分類には⏀(ゼロ)があてられていた。「J」の次の文字は「A」「F」、、と無線局が増えるにつれてしだいに埋まって行った。免許は一生更新なしだったが無線局免許状は5年ごとの更新が必要でこれを怠った場合コールサインは他人に当てられると聞いていたが実際に行われたかは知らない。

 私は中学生の時に講習会短縮コースで免許を取得した。夏休みに汗だくになりながら友人と自転車で隣町まで何日か通った。運転免許取得の場合と同じで一発勝負の国試を受けるには平日に隣県の長野市まで行く必要があり学校を休んでの受験は通学することが絶対だった当時は難しかったと思う。当時免許には電話級、電信級、2級、1級とあり運用できる範囲が広がっていく。免許を取得しても自分でリグ(無線機)を購入することが難しい場合には学校や職場にあるクラブ局からQSO(交信)することが多かった。幸い地元の中学にはクラブ局がありTRIO 310ライン(受信機、送信機が別々で3.5MHz〜50MHzまでUSB,AMをカバーしていた)が置いてありしばらく熱中していたがやがてご近所からTVI(テレビ受信の妨害で画面が乱れて混じった音声で妨害電波発信の所在がバレる)の苦情が出て対処する術もなく自然と疎遠になってしまった。HF帯はすでにUSBに移行していて自作のハードルは高く中学生には手も足も出なかったが50MHz帯は製作記事も多く自作の夢が広がっていた。ただ田舎ではほとんど運用している人はおらず知識しかないEスポに期待するしかないと思っていた。

 50MHz帯の製作記事には電波を撒き散らすと言われた簡素な超再生受信機があって良き時代だったと思う。ハンディトランシーバーのメーカー製品ではTRIO、井上、ちょっと後からNational(松下電気)などがあり写真で見るそれらのカッコよさから自作することを諦めたような気がする。

 特にTRIO製品は自作のお手本のような水晶発振だけのAM機TR-1000(1967年)、VFOはあるがキャリブレーションが必要だったTR-1100(1969年)、改良型のTR-1100B(1971年)、最後のAM,FM機でキャリブレーション不要の完成形TR-1200(1972年)という目に見える進歩の流れがあった。いずれも憧れだったが当時現物は見ることもなく実際にTRIOのハンディトランシーバーを見たのは144MHz帯のTR-2200が最初でその小型であまりのカッコ良さには大袈裟ではなくショックを受けた。近くの公園でおこなわれたFOXハンティング会場だったのだがその衝撃は半世紀経った今でもはっきりと覚えている。

 今回オークション入手したTR-1200は初めてお目にかかったがカタログによると現金正価34,000円 月賦定価37,000円(正価と定価の違いはなんだ?)。

  

 TR-2200に比べるとふた回りほど大きい。ホイップアンテナも1.5mあって移動しながらの運用は大変そうだ。当時モービルHAMも大流行したが50MHz帯のアンテナは後部の金属製バンパーから生えていて根元の大きなバネでゆらゆら揺らしながら走る姿はなかなかカッコよかった。回路図を見るとFMのIF段とRF段にICが使われているがその他はディスクリートで組まれている。電池は単二9本で結構な重さになるが出力は1Wで後発のNational RJX-601(高校時代に中古で入手した)は3Wだったのでちょっと分が悪かったか。このRJX-601は大学のワンダーフォーゲル部の登山に持っていきテント設営もそっちのけで下界とQSOしていて先輩から怒られた事を思い出す(楽しかったなぁ)。TR-1200のカタログも背景は登山風景で「トランシーバーで新しいなかまをつくろう」とは泣けてくるようなキャッチフレーズ。

 

 全体に埃っぽいが大きな損傷はない。12VのACアダプター(中心がプラス)を接続すると一応AM,FM共に受信している様子。

 

 カタログの写真ではマイクの上はイヤホンジャックかと思うがこの個体はツマミがあって改造されている。スケルチらしいがしっかりしたプリント基板なので純正オプションのようだ。ケースの人工皮革が剥がれていたのでとりあえず修理してから内部の掃除と探索。

  

全体のかなりのスペースを占める電池ボックスは下が持ち上がって交換しやすい。2枚の基板が収まりワイヤーハーネスが囲んでいる。大きなバリコンはカプラーで減速ダイヤルにつながっているが迂闊に切り離すと校正が必要になるので手をつけない。回転はスムースで問題はない。内部の掃除のみで終わったが(手も足も出ないというのが本音)問題が生じていればその都度判断することにします。

