高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

長嶋茂雄夫人の形式

2007-09-23 21:12:22 | 時事ネタ

家庭を守る影の人

  長嶋亜希子さんが亡くなられました。今週は、亜希子さんを悼む報道がテレビでも流れました。報道でも強調されていたのですが、亜希子さんは英語をはじめとした4カ国の外国語を操ることができる才女でありながら、結婚後は、長嶋茂雄というスーパースターの家庭を守る家庭の主婦として、影で長嶋を支えるという生き方を通されたようです。というか、そういう物語を盛んにテレビは流していましたね。
さて、大体、私のような1956年に生まれ、高度成長時代を生きてきた人間ならともかく、大体長嶋という人が今の若い人たちにどのような印象を、いえ、どのようなインパクトを与えるのでしょうか。ましてや、亜希子さんのこのような生き方の強調がどのような印象を与えるのでしょうか?

巨人軍は不滅です



 
長嶋を象徴するのは、このフレーズですね。彼が引退したのは1975年です。何でこの年が私に記憶にあるのか、というと、このフレーズを私は、高校3年の秋の遠足の帰りのバスの中できいたんです。

 日本社会の戦後の高度成長を象徴する日本人として長嶋茂雄は、ある意味でシンボリックでした。長嶋は私の妻の実家の千葉の佐倉市に生まれました。野球というアメリカからいただいたスポーツ選手として、東京のシンボル讀賣巨人軍に入団し、夢のスーパースターとなった長嶋茂雄の夫人となったのが亜希子さんなんですね。家庭を女が守り、男が東京で成功する。それも、胸にTOKYOというマークを入れた讀賣巨人軍の4番打者として。だから、亜希子夫人はあくまで長嶋夫人として鮮烈に私たちの記憶に刻まれたのでした。そして、以来、家庭を守る影の人として長嶋夫人は生涯を終えたのでした。これは、一つの物語なのです。

 東京にすべての人的資本を集める。東京こそが夢である。東京で成功する。東京にくらくらするようなすべてがある。情報はすべて東京発なのです。東京への出稼ぎ。東京大学への入学。東京のレコード会社でのデビュー。東京での・・・・・。
そのときに、日本社会は一つの共同体をモデルにしていました。〈家〉への所属です。企業も一つの家です。名門大学も一つの家です。そして、まさに家庭は文字通りの家です。核家族の家を作ること、それも東京で一戸建ての家に住むこと。できれば田園調布で家を作ること。そして、東京の大企業の家に所属すること。その前に学校という家に所属すること。こうした共同体のなかでタテ関係への恭順をモラルとして日本社会はやってきたのでした。実は、長嶋亜希子はそうした構造が紡ぎ出す物語の中で生きてきたと言えるのです。だから、私は、このエントリイのタイトルをあえて長嶋亜希子ではなく、「長嶋茂雄夫人」としたのです。

グローバル化のなかで

 
おそらく、高度成長時代はこの物語を日本人の多くが共有したのです。「一億総中流時代」と呼ばれるいわゆる中産層を日本社会は戦後作り上げました。それは、けっして、近代的な構造を基盤にもっていたわけではありません。あくまで、家という共同体が基盤となる社会であり、個人を中心とした社会でもなかったのです。学校も同様です。みんなと同じこと。出過ぎないように出ることというアクロバティックな人間類型こそが、日本社会の理想人となっていったのです。とにかく、家に所属しよう。学校という家に所属し、職場という家に所属する。そこでのタテ関係と共同体的な恭順が道徳の基本となっていったのでした。
 しかし、90年代のバブル崩壊以降、日本社会は一変しました。大体、家が、次々と倒壊していったのです。そして、家は、生涯を面倒見てくれる場所ではないということが明らかになっていったのです。格差は、大体、専業主婦という核家族を理想として描くことができない低所得層を大量に生みだしていったのです。

王、長嶋、落合、野茂

 長嶋茂雄は、巨人軍と切れては意味がありません。だから、長嶋は巨人軍の永久監督(笑)なんでしょ?その巨人軍の視聴率は今やがた落ちなのです。永遠に不滅であるようにみえていたのは、あくまで高度成長システムの上でのお話でした。だから、長嶋はあくまで「讀賣家」に所属することで生きるしかなかったのです。その点、王貞治は違いましたね。王は、野球という職能をもって移動する人生を生きました。というか、長嶋はその意味で天才だったといってもよいかもしれません。時代を反映していたとも、時代の申し子とも言えるかも知れません。
 経済の段階がグローバリズムへと移行するなかで、落合から野茂、そして、永久不滅の巨人軍から脱出する松井まで出る時代になったのです。イチローに至っては、日本での記録がまったく消え失せてしまうかのように現在のメジャーでの記録を彼の記録とするに至ったです。
 さて、長嶋亜希子さんでしたね。
 私たちは、共同体に所属することなしには生きていけません。しかし、会社も、成功物語も、そして、家族のあり方も、これまでのあり方をよしとしていたのではそれ自体が維持できないという時代にさしかかっているのです。
 もちろん、学校はそういう問いをまったく考えていません。いまだに、受験一筋、それ以外の成功モデルはないし、学校を家とみなして、とんまな恭順を道徳の基本にしています。そして、赤字にまみれて、その90%が人件費という恐ろしい構造を直視せず、節電とボールペンと紙をケチるという節約をしているのです。管理職は

「あと2年あと2年」

と退職を待っています。

あ、こういう落ちにしてはいけないね。また、なっちゃったなあ。

 
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