森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

風林火山ー死闘川中島

2007-12-13 00:23:50 | ドラマ (大河)
川中島  頼山陽

鞭聲粛々夜過河
べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる

暁見千兵擁大牙
あかつきにみるせんぺいのたいがをよおするに

遺恨十年磨一剣
いこんなりじゅうねんいっけんをみがき

流星光底逸長蛇
りゅうせいこうていちょうだをいっす


 この詩吟の一節目、知っていましたよ~。でも、これは「川中島」と言う題名で、夜、山を降りて移動していく政虎の様子を歌っているものとは、ぜんぜん知りませんでした。お勉強になりましたね。

 ついでのお話ですが、その後この一節目の続きを検索していて行き当たったスレに、福岡の一部の地域では、運動会の騎馬戦の事を「川中島」と言っていると言うものに目がつきました。対峙した時、特別な歌が流れるそうですが、入場してくる時もこの「べんせい~粛々~」と流れる所もあるのですって。騎馬戦に「川中島」と名付けたセンス、いいと思いませんか。

 両者、力は互角。何がお互いの勝利を導くかは分かりませんものね。

大河ドラマなどを見ていらっしゃる方には、驚くべきことだと思いますが、中学生や高校生の嫌いな教科に、社会科はポイントが高いんですよ。嫌いと思うと、歴史も地理も一緒に感じてしまうようです。そんな子供達には「関が原」は知っていても「川中島」は知らないと言う子供は、たくさんいますよね、きっと。でも、この地域の子供達は違うと思いますよ。

お勉強と言えば、戦国時代の戦法なども学んでしまいましたね。
これは、ドラマのセリフの中でもさりげなく説明がありました。




キツツキの戦法は―キツツキがエサを捕るときに、木の反対側をつついて虫をびっくりさせて穴から這い出させ、出てきたところを捕らえるという習性からヒントを得て名付けられたもの。

車懸り(くるまがかり)の陣―謙信とその旗本衆による本陣を中心とし、各隊が放射状に並び風車のように回転しながら敵に当たるというものである。それによって敵は常に応戦しなければならないが、自軍の兵は、息がつけるというメリットがある。     ナルホド。
 <個性派武将の得意戦法 http://www.m-network.com/sengoku/senpou.html
などを参考にさせていただきました>



               


 お勉強などはこの辺にいたしまして、ドラマ感想などを書こうかなと思いつつ、最終回一回前、しかも一回多いとなると、去年の今頃は最終回に盛り上がっていたんだナァと、やはりしみじみしてしまうものですね。そして、大河が終わってやってきた師走と言う焦り。だけど今年はぜんぜん感じないですよ。やっぱり、大河が一回増えたせいですか~

その増えた一回分は、私はオマケと思っていましたが、オマケどころではないですよ。ないと話が終わらない
私は暇な幽霊全員集合で、回想シーン盛りだくさんなのかと思っていましたので(そしたら、この場所でブーと言ってしまいますが・・)

でも、回想シーンが悪いわけではありませんよね。今回、実は私、とっても回想シーンが欲しかったのですよ。

何処でかって言うと、真田と相木との会話。
「あのお方があってこそ」と信玄と自分との絆を心の中で確認するようなシーンがありましたよね。その時信玄名場面をフラッシュでいいので見せていただきたかったのです。今しみじみと思い出してみると、信玄絡みのなかなか良いシーンもありましたよね。でも、真田と相木の表情はいいものの、セリフに説得力を感じないのです。それは単に私の記憶力の問題でしょうか。


そういえばこのシーンの少し前、城の中庭で決戦前の夕餉をとる兵たちの姿が映し出されていました。なんか妙に丁寧に描いているなあと思ったら、音楽担当をしている千住明さん、題字担当の柿沼康二さんがゲストだったのですね。
やけに立派な面構えだけど、この人たちって突然出てきて誰、と思っていましたから、納得しましたよ。

 横道に逸れてしまいましたが、信玄絡みのシーンは、よく考えると良いシーンが実はたくさんありますよね。(映像にインパクトがあって、どうも内容がすぐ薄れがちなのが問題なのかな・・・)

前夜、弟の信繁(嘉島典俊)との語らいのシーンは、しみじみとしました。この信繁と言う人は、父にも愛され、望めば違った人生があったかもしれません。ただ義に厚く聡明であったので修羅の道を選ばなかったのかも知れません。それは、想像するばかりですが、その信玄との会話の中でもあった、99か条にわたる「武田信繁家訓」ですが、甲州法度之次第の原型であり、江戸時代の武士の心得として広く読み継がれたと、ウィキペディアに書いてありました。


