京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良大和路③石上(いそのかみ)神社

2020年04月19日 07時53分00秒 | 日記
 長岳寺の次に天理市の大和盆地に鎮座される石上神社を参拝しました。






御祭神は布都御魂(ふつのみたまの)大神、布留御魂(ふるのみたまの)大神、布都斯魂(ふつしみたまの)大神の三柱です。

いづれも神武天皇東征の際に国土平定に武功を立てられた天剣の御霊です。





平安時代後期に永く院政を行なった白河天皇は、ことに石上神社を崇敬され現在の拝殿(国宝)は御所の神嘉殿を移築、寄進されたものです。

そして何よりこの神社を有名にしているのは国宝「七支刀」を所蔵されているからです。



この「七支刀」は日本書紀の神功皇后摂政52年に百済から献上された「七枝刀(ななつさやのたち)」と当たると考えられているようです。

2017年秋に開催された京都国立博物館「国宝」展にも出なかった逸品です。一度自分の目で見てみたいものです。
(社務所で伺いましたが公開の予定もないそうです。)




摂社の出雲建雄(いずもたけお)神社は、延喜式内社です。
拝殿は典型的な割拝殿で国宝指定されています。







摂社の天(てん)神社です。





また、境内には鶏が放し飼いにされていて静寂で緊張感のある境内に一服の清涼剤のように鳴き声を放っています。





最後に通常の御朱印と七支刀の特別御朱印を授与して頂き、次に安倍文殊院へ向かいます。













奈良大和路②長岳寺

2020年04月18日 06時35分00秒 | 日記
 大神神社を参拝後、同じ天理市内にある長岳寺へと来ました。
山辺の道にある長岳寺は、天長元年(824)に淳和天皇の勅願により弘法大師空海が創建したと伝わる古刹です。





ソメイヨシノは、ほとんど終わりでしたが八重桜がちょうど満開でした。



案内板にあるように多くの文化財を所蔵され、国宝こそないものの重文の建築物4棟、仏像5体を所蔵されています。

拝観受付を済ませ、まずは旧地蔵院(重文)からです。かっては四十八ヶ房あった塔頭の内、唯一残ったものです。
室町時代の庭園も美しいです。







旧地蔵院本堂。(重文)
二間四面の小さな規模ですが花頭窓を備えた桃山風の佇まいです。





ご本尊は普賢延命菩薩がお祀りされています。

楼門(重文)を潜ります。





次に本堂です。(重文)





ご本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊形式で仁平元年(1151)の造立です。(重文)

(写真は購入した絵葉書からです。)

中でも中尊の阿弥陀如来坐像は仏師快慶の作で平安時代には2体しかない玉眼を使用した像です。もう1体は奈良円成寺のご本尊大日如来坐像(運慶作)です。
玉眼の使用はその後、鎌倉時代に大流行します。
仏像の製作年代は玉眼の使用が鎌倉時代前後のひとつの目安になります。

鎌倉時代の弥勒大石棺仏。
古墳の石材を利用したものです。


また、長岳寺は関西花の寺の第十九番霊場でもあり四季を通じて多彩な品種の花々が楽しめます。





 





次に石上(いそのかみ)神社へと向かいます。




奈良大和路①大神神社(三輪明神)

2020年04月17日 09時20分00秒 | 日記
 大神(おおみわ)神社は奈良県桜井市にある大和国一之宮で古来より三輪明神として国造りの神様、医薬・酒造など生活全般の守護神として親しまれている神社です。



  
大鳥居の背後に広がる三輪山自体が御神体で参拝者は拝殿奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝します。





境内には大きな杉の大木がお祀りされています。中には枯れてしまった杉の大木も根元部分は神木としてお祀りされています。








平成になり造営された祈祷殿の前を通り摂社・末社をお祀りします。





狭井(さい)神社
お社横にある薬井戸からは、ご神水が湧き出ていて万病に効くとの言い伝えから、ひっきりなしにご神水を頂きに来られます。





久延彦(くえひこ)神社
古くから知恵の神様として知られ、社頭には合格祈願などの願い事を書いた「願かけ絵馬」がたくさん掛けられています。







近くには見晴らし台があり、名残りの桜の間からは御神体の三輪山が、反対側からは大和盆地が見渡せます。

この光景を見れば"大和は国のまほろば、
、、、"の歌を思い出さずにはいられないのですね。
二枚目に見える山は大和三山のひとつ"天香久山(あまのかぐやま)"です。






御朱印も授与して頂きました。


















園城寺(三井寺)②続編

2020年04月16日 08時03分00秒 | 日記
 先日に園城寺の記事を載せましたが、見どころが多く書き残した部分も多かったです。
続編を掲載しますのでよろしくお願いします。

