14番目(山9番目)木賊山(とくさやま)からです。
14番目から16番目の木賊山、綾傘鉾、占出山です。
綾傘鉾の先頭には"棒振り囃子"の集団が先導します。
四条傘鉾と同じく山鉾の古い形態を残す傘鉾のひとつです。
赤熊(しゃぐま)をかぶり棒を持った者が鉦(かね)や太鼓、笛に合わせて踊ります。
仏教大学の八木透先生が理事をされていて、毎年学生さんがボランティアで粽作りをされています。
平安時代の人達は疫病は賑やかな鉦や太鼓の音、また、長刀などの光る物に集まると考えたのでしょう。
その集めた疫病を最後には鴨川に流すのが本来の祇園会なのです。
17番目から20番目の菊水鉾、芦刈山、伯牙山、太子山です。
菊水鉾は町内の井戸「菊水井」にちなんで名付けられ、昭和27年に再興された大型の鉾です。
太子山は聖徳太子が四天王寺建立にあたり、
自ら山中に入られ良材を求められた故事によります。
他の山が真木に松を使っていますが、お寺の建立に適した杉を立てています。
最後に21番目から23番目の放下鉾、岩戸山、船鉾です。
この3基の山鉾は"くじ取らず"です。
岩戸山は先日に鱧会席を頂いた「木乃婦」さんの町内の山です。
山とは言え車輪をつけた立派な曳山です。
右側の方が「木乃婦」三代目ご主人の高橋拓児さんです。
今年から二代目のお父様に代わり巡行に参加されています。
最後に殿(しんがり)を務めるのは船鉾です。
神功皇后の説話により鉾全体を船の形にし、舳先(へさき)に空想上の鳥"鷁(げき)、飛龍模様の舵をつけています。
ユネスコの無形文化遺産にも登録され、動く美術館とも称される祇園祭前祭の山鉾巡行を堪能しました。