 受信はSGで50MHzを発振して感度を確認したが実際の交信は聞こえずアンテナを立てるかロケーションの良いところに移動しないと受信の確認はむつかしい。50MHz帯は今も昔も寂しいようだ。送信テストも受信装置がなくパワーメーターもない。一応グリッドディップメーターはあるがキャリアを受信するだけのテストではあまり意味がなさそう。

 かつては欲しくてたまらなかったけど手に入らなかった憧れが時空を超えて眼の前にあるというのは嬉しいというより妙な気分。あんなに輝いて見えていたものが現在では必要性が薄れて古く汚れている姿は自分と重なるようでちょっと寂しくもある。当時の輝きを蘇らせたいという思いが今の自分の行動の根底にある気がする。現代の子どもたちにとっての憧れはなんだろうか?と思う。もはや物質ではないのかもしれない。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 雑記1

 

今年は庭の金柑が豊作で大きな実がたくさん採れてマーマレードにしたら鍋いっぱいできた。煮沸した瓶10個に入れて冷凍しておいて来年の夏くらいまで食べられそう。

 

 雑記2

  

 随分前から告知されていた 「THE BEATLES  GET BACK」 が有料配信で公開された。映画「LET IT BE」は高校時代にバンド仲間と列車に乗って県庁所在地にあったリバイバル映画専門館に観に行った事がある。今から50年くらい前だがやはりBEATLESは解散せざるを得なかったと思わせるリハーサルの重苦しい空気と一転して素晴らしいルーフトップゲリラコンサートの様子はとても印象深かった。映画は不良が屋上から騒音を撒き散らして混乱する人々の反応を楽しむみたいな描き方であれほど変革していったグループなのに世間の評価は何年経っても初期のうるさくて生意気なロックンロールバンドのイメージから変わってないのだなと感じた。テレビでの放送は1980年代にSONY提供のスペシャルな放送1回だけ記憶している。その時録画した貴重なbetaのビデオカセットに貼るタイトルシールまでSONYが提供していた。

 今回配信したのはDISNY+で早速入会した。映画「LET IT BE」は2時間くらいと思うが今回は60時間にも及ぶ記録から切り出して8時間30分の3部構成にしたものでさすがに何回かに分けて鑑賞した。この映画の評価はいろいろされているので自分なりの感想を述べるがまず画と音がとても鮮明。途中でSONYのハンディカメラにメンバーが感心するシーンがあったが当時のビデオでなく高価なフィルム撮影と長いアームを使ったマイクや盗聴(!)までしてこの貴重なシーンを詳細に記録している。プレイバックのスピーカーは見慣れたALTEC 604が入った612銀箱で各トラックごとに4台使ってモニターしていたことや(4トラックのレコーダーを2台並列使用していたと思っていたのだが)撮影現場のテープレコーダーはNAGRAⅢと4chミキサーが使われていたことなどつい機材に目が行ってしまう。次にジョージの立場が気の毒に思えたこと。すでにソングライターとしての才能が開花していた時期でポールの指示で本意ではないギターフレーズを弾くことはプライドを随分と傷つけられたことだろうと(これは映画「LET IT BE」の方が強調されていたが)。そのポールの底知れぬ音楽の才能とパフォーマンス、絶対に妥協しない姿勢。静かにメンバーの話を聴くリンゴと圧倒的な存在感のジョンと不思議な影のようなヨーコ。そして各々がグループとして活動する大切さを深く理解していたこと。時間に追われて悩みつつもプロフェッショナルな創作をしながらギリギリ最後まで迷っていたルーフトップコンサート、そのライブパフォーマンスの素晴らしさ、レベルの高さ。「アルバム『LET IT BE』はメンバーが捨てたような録音をフィルスペクターが寄せ集めて無理やり発売した」と言われてきたが実は作品を作り上げていく過程はとても創造的で充実していたこと。監督は膨大な演奏の中からアルバムに使われたテイクをしっかり見せてくれたことで私を満足させてくれたこと。いろいろあった2021年だが年末に今年一番の贈り物をもらった気がした。状況が改善したら昔のバンド仲間とわいわい言いながら一緒に鑑賞したい。


ZENITHのテレビ について

2021-12-08 20:06:35 | テレビ

 zenithは米国のelectric企業で現在はLGの傘下にある。創立は1918年で家電品メーカーとして一時は10000人以上の従業員がいたが1970年台の日本企業の米国進出によって経営が悪化し訴訟などで対抗したが倒産して現在の状況となった(weikipediaより抜粋)。