戦国時代は兄弟で争うことも多かったのに、かくの如し兄を支えて生きた信繁は立派な人だったのですね。

 その信繁を演じた嘉島典俊さんもなんとなくセリフが歌舞伎の人っぽいなと調べましたら、昔「チビ玉」と言われて人気のあった人なのですね 。
あの背中に背負っていた黒い幌(?)の、美意識はよく理解できませんが、それを家臣に渡して子供に託したシーンは良かったですね。

そして、重臣諸角と共に散っていきました。

さて本陣では、キツツキが見破られて、苦戦しているその狼狽振りが伝わってきましたね。なんていってもいつも信玄の周りががら空きです。勘助は戦い半ばで、謝ってしまうし。信玄に
「山本勘助は武田の軍師なるぞ。」(セリフは正確に非ず)
と、たしなめられると言うよりは励まされてしまいます。この信玄もカッコイイと思いましたよ。

でも、このシーンは好きではありません。途中で、失敗したナァと思ったら、私なんかもすぐに謝ってしまいそうなので、勘助の気持ちは痛いほど分かります。ですが謝っている場合ではありません。謝ると言う行為は、そこまでの清算です。負けを認めてしまっている勘助ですよね。それでは今太刀振り上げているものはどうするんだよ、勘助~。

合戦シーンは、頑張ったんじゃないかと思いました。でも、「頑張ったのでは」と感想を持たれること自体が、情けないよなあと感じてしまうのは私だけでしょうか。
次週はいよいよ最終回。

勘助の未来はわかっているが、如何に巻き返すか、また信玄・政虎の一騎打ち楽しみです。
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Adventures 2

2007-12-11 09:31:29 | イギリス旅行記

 

 ハワースの町ともお別れです。来た道とは違う細い路地を通って、町のはずれの駐車場近くまでやってきました。そこで、後ろから来たグループの人に、話しかけられました。

街の道を歩いていたら、パン屋の人に帽子を忘れていった人を知らないかと聞かれたと言うのです。パン屋の人はツアーの人はみんな仲間だと思っているのでしょう。でも、私たちは口も聞いたこともありません。その人は知りませんと答えてしまったけれど気になって、私たちに尋ねてくれたのです。

ああ~、と私は思いました。何処にいっても私は私。その帽子は私のです。集合時間まで後わずかです。諦めようと思いました。失敗談とともに、私の帽子はイギリスのかの地にと言うのも、「まっ、いいか」という感じです。(お店の人には迷惑な話ですが・・)

でも、そこにいたみんなの「大丈夫だよコール」。

「でも、間に合わないかもしれないし。」
「言っておくから、平気よ。取って来たら。」
と後押しされて、ダッシュで元来た道を走りました。

 

いえいえ、元来た道ではありませんでした。分かりやすい道ということで、もう二度と通らないと思っていた、牧師館、パリッシュ教会、墓地の道を急ぐ私。だーれも歩いていません。そして、石段を降りて行き・・

  そのとき私は不思議な光景を目にしました。そうです。町は既にひっそりとして、確かに他の観光客はパラパラといますが、日本人のいない町なのです。タッタッタッタと私の足音が石畳の道に響きます。

パブの前の背の高い男。ベンチで家族と高笑いしている、半端じゃない太った女。 早々と店じまいに勤しむ女性。目的もなさそうに歩いている男性。その中をタッタッタッタと、私は走ります。

 そして、お茶を頂いたパン屋にたどり着いて、無事に帽子を取り戻す事ができました。何が嬉しかったかと言うと、友人にも聞かれずにkiriy流ハチャメチャ英語がパッと通じた事です。しかも、お店の人がドアの所まで送ってくれました。

 そして、また私はシャーロットやエミリー、そしてパトリックやアンも歩いただろうその道を、また走って戻りました。私はほんのつかの間の冒険者です。

 帰り道は、やはりみんなと帰る時に通った別の道を行くことにしました。狭い路地の坂道を登ると、そこには前の記事で書いた猫が、私を待っているかのように道をふさいで座っていました。

