8月17日は奈良国立博物館で「中将姫と當麻曼荼羅」展を鑑賞し、車で神戸市の六甲アイランドにある"神戸ゆかりの美術館"で開催中の白洲次郎・白洲正子 武相荘折々のくらし」展に来ました。



























東京町田市にある「武相荘」に一度は行ってみたいと思っていました。
京都にも縁が深いおふたりです。
東福寺の塔頭寺院「正覚庵」本堂は伊丹市にあった白洲屋敷を移築したものです。
建築に関心のある方には知れていましたが、京都新聞夕刊の一面に掲載されて、その存在が広く知られる様になりました。




本堂の仏間の天井は折上げ格天井で、その一角には屋久杉が使われています。
良質な材がふんだんに使われ、当時の白洲家の繁栄ぶりがわかります。
一方の白洲正子は幼い頃から馴染みのある京都を拠点に「かくれ里」「西行」「明恵」「十一面観音」などの随筆を多数残しています。
かって「かくれ里」を読み憧れを抱いて彼女が歩いた足跡をたどりました。
歴史の専門家ではないですが彼女自身の感性で書かれた文章には凄い説得感があります。



そんなおふたりが暮らした「武相荘」に憧れを抱くのは自然な成り行きかも知れないです。








幼い頃から"能"に親しんだ能装束や面の展示もあります。




一枚目の写真は次郎が正子とのお見合いの前に樺山家に渡されたお見合い写真です。
後に吉田茂の懐刀として仕え、QHQからも一目置かれた次郎です。
日本の敗戦が濃厚となり深刻な食料不足になるのを見越した次郎は全ての役職を辞任した後は農業に没頭します。

1924年製のベントレーです。
8月14日までの展示で見られなかったです。
ますます「武相荘」に行きたいと感じた展覧会でした。
展覧会のパンフレットと出品目録を付けておきます。




