大阪の教育基本条例案 ここが問題
白梅学園大学学長 汐見稔幸さん
もともと教育は法律で厳しく縛ってすすめるものではありません。生徒がちょっと悪いことをしたときに「やっとはみ出ることができたね」と言ってあげる子と、「なんでそんなことをしたんだ」と言わなければいけない子がいます。それはその子の育ちを考えての判断です。法で拘束すると、一律の対応が生まれ、教育が萎縮していきます。
知事が目標設定
教育基本条例案は、知事が教育目標を設定して、教育委員会がその目標実現への指針を作成し、校長がその指針にもとづいて学校の「具体的定量的」な目標をつくることになっています。
これでは、知事が変わると目標も変わることになります。知事の設定した目標が明らかにおかしいときも、制止する手段は書かれていません。
実際に条例案は、子どもたちを「激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること」を「基本理念」にかかげるなど、競争、競争という文言にあふれています。競争より共感、協同が目標として大事な時代に首をかしげたくなりますが、条例案が通ると、これで突っ走ることになります。
教育基本法と別に、知事が教育目標を設定して条例で学校を従わせること自体、学校への政治支配の道を開くものです。大きな反対の中で強行採決された現行の教育基本法でさえ、「教育は不当な支配に服することなく」と定めていますが、条例案はまさにその「不当な支配」にあたります。
さらに条例案は、校長が教職員を5段階評価で相対評価して、必ず5%は最低ランク「D」とし、2年連続でDとなったら免職もできるとしています。しかし、校長が教師集団をまとめ、うまく互いの相違性を発揮できれば、Dが付く教師などまず出てこないはずです。
職員会議を上意下達の伝達機関ではなく、教師が互いの授業について建設的な意見をいいあい、問題を一人で抱え込まないなど、学校を本来の教育的な議論の場に戻すことこそが必要です。評価で管理された教師は、必然的に、子どもを管理することになります。
また、校長公募で「マネジメント能力の高さ」を求めていますが、教育とは「人が人を育てる」ことです。教育にとっての成果は、子どもたちの目の輝きです。それは一般企業の業績アップと同じにはできません。
教育委員会や学校、教師に対する親の不信や不満があるのは事実です。親の要望や意見をきちんと反映させるシステムを作ることが必要です。
ところが条例案は、保護者に対し「学校運営に主体的に参画」する努力をもとめる一方、「社会通念上不当な要求等をしてはならない」とも定めています。正当な要求を言っている親も「不当」だと攻撃され、排除される恐れがあります。
権力的で独裁的
条例は問題だらけです。前大阪府知事の強引なやり方は、権力的で独裁的で、教育の論理になじまないやり方というしかありません。
いい教師との出会いが子どもたちの成長の支えです。子どもたちがそんな教師に出会えるよう、府も教育委員会も、教師にゆとりを与えてほしい。そのために教育委員会は教師を守る立場から政治の圧力に屈せず、教師が生徒一人ひとりと向き合えるよう25人学級の実現などに向けて、さまざまな手だてを尽くして欲しい。