京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

三条通 ②粟田口界隈めぐる(合槌稲荷明神・粟田神社)

2022年07月06日 06時56分00秒 | 日記
 神宮道と三条との交差点を東に進むと合槌稲荷明神が鎮座されています。







民間の間の赤い鳥居の先に合槌稲垣明神をお祀りする小さな社があります。

駒札によると「ここは刀匠三條小鍛治宗近が常に信仰していた祠堂と言われ、その邸宅が三条通りの南側、粟田口にあったと伝わります。

また、粟田口三条坊に住んだ事から三條小鍛治の名があります。

宗近は平安時代後期の刀匠で刀剣を鋳るに稲荷山の土を使ったとあります。









合槌稲垣明神の向かいには粟田神社があり、鳥居を潜り石段の左手には鍛治神社が鎮座されています。

京の東の出入口である粟田口には平安時代後期より室町時代にかけて刀鍛治が多く住み"三條派粟田口派"と呼ばれて、後鳥羽上皇の御番鍛治を務める刀工を始め数多くの名工を輩出しています。



この三條粟田口の多くの刀工達を顕彰する為に当神社は創建されたと言われています。

社の隣りには明治天皇御製「太刀」の歌碑が建立されています。







さらに石段を上がった高台に粟田神社が鎮座されています。

青蓮院門跡の鎮守社であり、明治以前には感神院新宮と呼ばれていました。







粟田祭

毎年の"体育の日"の前々日には「出御祭(おいでまつり)」が行われ、前日には「夜渡り神事」が行われます。

粟田大燈呂(あわただいとうろう)
秋田県の「ねぶた」を想起させる風流灯篭が1830年代に途絶えていましたが2008年に京都造形芸術大学の協力で復活しています。









"体育の日"には「神幸祭・還幸祭」には三条通を剣鉾巡行が行われます。

祇園祭の山鉾の原型と言われ、神輿渡御を先導し神さまがお渡りになる道筋を祓い清めます。

氏子町内を渡御したのち、青蓮院へ四脚門から入御し本地仏の薬師如来に献幣し、青蓮院門主(もんす)から御加持を授かります。

剣鉾巡行はコロナ禍の前に見学しましたが、なかなかの迫力で見応えがあります。

今年の実施はまだ発表されていませんが、是非開催して長引くコロナの疫病を祓って貰いたいものです。