夏休みはとりあえず、明日の授業の準備から解放される季節です。つまり、授業の準備という目の前の脅迫から一応解放されます。そして、この一ヶ月を除いたら、まとめて大きな本を読むことが学校という場所で仕事をしているとできません。きわめて重要な一ヶ月なのです。
私は夏の暑さは別段苦にはなりません。湿気にはまいりますが、ただ暑いのは、日本の暑さだったら十分集中力を持続できます。睡眠をよくとらなければいけないことは、もちろんのことですが。
私は倫理というのが専門ですが、いずれの思想もそう一筋縄で理解へと至ることはできません。粘り強く、一つ一つ思想が突きつけてくるロジックを丹念に追っていくのです。
さて、この夏の読書の中心はユダヤ・キリスト教です。
あらゆる意味でヨーロッパの思想の源流の一つであるユダヤ・キリスト教ですが、私のなかでは、「いじめ」というテーマのなかでユダヤ・キリスト教を使いたいというテーマがあります。ユダヤ人はいってみればヨーロッパ世界の「いじめられっ子」です。その歴史は他民族の制服による苦難と隷従の歴史だといっても過言ではありません。一体、彼らはどのようなロジックでこの苦難に耐えていったのか?ここがポイントです。弟子には裏切られ、みじめに死んでいったイエスの死も同様に考えてよいでしょう。なぜ、彼らはその神を信じたのか?ユダヤ・キリスト教の神とは何なのか?
マックス・ウェーバーの大著『古代ユダヤ教 (上) (岩波文庫)』と引き続き格闘します。この本は二度目の格闘ですが、けっこう手こずっています。何せむずかしいので。私は、ラインハルト・ベンディクス)の『マックス―ウェーバー 上―その学問の包括的一肖像』を参照しながら読み進めます。この本はウェーバーの社会学を学ぶには大変退屈ですけど、よくまとめられた本だと思っています。おすすめです。
この理解にとてもいいサポートとなるのが大澤真幸と橋爪大三郎の共著の『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)』です。(『やっぱりふしぎなキリスト教 (大澤真幸THINKING O)』も参考文献としてあげておきます。)
このなかのユダヤ教とイエスの生誕から死に至る過程と原始キリスト教団の形成にかんする記述はぜひご一読されるといいとおもいます。私もこの夏もう一度見直そうと思います。なお、一級の新約聖書研究者の田川建三の『イエスという男 第二版 増補改訂』もどこまで読めるかはわかりませんが、再挑戦しようと思っています。いま、読書中なのは、同じく大澤真幸の『〈世界史〉の哲学 古代篇』です。
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