 辺りには誰もいません。もちろん私は話しかけてみましたよ。
「ニャニャーン」
すると
「ニャー」と猫は言いました。

ヤッタ!!   やっぱり猫語は万国共通です。
<何言っているんだ、と思った方はコチラ■

おっと、いけないこんな事をしている場合ではありませんでした。

 

 だけど、何とか集合時間には間に合いました。バスに戻ると、忘れ物のことを伝えてくれたグループが拍手をして迎えてくれました。なんだか、その日から私達はこのグループの人たちとそして他の人たちとも、よく話すようになったような気がします。

 

 「大丈夫だった?」と友人が聞いてくれました。心配してくれた友人には申し訳なかったのですが、なんだか、私はこの失敗も楽しんでしまったようです。

そうそう、シェークスピア生家のところでなくしたバンダナを、誰かが拾ってくれた話を書きましたが、その日と、この帽子の忘れ物をした日は同じ日。それで、あの記事の中でその日の占いにはきっとこう書いてあるに違いないと書いたのですよ。

「失せ物注意。だけど、それは必ず元に戻る。」そしてよく読むとその下には、こんな文が付け加えてあったかもしれません。
「素敵な思い出とともに・・・」


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嵐が丘の舞台<ハワース>

2007-12-10 08:13:55 | イギリス旅行記

 

 10月19日4日目の午後は、「嵐が丘」の舞台になったハワースに行きました。この草地に9月頃にはヒースの花が咲き乱れるそうです。ヒースの花と言うのは日本ではエリカといわれています。ピンクの可愛い花で、その花でムーアといわれる荒地が埋め尽くされた頃は、きっときれいな事でしょうね。

 ここはシーズン中ですと柵の中に入っていく事ができますが、柵の手前で見たこの風景は、、果てしなく続く寂しさと言うものはあっても、荒涼たる荒れ野ではないですね。仕方がないので、他の方のHPで探しました。ここはずっとずっと奥があるところなのだと思います。

 

    

 

 イギリスに行く前に、いくつか予習記事を書いておきたいと思いましたが、間に合いませんでした。書いておきたかった中には、ブロンテ兄弟のことがあります。普通ブロンテは、ブロンテ三姉妹と呼ばれます。

 

 シャーロット、エミリー、アンを指すからです。「嵐が丘」はこのエミリーの作品ですが、どうも私は苦手です。私は「ジェーン・エア」などの方が読んでいて、ホッとします。

 私もこの作品たちの評価を、知らないわけではありませんよ。最初から「ジェーン・エア」はヒットしましたが、「嵐が丘」はそうでもなかったのです。だけど時をおいて、「嵐が丘」は高い文学的評価を受けるようになり、時の淘汰にも残り、今でも読み注がれている名作として知られるところだと思います。

でも、あまりにも妄執にも近い愛の形に、私はその物語自体を拒む気持ちになってしまうのです。幽霊、墓を掘り起こす行為、雷の中に立つヒースクリフ・・・・
やっぱり、私は風の中から聞こえてくる「ジェーン、ジェーン」と言う、テレパシーの声ぐらいの愛に、胸がキューンとなるのです。

私程度の人が多くいたということが、「嵐が丘」の高い評価が没後だったと言う結果を招いたのかも知れません。

 

ところで、私はブロンテ姉妹の事と書かずに、ブロンテ兄弟と書きました。彼女達はシャーロット、とエミリーの間にパトリック と言う男子がいるのです。彼らのことはコチラでチェック。

彼らが遊んだ12個の木の兵隊のおもちゃ、それを題材にしたクラーク・ポーリンの「魔神と木の兵隊」と言う本は、はるか昔の中学の頃に読みました。残念ながらあまりに昔に読んだファンタジーなので、ストーリーは忘れてしまいましたが、そのとき感じたブロンテ兄妹の片寄せあい、何もないハワースの町で、想像力だけを友として生きていた、そんなイメージだけを覚えています。

 その木の兵隊で遊んでいたと思われる、ブロンテ兄妹が住んでいた牧師館です。↓

 

 

 

 

 

 今は資料館になっています。ここも希望者のみの入場観光でした。もちろん私は入る気バリバリ。でも、午前中にアン・ハサウェイのうちを見学した友人は、もういいと言います。

