6月12日はJR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員イベントで「円山応挙の生誕"穴太"を訪ねる」に参加しました。
穴太は応挙が生まれた地で金剛寺は8歳から15歳まで小僧として生活した寺でもあります。
(応挙が描いた玉堂住職の水墨画)
金剛寺中興の祖と仰がれる玉堂の勧めもあり応挙は玉堂の死をきっかけに京都に出て絵を学ぶことになります。
画家として名をなした応挙は天明8年(1788)に金剛寺に赴き本堂6室内襖53幅と壁4面に「山水図」「波濤図」「郡仙図」を描いています。
三点は国の重要文化財に指定されており、毎年11月3日の文化の日の一日のみオリジナルが公開されます。
この日は中道ご住職のご好意で「郡仙図」のオリジナルを出して頂きました。
他の絵はCanonの綴プロジェクトで作成された高精細デジタル複写で制作された複製画です。
中道ご住職の案内で次に訪れたのは小幡神社です。
延喜式のも載る古社で穴太一帯の産土神として信仰を集める神社です。
こちらには応挙が奉納した絵馬が残されています。
晩年の応挙が下絵を描き、息子の応瑞が完成させた絵馬と言われています。
応挙と応瑞の落款が残る貴重な親子の合作の作品です。
次に穴太寺を訪ねます。
西国三十三所観音霊場の第六番札所として知られ私も過去に二度お詣りに来ています。
贅沢にも穴穂ご住職のご案内で本堂、方丈を巡ります。
本堂内でご住職の法話を頂きます。
ご本尊さまは聖観音像ですが秘仏の為にお厨子は閉まっています。
代わりのお前立のお厨子は開いていますが幕が張られていて良く見えません。
天井の格天井には花天井になっています。
また、本堂右奥には木造釈迦涅槃像がおられ、信者の方々が奉納された布団を着て寝ておられます。
この像は明治29年(1896)に本堂屋根裏から発見されそうです。
(本堂内は撮影禁止なので写真はネットからお借りしました。)
京都での応挙の住居跡です。
大丸京都店の斜め向かいにあります。