森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

嵐が丘の舞台<ハワース>

2007-12-10 08:13:55 | イギリス旅行記

 

 10月19日4日目の午後は、「嵐が丘」の舞台になったハワースに行きました。この草地に9月頃にはヒースの花が咲き乱れるそうです。ヒースの花と言うのは日本ではエリカといわれています。ピンクの可愛い花で、その花でムーアといわれる荒地が埋め尽くされた頃は、きっときれいな事でしょうね。

 ここはシーズン中ですと柵の中に入っていく事ができますが、柵の手前で見たこの風景は、、果てしなく続く寂しさと言うものはあっても、荒涼たる荒れ野ではないですね。仕方がないので、他の方のHPで探しました。ここはずっとずっと奥があるところなのだと思います。

 

    

 

 イギリスに行く前に、いくつか予習記事を書いておきたいと思いましたが、間に合いませんでした。書いておきたかった中には、ブロンテ兄弟のことがあります。普通ブロンテは、ブロンテ三姉妹と呼ばれます。

 

 シャーロット、エミリー、アンを指すからです。「嵐が丘」はこのエミリーの作品ですが、どうも私は苦手です。私は「ジェーン・エア」などの方が読んでいて、ホッとします。

 私もこの作品たちの評価を、知らないわけではありませんよ。最初から「ジェーン・エア」はヒットしましたが、「嵐が丘」はそうでもなかったのです。だけど時をおいて、「嵐が丘」は高い文学的評価を受けるようになり、時の淘汰にも残り、今でも読み注がれている名作として知られるところだと思います。

でも、あまりにも妄執にも近い愛の形に、私はその物語自体を拒む気持ちになってしまうのです。幽霊、墓を掘り起こす行為、雷の中に立つヒースクリフ・・・・
やっぱり、私は風の中から聞こえてくる「ジェーン、ジェーン」と言う、テレパシーの声ぐらいの愛に、胸がキューンとなるのです。

私程度の人が多くいたということが、「嵐が丘」の高い評価が没後だったと言う結果を招いたのかも知れません。

 

ところで、私はブロンテ姉妹の事と書かずに、ブロンテ兄弟と書きました。彼女達はシャーロット、とエミリーの間にパトリック と言う男子がいるのです。彼らのことはコチラでチェック。

彼らが遊んだ12個の木の兵隊のおもちゃ、それを題材にしたクラーク・ポーリンの「魔神と木の兵隊」と言う本は、はるか昔の中学の頃に読みました。残念ながらあまりに昔に読んだファンタジーなので、ストーリーは忘れてしまいましたが、そのとき感じたブロンテ兄妹の片寄せあい、何もないハワースの町で、想像力だけを友として生きていた、そんなイメージだけを覚えています。

 その木の兵隊で遊んでいたと思われる、ブロンテ兄妹が住んでいた牧師館です。↓

 

 

 

 

 

 今は資料館になっています。ここも希望者のみの入場観光でした。もちろん私は入る気バリバリ。でも、午前中にアン・ハサウェイのうちを見学した友人は、もういいと言います。

ハワースも小さな町です。一通り説明を受けてから解散して町を自由散策ということになっていましたので、とりあえずその牧師館から次のところに移動です。

 次のところは、すぐ横にあるパリッシュ教会です。

入って、添乗員さんがガイド代わりに説明を始めました。

でも、私はここで思わず小さな声で
「オオ~」と言ってしまいました。ゾクッ~と声が出てしまうほど来たのですよ。その後も、ずーっとぞくぞくしていました。外で待っていたい。本当にそう思いましたよ。

友人がカメラを私に向けたので、真顔で言ってしまいました。
「ゼーッタイにこの中で、写真撮らないでね。ココ、なんか怖いもの。」

 でも、この中には代々の牧師のパネルがあったりして、興味深いものもありますよ。

この教会の隣には姉妹が眠る墓地があります。その入り口には、墓地の地図があって、観光客がチェックしています。

姉妹の墓があることを知らなかった私は
「ねえ、ここも観光ルートに入っているのねえ。」
すると、教会の中では私と離れた所にいたもう一人の友人は
「イヤよ、墓地なんて。この教会の中でもぞくぞくしちゃってイヤだったらないんだから。」

ええ~、ヤッパシ~~~~

 

教会、墓地と坂を下っていき、狭い道を抜けて階段を下りると、この町の小さなメイン通りになります。二つに分かれた道の真ん中に立っている家の外階段に猫が丸まって寝ていました。友人が、おいでおいでと呼んでいます。

私はムズムズムズ。なんでかって思う人は「僕のお母さんは猫語が分かる」などをお読みくださいませ。

でも、どちらにせよ、外国の猫に「おいで」はないんじゃないかな、と思いました。せめて、「COME ON」でしょう。

 

階段を下りますと、昔アヘンが薬として手軽に買えていた頃、パトリックが気軽にそれを買いに来たドラッグストアに出ます。

 映画の「フロムヘル」の中のジョニーデップもアヘンを常用しているシーンがありましたが、それが悪魔の薬とは知らずに、手を出し破綻していった人がこの国には、たくさんいたのかもしれません。

 

 小さな坂道のメインどおりには、パブやティールームや雑貨屋さんなどが立ち並び、観光の町なのだと分かります。そこで、自由解散になりましたが、既に牧師館から離れてしまっているし、パリッシュ教会でのこともあったので、私は戻らず、その坂道などで写真を撮って、それからお茶なんかを頂いて時間を過ごすことにしたのです。

 

 でも、ここでも驚くことがありました。写真を撮っていた時間はわずか数分ですよ。その間に、素敵だナァと思っていたティールームは、みんな閉まってしまったのですよ。何時だったでしょうか。日は高く、夕方一歩前という時間です。前にバイブリーの村のお店は全店休業の日だったのかと書きましたが、このとき秘密が分かりました。閉店時間が、日本人には考えられないくらい、早いのですよ。しかも、目の前を季節はずれの団体客が歩いていると言うのに・・・・なんて言うか・・・吃驚デスよ。

でも、そのときは全てが閉まるというのではなく、雑貨屋さんや一部のお店は開いていました。

 どうしてもお茶でも珈琲でも何か頂きたかった私達は、素敵なという点は諦めて、食事も出来るようなパン屋さんに入ることにしました。もちろん頂いたのは珈琲だけですが、優雅と言うには程遠い・・・

 

でもね、世の中は何が素敵なことに変わるのかは、分からないことなんですよ。そのお話は次回の「Adventures 2」で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

   


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