ハワースも小さな町です。一通り説明を受けてから解散して町を自由散策ということになっていましたので、とりあえずその牧師館から次のところに移動です。

 次のところは、すぐ横にあるパリッシュ教会です。

入って、添乗員さんがガイド代わりに説明を始めました。

でも、私はここで思わず小さな声で
「オオ~」と言ってしまいました。ゾクッ~と声が出てしまうほど来たのですよ。その後も、ずーっとぞくぞくしていました。外で待っていたい。本当にそう思いましたよ。

友人がカメラを私に向けたので、真顔で言ってしまいました。
「ゼーッタイにこの中で、写真撮らないでね。ココ、なんか怖いもの。」

 でも、この中には代々の牧師のパネルがあったりして、興味深いものもありますよ。

この教会の隣には姉妹が眠る墓地があります。その入り口には、墓地の地図があって、観光客がチェックしています。

姉妹の墓があることを知らなかった私は
「ねえ、ここも観光ルートに入っているのねえ。」
すると、教会の中では私と離れた所にいたもう一人の友人は
「イヤよ、墓地なんて。この教会の中でもぞくぞくしちゃってイヤだったらないんだから。」

ええ~、ヤッパシ~~~~

 

教会、墓地と坂を下っていき、狭い道を抜けて階段を下りると、この町の小さなメイン通りになります。二つに分かれた道の真ん中に立っている家の外階段に猫が丸まって寝ていました。友人が、おいでおいでと呼んでいます。

私はムズムズムズ。なんでかって思う人は「僕のお母さんは猫語が分かる」などをお読みくださいませ。

でも、どちらにせよ、外国の猫に「おいで」はないんじゃないかな、と思いました。せめて、「COME ON」でしょう。

 

階段を下りますと、昔アヘンが薬として手軽に買えていた頃、パトリックが気軽にそれを買いに来たドラッグストアに出ます。

 映画の「フロムヘル」の中のジョニーデップもアヘンを常用しているシーンがありましたが、それが悪魔の薬とは知らずに、手を出し破綻していった人がこの国には、たくさんいたのかもしれません。

 

 小さな坂道のメインどおりには、パブやティールームや雑貨屋さんなどが立ち並び、観光の町なのだと分かります。そこで、自由解散になりましたが、既に牧師館から離れてしまっているし、パリッシュ教会でのこともあったので、私は戻らず、その坂道などで写真を撮って、それからお茶なんかを頂いて時間を過ごすことにしたのです。

 

 でも、ここでも驚くことがありました。写真を撮っていた時間はわずか数分ですよ。その間に、素敵だナァと思っていたティールームは、みんな閉まってしまったのですよ。何時だったでしょうか。日は高く、夕方一歩前という時間です。前にバイブリーの村のお店は全店休業の日だったのかと書きましたが、このとき秘密が分かりました。閉店時間が、日本人には考えられないくらい、早いのですよ。しかも、目の前を季節はずれの団体客が歩いていると言うのに・・・・なんて言うか・・・吃驚デスよ。

でも、そのときは全てが閉まるというのではなく、雑貨屋さんや一部のお店は開いていました。

 どうしてもお茶でも珈琲でも何か頂きたかった私達は、素敵なという点は諦めて、食事も出来るようなパン屋さんに入ることにしました。もちろん頂いたのは珈琲だけですが、優雅と言うには程遠い・・・

 

でもね、世の中は何が素敵なことに変わるのかは、分からないことなんですよ。そのお話は次回の「Adventures 2」で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

   


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季節の風景から

2007-12-08 01:39:31 | 詩、小説
 
  誰かが望もうが望むまいが
  僕は 生まれてきた 


  そうだ 思い出せ
  何かがいつも僕を見守り
  僕を愛している

  だけど 心を覆う目の前の憂鬱が
  まるで そいつが世界の全てのようだと錯覚させる。
  道は閉ざされて 季節は止まる
  明日は単なる今日の続き

  僕は確かに疲れ果ててしまったんだよ
  もう ファイティングポーズも取れないし
  抗うことの苦痛も放棄したいんだ

  「頑張れ 諦めるな」
  心の中の 僕のセコンドが
  声を荒げて叫んでいる

  いやだよ
  さっさとタオルを投げろよ

  僕はリングを降りていく
  そして 僕の肩にへばりついている
  「何とか」の僕と言う
  「何とか」という名前をぺりぺりはがして捨ててみた


 
  誰かが望もうが望むまいが
  僕は 生まれてきた 



  僕は僕に戻って  
  空なんかを見上げてみる
  そして僕は知るのだ
  道は いつだって
  閉ざされてなんかいないって
 


 

