清少納言が出てきましたね。
快活で、それらしくて良いと思いました。
男の場の漢詩の会で、堂々と「私はそうは思わない。」と自分の意見を言う彼女。今でもこれをやると、かなり目立ちますよね。
堂々とした彼女を見て、高子は満足した顔をしていました。もしかしたらこの時に、彼女が定子のための女官として認めたのでしょうか。
先週、ついつい脱線して「蜻蛉日記」に拘ってしまったのですが、今回は倫子のサロンで、その話が出ていましたね。
『高い位の男に愛されたという自慢』・・・・・
へぇ、そうだったのか。
久しぶりにやって来たからちょっとじらしてやろうとしたら、すぐに帰ってしまって、なんかがっかりとか言うのって、その「蜻蛉日記」じゃなかったでしたっけ。
とても自慢話には感じなかったな。
それと言うのも、やはり有名な
『嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る』
この歌のせいでもあり、秀逸な冒頭の『かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経ふ人ありけり』のせいかもしれません。
現代語訳は
「時は淡々と過ぎ、世の中は相変わらず頼りなく、拠り所もなく、自分はただ暮らす人である」
→5分でわかる蜻蛉日記!概要、あらすじ、冒頭、和歌などわかりやすく解説 | ホンシェルジュ (honcierge.jp)
とにかくも、勉強になりますよね。
勉強になったと言えば、このドラマの冒頭、桶に月が映るじゃないですか。
ツイッター(X)に「掬月」と言う言葉が並びました。
掬う月とはなんじゃらと思った私はまた検索しました。
「掬水月在手」と言う禅語で、元は唐の時代の「春山夜月」からのものだそうですね。
月は天上高く輝いているものだけれど、手で掬えば手の中にあると言うような意味だと思います。
唐の時代の漢詩と考えれば、まひろは知っていたかもしれませんね。
だけれど、まひろはやはり道長を天上で輝く月のように感じたのかもしれません。
だから距離を置こうとしたのかもしれませんね。
だけど漢詩の会に行って、道長に会ってしまい、そこで彼が詠んだ漢詩は、完全にまひろにあてた恋の歌だったと思いました。
そしてその夜も、道長は想い余って。まひろに歌を贈ります。
「ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに」
切ない。切なすぎます。
もう、このドラマ、「大河ドラマ」をやめましょう。1月期の12回ドラマで良いからさ、まひろは紫式部になんかならなくていいよ。源氏物語も書かなくていいよ。
史実は違っていたのさと言うドラマ的ぶっ飛び展開で、道長とまひろは結ばれて欲しいと、私は心から願ってしまったのでした。
あっ、そうそう。
今週も直秀、かっこ良かったです。
「俺は誰にも惚れないよ。明日の命も知れぬ身だ。」
また盗賊をやって逃げる途中に白い布を投げて、道長の弓を巻き付けちゃうとか・・・・。
倫子様もカッコ良かったです。
「苦手は苦手のままで・・・・」とか。でも本は苦手だとかとか。
そして、とうとう花山天皇の女御の忯子様がお隠れになってしまいました。
徐々に歴史も動き始めますね。