1960年代のSONYのマイクロテレビは世界を席巻したと思うが国内他社も黙って見ていたわけではない。初期では三菱、日立が同様の製品を発表していたしその後ほぼすべての家電メーカーが小型テレビを発売した。
日立版のマイクロテレビ「FI-5000」1964年
半年ほど前に入手した日立 FI-5000は年表によると1964年発売なのだが資料を検索してもほとんど発見できなかった。(わずかに1965年1月刊 日立評論に紹介されている(冒頭の写真も)。この論文は家庭用、業務用の日立製品を紹介しているが内容は非常に多岐にわたっていて改めて日立製作所の歴史を感じる。)入手した古書「ポケット型折畳み式 TV配線図集(第10集)」にラッキーにも回路図が載っていた。
それによると1965年7月から1966年5月までにテレビを生産していた日本のメーカーは15社で112機種(その他にもキットを発売していたメーカーもあるかもしれないが網羅されていない)。回路図を見るとほとんどが真空管方式で三洋電機、三菱電機、ナショナル、ビクターは加えてトランジスタ製品がありSONYはトランジスタテレビのみ。三洋電機は真空管式のカラーテレビを販売していた。歴史を調べると国産初のカラーテレビは1957年発売でこれはカラー本放送の3年前。白黒放送は1977年9月30日のNHK教育テレビ放送まで続きその後はすべてカラー放送となる。テレビの普及は1974年にカラーテレビが白黒テレビを初めて追い抜いたのだが1976年には96%となっている。にわかに信じられない速さだが当時のテレビに対する熱量が伝わって来る。ちなみに初めてのハイビジョンテレビは1990年に発表されたSONY製で36型、価格は2,300,000円と現在とは2桁違う。
ポケット本の回路図は縮小されていて老眼の身にはちょっと辛い。巻頭には「これさえあれば何時でも安心して仕事に当面できます」とあり当時のテレビサービスマンのご苦労がうかがえる。FI-5000は入手時は不動だったがそのまま闇雲に電解コンデンサーの交換を行ったがやはり不動のまま現在に至る。今回回路図が入手できたので改めてメンテナンスを行うことになった。
欠品のツマミはいずれ製作する予定。通電するとラスターは出るがチャンネル切替には反応は薄く受信はしていない様子で音声は出ない。高耐圧のコンデンサーの漏洩試験をするとフィルムコンデンサーは劣化しているようで同容量を注文した。
パーツが揃うまでに電源のコンデンサーは未交換だったので交換しておく。
コンデンサーは日本ケミコン製ですべてに日立のロゴが入っている。当時は納入先のロゴをサービスで入れていたのだろうか?現在小容量のケミコンは1個あたり数円で取引されていると思うが当時はいくらだったのだろう。基板は適当に部品間隔が空いていて部品面にはパーツ番号が記入されているが残念ながら不鮮明。またTP(テストポイント)の端子も出ていてメンテに配慮はされている。しかしパターン面が緑色の保護剤で覆われているのでパターンが判別しにくい。
コンデンサーを交換したら電源電圧が上がらなくなった。極性を間違ったか?」とチェックするも問題なさそう。そのうち通電しなくなってしまった。外付けのACアダプター。トランスにもロゴが入っていて自社製造か。
入手時にコンデンサーは交換している。本体とは4ピンコネクターで接続されるがこのコネクターの接触不良が見つかった。次にボリュームに付属している電源スイッチはACトランスの1次側とDC電源のON,OFFの2系統なのだがAC側の抵抗値が異常に高いという不具合が見つかった。
分解してみるがこの部分はカシメを外さないと到達できず断念する。DC電源は使う予定はないので直結としてAC側を移動して対応した。これでも電圧が上がらない。再度チェックするとリップルフィルターの2SB368が不良になっていて代替品と交換した。以前は動作していたのでどこかで短絡したらしいが原因がわからないので基板を1枚ずつ装着しスライダックで慎重に電圧を上げていったがその他には不具合は見つからなかった。これでチェックポイントからビデオ信号を入力すると
幸いにも出画するようになった。次に音声出力がないことだがVRからSGで信号を入れながらオシロスコープで波形を見ると初段で途切れている。Trが逝ったかと思っていたが触っていると突然出音するようになった。基板のパターンをチェックするも原因を発見できない。
ハンダを外してみると足の半田付け不良とわかった。これは珍しいトラブルだが外力でTrがおされて抜けてしまったのかもしれない。VIFトランスに不具合がある関係でビデオ入力のみとして入力配線を行った。
画面の上部がすこし歪んでいるがあまり気にならない。ツマミのコピーと共に次の課題として一旦終了とした。
HITACHI FI-5000はどれくらい製造されたかはわからないが中古市場でも滅多に目にすることはない。シリアルナンバーをみるとこの個体は1966年製造で数百台目と思われる番号だった。SONYのマイクロテレビと比べても製造台数はかなり少なかったと思われる。冒頭にも書いたが当時は真空管テレビ全盛の時代でしかしメーカーとしては次世代のTrへの技術移行が求められた頃かと思う。そのための布石として各社Tr製品を小規模に作り始めた時期かもしれない。FI-5000の全体的な雰囲気は手作り感がありオートメーションでの大量生産といった感じがなく当時のTrラジオや小型のテープレコーダーと共通の雰囲気がある。板金の精度もSONYや三菱製品と比べても町工場的で資金の投入において随分と差があったように感じる。それは開発製造された方々には誠に失礼だが製品の完成度にも影響を与えていている。HITACHIの歴史的な製品という位置付けには重要な製品かと思います。
お読みいただきありがとうございました。
追記1
かつてテレビの修理に携わっていた技術者の方と話す機会があった。安全面の話題でカラーテレビになってからはヒューズ抵抗などを多用して安全面に配慮した製品が現れたがそれまでは保安装置が貧弱で発火の危険があったとのこと。古い製品を開けてみると埃の海(山というより)ということが多くより危険が増していると思う。スイッチを入れたままで放置してはいけないとの事で肝に銘じたいと思います。