 
 

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「相棒」ー空中の楼閣

2007-12-06 09:00:09 | ドラマ(相棒)

 今日の脚本は「殺人シネマ」「赤いリボンと刑事」の岩下悠子さんでした。

だから、何、と言うわけではありませんが、なんとなく
「ああ、やっぱり『相棒』と言う」お馴染み感を、今日は感じさせてくれました。

近頃おとなしめだったイタミンが、生き生きしていましたよね。
「カメ子~」
「座敷わらしか」

米沢さんも面白い事言っていたような気がしましたが、忘れました(汗)

角田課長のマイカップに記憶が持っていかれました。
いつの間にか特命課にマイカップを、置くようになっていたんですね。しかもパンダちゃん
「暇か~」は「こんにちは」の代わりですね。だって、暇そうではありませんでしたよね。でも、やっぱり聞きたい「暇か~?」。

サイドメニュー充実といった所でしょうか。

 

 さて、メインデッシュのお話ですが、

ストーリーはコチラでチェック→□

装丁家の安藤が出てきた時、
あっ、こいつが犯人と、またも根拠なく思ってしまった私。

でも被害者とあからさまに揉めていた庄司は論外だけど、その担当編集者の日高は、怪しい。また、美和子の原稿からエリセ化粧品も怪しい。企業絡みの奥の深い事件の匂いがしてしまいます。

一緒に見ていた、家の者が
「一時間でやってしまうなんて、勿体無いよな。」と言いましたが、まったく同感です。せっかく漂わせている巨悪(大げさ!)に一時間で戦えるわけがありません。(そういう問題か・・!?)

 でも、そうでもなかったですね。最後まで見てみると、一時間でしっかりその企業悪とも戦ってしまいました。

被害者勝村が庄司に絡んでいた理由もそこにあったわけですから、最後の庄司の行動で、少しは報われたのではないでしょうか。

テーマは「見下す」ミクダス。
ちなみにミオロスだと「見下ろす」
どうでもいいことですが、パソコンばかりで文を書いていると、紙に書く時に基本の送り仮名を迷うようになってしまいそうです。でも、コレを間違えてしまっては、ダメですね。

最後に映し出された、安藤の森の蛍の絵は、心温まる素敵な絵でしたね。

 

でも、私が誰に一番同情してしまうかと言うと、やっぱり美和子ですよ。エリセ化粧品の事は、庄司が引き継ぐかも知れません。美和子の努力も無駄ではなかったわけですが・・・そういうことではないのではないでしょうか。出してあげて欲しい、単行本。
ガンバレー、美和子。めげているシーンはなかったのですが、一応応援しておきましょう。

面白かったです。

コメント (4)
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「僕のお母さんは猫語が分かる」の続き

2007-12-05 16:49:46 | 家族スナップ

 

 不思議空間M町にては、二階建ての一軒家の借家に住んでいました。裏は、空き地に湿地帯に森という、横浜育ちの私には信じられない空間が広がっていました。そして、家の前には足のコンパス短い私でも、大股三歩で行けてしまう様な道路を挟んでお向かいのうちが建っていました。

 そのお向かいのうちには、我が家のルート君と年の違わないような姉妹が住んでいました。たった二年の事でしたが、その姉妹達と私の子供達が筒井筒のようなものになっていくの事は、ごく自然の事でもありました。ラッタ君が小学三年生、ルート君も幼稚園の年中さんの頃のことです。

 私はこの姉妹、もしくはその母からいろいろ学ぶことがありましたが、その話はまたいずれと言うことで、今日は「子供って、まったくさぁ」と言うお話です。

 

 そのお向かいさんは気軽にアメリカに、出掛けていきます。ビックTシャツにスパッツと言ういでたちで出掛け、長いと一ヶ月ぐらい帰ってきません。アメリカに友達がいるのだそうです。
しかも、彼女曰く。友人はスラム街に住んでいるのですって。

危なくないのかナァ・・・と思いつつ彼女を見ると、やっぱり何処でもビックTシャツにスパッツ、アンド、ノーメイクですから、旅行客には見えずに、きっと街に馴染んでしまうのでしょう。

 その彼女が、ストリートダンサーを見ていたら、隣に立っていたホームレスの男の人に、
「あんたの歯は、一体どうなっているんだ。そんな歯で平気でいる人はいないよ。」と言われたそうです。確かに、言われてみれば彼女の前歯は欠けたまま。もう、見慣れてしまっていたので気がつきませんでした。