水路に見える船がびわ湖疏水船です。
乗客定員は12名でガイドさん1名と船長の計14名で春と秋に運行されています。


最初は琵琶湖疏水の大津側の取水地です。上に見える山が長等山で、その中腹に園城寺が伽藍を構えています。



大津閘門(こうもん)と呼ばれる琵琶湖と疏水との水位を調整する施設です。このエリアは京都市上下水道局が管理しており、行政区分も京都市の飛地になります。

大門の説明は駒札をご覧下さい。
(駒札は文化庁はじめ、地域の市町村の観光課、保護財団などが設置されていますが意外と(?)間違った箇所があり、それを見つけるのも楽しみのひとつです。、、悪趣味ですが、、、)






大門は家康が慶長6年(1452)に甲賀の常楽寺(湖南三山のひとつ)より移築、寄進した建物です。
江戸幕府の予算の半分は神社仏閣の再建費用に当てられていたと以前に聞いたことがあります。(調べていませんが、、、)




釈迦堂は室町時代初期の建築でご本尊は清涼寺式釈迦如来さまです。

微妙寺。三井寺五別所のひとつで、ご本尊は平安時代初期の重文十一面観音さまです。




観音堂横にある鐘楼です。誰でも撞く事が出来ます。






宗祖智証大師円珍の御廟です。全域を唐院と呼び、円珍が入唐した際に持ち帰った経典類を納めた事に由来します。

参道から一段高いところにあり付近には三重塔や経蔵などがあります。






最奥に大師堂があり、智証大師像ニ躯(国宝)と黄不動明尊立像(重文)がお祀りされています。

灌頂堂(かんじょうどう)
天台密教を伝授するお堂。


三重塔(室町時代初期)
慶長6年(1601)家康により奈良県比蘇寺から移築、寄進したものです。




桜の花は、開花して暫くはその中心が黄色ですが時間が経つと写真のように赤っぽいく変化して来ます。落花が近いサインですね。






経蔵です。他のお寺の経蔵の多くには発明された傅大士(ふだいし)像がお祀りされているところが多いですがこちらには居られないですね。











"弁慶引き摺り鐘(重文)"
奈良時代の鐘で、俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰ったと伝わる霊鐘です。



参道には桜、ミツバツツジ、石楠花、そして、かえでの新緑と楽しめます。






境内は広大な境内を有していて、また、寺宝を展示している文化財収蔵庫(有料)もあり半日掛けてゆっくりと拝観の出来る魅力あるお寺です。
休憩には名物"弁慶力餅"もあります。

また、勧学院など通常非公開文化財の特別公開もあり目が離せないお寺です。

残念ながらこの春はびわ湖疏水船の運行が中止となってしまいましたが、秋の紅葉の時期に疏水船とセットで訪れるのもいいプランだと思います。

早く、新型コロナウィルスが終息するのを願います。





明智光秀ゆかりの西教寺

2020年04月15日 08時35分00秒 | 日記
す 園城寺から西教寺へとやって来ました。



西教寺は大津市坂本にある天台真盛宗の総本山です。
旧竹林院や滋賀院門跡からは距離があり、JR湖西線比叡山坂本駅や京阪電鉄坂本比叡山口から江若バスが出ています。

明智光秀ゆかりのお寺でもあり境内の禅明坊では"びわ湖大津光秀大博覧会"のひとつ"光秀館"が開かれています。




 
西教寺の由緒については、聖徳太子の創建と伝わりますが。その後、荒廃していたのを慈恵大師良源が復興し、後には恵信僧都源信もこちらで修行し、繁栄します。
その後、文明18年(1486)に真盛上人が入られ堂宇を再興、不断念仏の道場とされました。

その真盛上人がお祀りされている宗祖大師殿の唐門からは琵琶湖が一望できます。




  
この日は天気も良く、対岸の三上山も綺麗に見えました。



大本坊には明智光秀・煕子の位牌がお祀りされています。






大本坊の庭園です。


穴太衆庭園です。




客殿庭園は小堀遠州の作庭と伝わります。
池は琵琶湖の形をしているそうです。





伽藍内を拝観し、再び境内へ周ります。
元亀2年(1571)には信長による比叡山焼き討ちで西教寺も災禍を受けます。

その後、坂本城主となった光秀は西教寺の復興に寄与します。
最初の写真の総門は坂本城の城門を移築したものです。



鐘楼堂の鐘は坂本城の陣鐘です。







石造十三重堂の右側の大きな立石が光秀のお墓、石垣の隅でひっそりと建つのが煕子のお墓です。
光秀は生涯、煕子を深く愛し側室を持たなかったそうです。
一説には煕子は結婚前に疱瘡にかかり痘痕が残りました。破談になるのを恐れた両親は容姿の似ている妹を身代わりにだしますが光秀はこれを断り煕子と結婚します。





大本坊で御朱印を授与して頂き、帰宅の途に着きました。