 今回入手したのはLG傘下となる10年前の1985年1月製の5inch白黒ポータブルテレビ/AM/FMラジオで製造は韓国となっている。

 

 

外観はとても簡素で2バンドラジオとVHF、UHFテレビなのに切り替えスイッチ以外にはツマミが3個しかない。そのうちの2個はチューニングつまみで2個のドラムがロールして周波数を表示する。内部はAMラジオ基板とFM,テレビ基板の2枚でIC化されている。ドラムを回すメカニズムが目を引くが糸が基板の縁で曲がるところには滑車がなくコストダウンのためか角をプラスチックで受けていて初めて見た。

 

 入手した時の状況は付属のACアダプターを繋ぐとラスターは現れるがラジオはAM,FM共に受信しなかった。FMは米国バンドなのでこのままでは使えない。将来AM放送は保守の大変さからNHK以外はFMに移行するらしく寂しい限りだ。早速分解しようとするが複雑な構造に加えてボルトネジのあたまがインチの関係で非常に時間がかかってしまった。インチのボックスレンチは必需で手持ちがなかったので8mmソケットを削って間に合わせた。構造をじっくりと観察しないと一向に前に進まず。

 AM基板のコネクター付近の短絡が原因とわかってラジオの受信は早々に復帰した。

 

 基板の電源部と思われる部分が焼けている。一応動いているのだがどうしたのだろう?折角なのでもう少し手を入れてみよう、、といじっていて気がついたら画面がボケボケになっていた。

 原因がわからず仕方ないので闇雲に次々に電解コンデンサーを交換するも改善しない。カメラのピントが合うような動作で時々正常に戻る事もあるのだが安定せず。電源部の基板が焼けているのが原因か?しかし電圧は出ているが。

 

 焼けたのはダイオードで当然既にご臨終。これは電源部の大きな電解コンデンサーの短絡が原因と思われたので同容量と交換した。このダイオードは電池への逆流防止のようでバッテリー駆動でなければ無くてもよさそう。ボケボケの原因はブラウン管のソケットの接触不良で丸1日は悩んでいたので解決した時はホッとした。

 ボリュームに付いている電源スイッチを入れてもパイロットランプなどは無くちょっとさみしい。普通は高圧部の動作確認用のネオン球がパイロットを兼ねることが多いのだがラジオに切り替えるとテレビ部への電源の供給は停止されるので採用されなかったのかもしれない。そこでスイッチONで点灯する周波数表示のドラムの照明を設置した。

 

最初はLEDを用意したが大きさの関係で断念、麦球4個をフレームに穴を開けて並べて直列に配線し12Vに対応した。ダイヤルも見やすくなっていい感じになった。

 内部はIC化され垂直水平同期ツマミは無く自動化されているが専用ICが原因の不具合が生じた場合は復旧はほとんど絶望となる。以前三洋電機の絶版専用ICをアメリカから入手したことがあるがこれは非常に稀な例と思う。デザインはかつてのオシロスコープのようだが前面パネルはちょっと洒落ている。スピーカーの口径は大きく音量もあり聞きやすい。当時の米国テレビ市場は日本製品が席巻していて米国のメーカー名義で発売されていた機種は少なかったと思う。型番すらなく誠に失礼ながら永く使い続けるような製品ではなかった気がする。当時の価格は不明だが高品質の日本製品に対抗するには廉価化しか道はなかったのではないだろうか。

 

 

 

 お読みいただきありがとうございました。

雑記

 先日蒜山高原に行った折に柚を購入しジャムと柚餅子(ゆべし)にした。1ヶ月程度干して食べてみた。

 

ジャムは誰でも失敗しないが柚餅子は難しくなかなか好みの味にならない。庭の柚子の木は一向に花が咲かない。

 

 追記

 しばらくAM放送とVHSビデオを見ていたが動作はとても良好で画面の安定度、音質も自然で聴きやすい。SONYのマイクロテレビから約20年後の製品になるがさすがにテクノロジーの進歩を感じる。電池内蔵ということもあってボディがやや大きいのが残念。多分工夫すれば奥行きは半分くらいにはなる気がするが小型化の追求については先を行っていた日本製品と張り合わない方針だったのかもしれない。

 なお米国のテレビchの周波数は日本と異なり2chを主とする国内向けのRFコンバーターではカバーできない。米国用か広範囲をカバーしているコンバーターを入手する必要がある。

 数値はMHz、同色は日米でchナンバーは異なるが共通の周波数となっている。