「ホームレスに笑われちまったい。」と言う彼女は女傑ですね。

いつもの夕方、よその子供も自分の子供も一緒くたと言う、我が家のリビングでお茶を飲んでいた時、ふとその話を思い出しました。

「ねえ、☆ちゃんのママはさぁ、英語がしゃべれるんだねえ。」と英語コンプレックスの私が聞きます。
「ウン、しゃべれるよ。」

凄いな~、やっぱりな~、と思ったら、その頃まだかわいかったラッタ君が、

「フン、そうかい。だけど、僕のママは猫語が分かるんだぜ。」

 

 ヒョエ~~、なんで、ラッタ君、こんな所で負けじ魂を出す

 

 だけど、そのとき飼っていた猫の通訳なんかしちゃって、
「ルート君のママ、凄~い」と尊敬されたりして・・・・
(私はその頃、近所では『ルート君のママ』と言う名前でした。)

 

 この事は、ラッタさんの記憶の中に、きっと微塵にも残っていないと思います。私も、こんなことがあったと話を振った事はありません。たぶんこんな話は、彼の人生最大の汚点だと思います。とにかく彼は「人生最大の汚点」と言うのがたくさんある人なのです。

 そして母というものは、子供の忘れたいような「人生最大の汚点」というものをいつまでも覚えている、たちの悪い人種なのでありました。

 

 

 

 

 


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「僕のお母さんは猫語が分かる。」

2007-12-04 10:21:27 | 家族スナップ
 もう、十年以上昔ですが、M町と言う所に住んでいました。それはたった二年の事でしたが、今思うと、森に湿地帯に高圧線、そんなものの傍らにひっそりとあった住宅地は、夢見がちだったかっての少女にはパラレルワールドに出入り自由な扉が開いているようなものだったかもしれません。

 でも、このお話は不思議空間M町のことではないのです。だけど、もしかしたらその町に住んでいたから、そういう発想になったのかもしれません。


 ある時、子猫が家に迷い込んできました。
「ダメだよ、借家なんだから。」と拒んで見たものの、すがるような猫の目に負けて
「お庭でならね。」と言い、その翌日には
「玄関までだよ。」と言い、その猫がリビングのソファで転寝する私の胸を枕に眠るようになるまではアッという間のことでした。大家は知人だったのでちゃんと了解も取りました。

 私が仕事の時は、猫は二階でお昼寝でもしているようです。いつも帰ってくると、二階からダダダダダと下りてきます。そして「ニャニャーン」と甲高く鳴くのです。でも、私はあまり猫などには構いません。帰ってきたらすぐに幼稚園にお迎えに行ったり、また出かけたり、または帰ってくるなり眠ってしまったりと言う風に私は私で忙しく暮らしていたのです。猫などは一つ屋根の下で、猫の好きなように暮らしていればいいんだと思っていました。好きな時に好きな所で寝て、出掛けたい時に出掛け好きな時に帰って来る。だけど帰ってこなければ心配する。帰ってくればいい。そんな猫の飼い方です。

 でも、猫の「ニャニャーン」はいつも何かを訴えているようなのです。しかも毎日続くその鳴き方が流石に気になってきました。しかもだんだんしつこくまとわり付くようになって来ました。おやつをねだっているのかな。そう思って、缶詰をお皿に入れてあげると、とりあえず食べるのに、またまとわり付くのです。じゃあ、トイレが汚れていたのかしら、とチェックしたりして。
 その時私は、気が付きました。これって何かに似ているな。そう、言葉を持たない赤ん坊がエッエッと泣けばミルクを与え、ウニョウニョと泣けばおしめを変えて・・・
そんな様子を見ていて義父が言った事があります。
「どうして、母親は赤ん坊の言っている事が分かるんだ?」
私はそういう質問にはいたって真面目に答えるんです。

「それはね、お父さん。人は昔言葉を持たなかったのですよ。それでも人は気持ちを伝え合っていたのです。そういう能力が備わっていたのに、言葉を持つことによって、その能力を切り捨ててしまったのです。でも、母親になると必要なその能力が復活して、心の耳で聞くと、『お腹が空いたよ~』『お尻が気持ち悪いよう。』と聞こえてくるのです。」って、・・・・・嘘ですよ。義父にそんな事言える訳はありません。言いたい気持ちは充分あったのですが。なので、
「えへっ、勘かなあ~。」と言っていました。


