現代社会演習(いじめ学入門)
社会学者の内藤朝雄(上写真)が「いじめ学」を提唱し、旺盛な活動をしています。
私も、かれこれいじめを高等学校の「現代社会」の授業で展開して、20年余の歳月が過ぎました。私が、いじめを授業で扱いたいと思ったのは、1986年でした。ちょうど30才になったときでした。いじめは、どうしても扱わなければならない一級のテーマだ、と感じました。若い頃は、知恵はありませんが、直感は鋭いものです。私はしかし、どこから、どう手をつけたらよいのかわかりませんでした。
私は教員になってすぐ、生徒の興味をひく授業のネタやテーマに悩みました。いえ、悩むというのは正確ではありません。扱いたい素材はありました。そういう意味で、私は若い頃の木村を現在もそれほど超えていません。作家がよく、処女作に帰るといいます。私も、若い頃の直感へとたえず帰っていくように思えます。私は、そういう意味で、生涯若い頃の直感に帰り続けている自分を発見します。
「男と女を扱わないで何を扱うのだ!」
「コンプレックスこそ究極の無意識だ」
私は、こういったスローガンをいくつも掲げて自分を叱咤激励してきたように思えますね。
そのうちのひとつ、それも中心中の中心の一つがいじめです。学校の教員である以上「いじめ」についての見識を持たなければならない、いじめのメッセージを持たねばならない、と常々思ってきました。
「生徒の毎日の努力のほぼ90%はいじめにあわないようにすることである」
教科書作成上の参考文献
この夏、一度作りかけた「いじめ学入門」の教科書を完成させたいと思っています。
いずれも、何度も読んでいる本ですが、とりあえず、いじめ本体に関する文献をこの夏再読、というか、再点検します。
一人目は、内藤朝雄です。
この『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)』『いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体』の二つの本は大変学術的です。初心者にはちょっときついかもしれませんね。
『いじめの直し方』も『「ニート」って言うな! (光文社新書)』も共著です。それぞれ内藤の基本的な認識は鮮明に描かれています。
いじめには、直接的な「暴力系」のいじめ、と、人間関係を使う「コミュニケーション操作系」のいじめがある、というのが内藤の基本認識です。後者は、シカトや無視が典型ですね。内藤は、それにくわえ、「ノリ」という空気の存在、その「ノリ」によるいじめを引き起こす学級制度を問題としています。また、『いじめ加害者を厳罰にせよ (ベスト新書)』では、常々内藤が主張している学校に市民社会を入れる、それも刑罰や民法の損害賠償といったあたりまえの法的感覚を入れるという主張がわかりやすく述べられています。
森口朗というかたの『いじめの構造 (新潮新書)』という本がありますが、それは、内藤の主張をかなり入れています。参考にはなりますが、まず内藤でしょうね。
森田洋司
もう一人あげると、森田洋司です。手堅く実証研究を積み重ねた文章は、私には少々もの足りませんが、これまでのいじめ研究の推移を確認するために参照したいと思っています。
下に挙げたものが代表的作品です。
土井隆義
もう一人見逃してはならない重要な社会学者が土井隆義です。公民科目を持つ方、現在の高校生の基本的な環境を知りたい方は必読の研究者です。
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