ヘボのアルバム (続編)

四季折々の戯言を・・・
そこから何が読めて来るか?

     『 生掘りの秘訣・・・ その1 』

2015-07-18 09:49:01 | 日記

            


並み居る大先輩、気の利いた蜂狂さんをさて置きこんな術をご披露するのはオコガマシイ事甚だしい話だが一情報だと思って、まァ~、聞いて下さいな!  

生掘りを教わったのは外でもないあの有名な串原のヘボ:三宅さんからだった!!!
NHKの特集番組を見て三宅さんを知り、信州の山猿?蜂狂グループ代表で門戸を叩いてみよう!という話になった。
yが、まだ、現役時代だったから20数年も前の話になる!
或る時、仲間の宮島さん、五味さん、それにyで串原を詣でた事があった。
名人は、最初、変な野郎達がやって来た?と思ってたんじゃァ~ないだろうか? 他にも団体で串原詣でをしていたグループがあった。
嬉しい事に団体グループさんを途中でお断りして我々3人を座敷に挙げてくれヘボ談義が始まった・・・
当然の事ながら最初の内はお互い構え手の内を出す雰囲気ではなかった・・・
我々のお土産は「ウグイ」種10匹と我々流「紙縒り」等蜂追いグッツなどだった・・・
名人もコイツ等一丁前だな?と感じたのだろうか?
10分と経たない内に話は溶け合いだし、三宅さんからヘボちゃん交尾のテレフォンカードを頂いた!!! そして、話は超具体化へ・・・
当時、三宅老人の最大関心事は、「キイジス(キオビクロスズメバチ)」にお目に掛かる事とこの飼育だった!!!
こういう話になると我々グループはお茶の子歳々!!!!! 三宅名人の要望を受け入れる事にした。
そして、休眠交尾女王蜂までお土産に頂いた!!!
当時、こうしたハイテクな術を我々は持ち合わせていなかったので、帰り道の車中は、ヘボ談義で盛り上がった!!!

さて、その年の8月、三宅名人が奥さんと信州に遣って来た。
お土産にお米や串原特産のコンニャク等頂き恐縮した。
宮島、五味、そして小林会長、矢花さん等5~6人が応援の馳せ参じ某所で「キイジス」を追った!!!
「キイジス」は8月ともなると早生種の為超デカ巣に!!!、そして巨大なコロニーを形成するので遠距離飛行をする・・・
我々蜂狂がリレーしても追い切れる距離ではなかった・・・ 三宅さんは20mもある檜の木のテッペンに登り行方を見ていたのが印象的だった。 串原流だったのだろう?
確か車で持ち込んでやっと1巣見付けた。
これを生掘りすると言う・・・
ヘェ~~~!!!あの凶暴な「キイジス」を生掘り!!! 一同顔を見合わせた!!!
名人は、合羽を着てその上に蜜蜂用の網を2重にして被った。当時としてはこれが最高の防護服とされてた?・・・
我々グループから応援団を出せと言う・・・
責任上、小林会長が真っ赤なゴルフウェやーを着て三宅名人の遥か遠方15~6mも離れた場所で見学していた・・・
戦闘開始!!!、鎌で何やらゴイゴイ藪や小灌木を切り出すと怒ったキイジスが一気に噴き出した!!!
名人は時々、「痛てェ~~~!!!」「これはよく効く薬だ!!!」等と頓狂な大声を出し掘り戦っていた・・・
20~30mも離れた道筋で見ていた我々、「凄げ~事遣るなァ~~~」と・・・ /cat_5/}
名人は蜜蜂網ではボコボコ刺されても平気の兵ちゃん!!!!!! 
その内に「小休止だ!」と言いながら急坂から下りて来た・・・
周りには怒り狂った攻撃蜂を何10匹も引き連れ・・・ 
そして、蜜蜂用網の中には10数匹の「キイジス」を伴っていた・・・
思うに、何10箇所も刺されていたのだろう・・・
そして、服を脱ぎ、煙草を一服・・・
10分ほど休んで、また、出掛けて行った・・・
遠方なので生掘りの詳細は判らなかったが凄まじい行動だった・・・
控え組は、観戦しながら運よく、道端で「キイジス」をまた2巣も見付け献上することにした・・・
道端の生掘りは、視界が利く範囲だったので、何となく「生掘り」という手法が理解出来た・・・
と言う事で「キイジス」3巣を持ち帰えられたが、奥さんが運転し、名人、大事そうに3巣抱えて木曽路を帰って行った・・・

それから、我々にも「生掘り」と言う術が広がり出し、夫々の工夫で網や合羽を考案し出した。
因みにyの防護網は、「玉葱」のあの袋で、2重に被ったが何処ゾから入られボコボコ遣られた記憶が新しい!
そして、網も改良に改良を重ね、蜜蜂用を工夫したが8月お盆、白馬でボコボコに刺され酷い目にあった記憶は新しい!!!

今は嬉しい事に瑞浪の太田さんが素晴らしい防護服を開発され皆これを使っているようだが、ここまで来るのに長い年月を要した!!!

「生掘り」の危険度を余所にこの効用は群を抜いていて、花火やセルロイド等と比べヘボちゃんに害を与えない為飼育箱に移すと、即、通う!!!という離れ業を発揮した・・・
今日の技が確立するまでに10年近い年月が掛かった!!!  
当時、あの珍奇なスタイル防護服の画像があれば吹き出したくなるだろうが、みな真剣に生掘りに挑戦し、夫々が工夫していたものだった・・・
因みに、yは、まだ現役のバリバリでお金に多少の余裕があったので三馬の10万円もする防護服を購入して使ったが、10分もすると汗で顔面が曇りどうする事も出来ず苦戦したものだった。
ドリルで沢山の穴を開け、熱気を逃がす工夫をしたが中々巧く行かなかった!!!
こんな事を思うと太田さんの防護服は安く非常に具合がよく重宝し、感謝感謝で今も使わせて貰っている・・・
 思い起こせば、防護服も3代目を迎えている・・・   
そして、余りにも具合がいいので、彼是100着近く紹介やら購入支援をして来た・・・ 太田さんさん!!!皆さん喜んでいるよ~~~!

明日は、珍奇な「生掘り術」を紹介しよう・・・
一見に値するともうがなぁ~~~?
コメント
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