 だけど義父に言えなかったその言葉は、私の本音です。そんな訳で、ある日私は耳を澄まして猫の言葉に耳を傾けてみました。

その時、私にははっきり聞こえてきましたよ。
「ああ、そうだったねえ。」
私は猫の前にしゃがみこんで、私もはっきり言いました。
「ただいま~。」
それから猫は満足げな顔をして、まとわり着かなくなったのですよ。


 私は誰も居ないと分かっている家に、「ただいま~」といって帰ることはありません。いつの間にか居ついて、かってに二階で寝ている猫は私にとってはその「誰か」のうちには入らず家族でもありませんでした。しかも、家に懐くと言われている猫がそんなに寂しがりやだとも思っていませんでした。

その猫の「ニャニャーン」は、その後も毎日続きました。でも、私はにっこり笑って「ただいま~」。

猫の暮らしにお帰りとただいまと言い合う習慣があるとは思いません。ただ、
「やあやあ」という挨拶はあるように思います。新年の頃の記事にも書きましたが、猫は鳴き方を分けて猫同士でコミュニケーションを図るそうです。
その「やあやあ」の中には
こんにちは、とか、誰ですか、とか、会いたかったよ、とか、寂しかったよとか人間の言葉に変換したら、いろいろな意味合いに状況によってなるのかもしれません。ちなみに私はその時の猫の「ニャニャーン」と言う甲高い鳴き方を、初めて会った猫に挨拶がわりに試みる事があります。パーフェクトと言うと、嘘になりますがかなりの確率で「ニャー」と言う返事が返ってきます。

 私はその日から、この猫が思っていることは手にとるように分かる様になりました。子供達がある日私に聞きました。
「どうして、ママは猫が言っている事が分かるの?」

「それはね、ラッタ君とルート君。人は昔言葉を持たないで・・・」なんてことは言いません。
「エヘへ、ママはね、猫語が分かるのよ。」


 
 その猫が死んでしまった時、私はペットレスになってしまい、およそ半年夜になると泣いていました。その猫の名前は「ぴぴ」。
こんな話なのに、しかも10年以上も前のことなのに、やっぱり私、今でも涙が出てしまうのです。



<ちなみに、この話にはオマケの話があるので、それはまた明日>
画像は「ニャン子達の癒しの小部屋」のファトラ。
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「風林火山」ーいざ川中島

2007-12-03 02:24:54 | ドラマ (大河)

 Kiriyのファッションチェーック

 ワタクシ、先週の信玄のテルテルファッションから、急に衣装ばかりに目が行くようになってしまいました。

すると、気がつきました。勘助の衣装のかっこいい事。デザインも凝っているんですよね。むさくるしい事茂みの如くの勘助に見慣れてしまっていたので気がつきませんでした。黒の衣装素敵でした。

その黒と対比させるかのような信玄の白も今回は良かったと思います。くすみのない「白」というのは本当におしゃれな色ですね。だけど、途中からの、やっぱり首周りが気になります。あの首の周りはどうなっているんでしょう。

 先週ブログ周りをしていて、やっと気がついたのですが、信玄は確かに肖像画と言うものに似ていました。なにげにそっくりです。それで、思ったのですが、ドラマにおいてはリアリティの追求が決していいとは限らない場合もある・・・・・と言う事かも知れませんね。

誰が見たいんだ、テルテルおやじの愛なんて、となってしまうでしょう。でも、三条夫人との出陣前の語らいは良かったです。長年付き添ってきた夫婦の「愛」と言うものを感じました。いつも自分の考えをキッパリ思慮深く言ってきたように思う三条夫人でしたが、実は正夫人として、如何に女として我慢をしてきたのかと感じてしまいました。

「ねッ、今度だけはアタシのために勝つって言って。必ず勝って、生きて戻ってきてね。お願いよ。アタシを一人にしないでね。」

と言う内容のセリフ。外に女がいようとも、子供が何人いようとも、最後は結局夫婦なのさ、と言うしっとりとしたシーンでした。

でも、・・・小柄な彼女にその衣装は大きいんじゃないかしら。首が埋もれていましたよ。(って、いやなやつですね、私って。

 

