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「見徳一炊夢」は朋誠堂喜三二の作品。
【江戸浅草の大店の息子・清太郎が、夢の中で邯鄲の枕を借りて50年の栄華の夢を見、破産した所で二重の夢から覚めるという話。】
黄表紙の名手・朋誠堂喜三二(平沢常富)の生涯|当代一の“覆面”戯作者であり江戸在住の“外交官”【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
より
人生は、夢から目覚めても、またそれも夢。
今は捨吉と名乗っていた唐丸の、今までの人生は、私が思っていた以上に過酷なものでした。
今で言ったら、親からの大虐待。
自分を貶めてお金を稼げば、つかの間の優しさを得ることが出来た・・・・・
でもその親の優しさも、ただの幻。
せっかく石燕に見いだされても、子供を金づるとしか見てない母の理解を得るはずもなく、最後には呪いの言葉で子供を縛るなんて、本当にトンデモナイ母だったと思います。
彼の今までの人生を思うと、本当に
「歌麿よ、見徳一炊夢」と言いたくなってしまいますよね。
その呪縛から逃れられなかった捨吉に蔦重は手を差し伸べ、そして人別帳も与え、義理の兄になりました。
そして彼は歌麿に。
ああ、やっぱり彼は歌麿だったのね。
私、思わず涙ぐんでしまいました。
その時ふとちょっと離れたところにある鏡に自分の姿が映っているのに気がつきました。
ああ、涙顔の私・・・・・醜い・・・・・・
ああ、これ夢!?
イヤ残念なことに今は目覚めないリアルだったのでした(ノД`)・゜・。
まあ、そんな事はともかく、鳥山石燕、勉強になりました。
紀行で紹介してくれた、石燕の妖怪の図。ぬらりしょんなんか私たちが思っている彼そのものですよね。
そのイメージって水木しげる氏の漫画からきていると思うんです。
でも彼にその影響を与えたのは、石燕だったのですね。
そして歌麿を絵の道に、一番最初に誘い込んだのも彼。
素晴らしいなと思いました。
彼の作品は「鬼子母神」にあるのだそうですね。
前に行った事があるのですが、そこにある大木ばかりに目が行ってしまって、ちゃんと見てなかったと思います。今思うと、残念です。
その時の記事はこちら→「東京さくらトラム」乗り鉄のミニ旅☆鬼子母神の大木たち
ちょうど今頃の季節だったのね。しみじみ~。
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