 戦さ場での軍議では、外でやっていなくても兜を外さないんだなとか、妻女山の政虎軍の衣装の襟の部分や布地の部分が素敵だなとか、細かい部分にばかり目が行ってしまいます。裏の仕事と言うのも大変な事ですね。でも、ワタクシ思わず

「アハハハハ~」と笑ってしまいました。すると、傍で珍しく見ていたルート君が釣られて笑い出しました。でも、この子と私の笑いの意味が違うかなと思って聞きました。

「急に笑ってしまって、ごめ~ん。でも、なんで笑ったのか分かっているの?」

「この人でしょ。『あなたは、何処のゲームキャラのお人ですか~』ってな感じ・・」

そう、同じことで笑っていました。でも、私が連想してしまったのはデスラー総統。・・・フルッ。まあ、私はその時代の人ですから。

ええと、政虎さんのことですけど。いつも彼はあんなカッコしていましたっけ。

      

                               

 

 いくらなんでもそれだけで終わるわけにはいきませんので、その他の感想を箇条書きにて。

  勘助を送り出すリツのセリフは良かったです。
―いかに胸に想い人がいても、生きている娘の私のところに戻ってきてください。
彼女は立っているだけで、そこだけがホンワカ暖かい春のような人ですね。

  駒井君を労うシーンは良かったです。HPの登場人物欄にも載せて貰えない駒井君ですが、どれだけ彼の智慧が武田を助けてきたのか、見守ってきた私達には分かる事ですね。彼の生没年は不詳です。こういう人こそ、ドラマ脚色O.K な訳なのですから、最後はどうなるか、ドキドキする所です。だけど、今回は伏線かそれとももう見せ場終了の回だったのかは、読めませんが。

  お墓での勘助の独白は良かったです。聞きほれました。でも~、
―なりませぬ。
は、なりませぬ。あまり意味もないのでしらけました。四郎は残そうと思ったら、勘助の考えで、何もおかしくないですよね。

  そういえば花枠は誰だったんだろう。見逃しました。ありえませんが、「緑魔子」というのが良かったな。

 

 

  オマケ    
 途中でバイトから帰ってきたルート君に
「やっぱり霊が出た。」と言ったら、
「ヤッター
部屋から出て来たラッタ君が
「三個か?」

  まだ、一個です。残りはそうねえ、最終回辺りかしら・・・
<何の話をしているんじゃ、と思った方は前の記事ですがコチラなどにアホな事が書いてあります。>

 

 

 

 

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望むものはすぐそこにある

2007-12-01 23:58:17 | お出掛け日記

 

 また、なにやら思わせぶりなタイトルをつけてしまいましたが、この風景を見て、本当にそう思ったのです。別に
「ああ、今年は綺麗な紅葉を見に何処にも行っていないナァ。」などと嘆いていたわけではありませんが、この木々の美しさを見て、
「もう何処にも行く事ないじゃん。家の近くがこんなに綺麗なら、もうここで充分よ。」と、しみじみ思ったのです。

 旅行などから帰ってきて
「ああ、ヤレヤレ。おうちが一番。」と思ってしまうことって、お笑いのネタばかりではなく本当にあることだと思いますが、

「我が町が一番!!」
と、ふと思ってしまった一日でした。

 

      

 

 今日は、横浜から姉が私の町にやってきました。私達姉妹は一見地味で大人しい感じに見えますが(?)、本当はかなりミーハーです。出演俳優の舞台挨拶付きの映画を一緒に観に行ったのですが、せっかく時間かけてやってきたのですから、近くの公園を散歩しました。

そしたら公園の中は、こんな感じだったのですよ。

    

 

 思わずたくさん写真を撮ってしまいました。桜の紅葉は既に終わっていて、もうモミジが主でした。別に私に庭ではありませんが、姉につい自慢してしまいましたよ。
「どうだ、すごいだろう。」って。

 でも、姉も言っていました。横浜の近所の公園を今朝歩いていて、
「何処にも行かなくても、家の近所がこんなに綺麗なんて・・・。」と、母と話してきたばかりだと。

 ということは、関東我が家近辺は、皆こんな感じなのですか。

 

  

  

 

 その公園の日本庭園です。

 

 

 

 下はそこで頂いたお抹茶のお菓子です。やっぱり和菓子は季節感ですよね。

 

 

     

 

 日本の紅葉が美しいのは、やはりその「赤」がポイントなんだと思います。なんて言ったら、銀杏並木に叱られそうです。

 

  


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